30.ルミナの授業
午後。
チヒロは自分の講義資料を抱えながら、学院の実技棟へ向かっていた。
その途中で、ふと足を止める。
「……あれ、今日ルミナの授業じゃなかったか」
掲示板に貼られた時間割にはこう書かれていた。
『対人魔導補助学・実技(担当:ルミナ・フェルシア)』
興味本位だった。
いや、それだけではない気もするが、とにかく気になった。
「見に行ってみるか」
実技棟・第三演習室。
扉の隙間から覗くと、すでに授業は始まっていた。
十数人の学生と、その前に立つルミナ。
「はい、じゃあペア作って」
その声は、いつもの軽さよりも少しだけ低い。
だが迷いがない。
「“相手の呼吸を観察する”から始めるよ。喋る前に、まず相手を見る」
学生たちが戸惑いながら向き合う。
ルミナは腕を組んだまま、教室を歩く。
「会話ってさ、言葉じゃなくて“前”に全部出るんだよ」
「前……?」
「目線とか、肩の力とか、呼吸の浅さとか。そういうの全部」
チヒロは思わず小さく頷いた。
理論的にも正しい。
だがルミナの言い方はもっと直感的だった。
一組のペアの前で、ルミナが立ち止まる。
「今の状態だとさ」
男子学生と女子学生が固まっている。
「お互い“嫌われないようにしよう”って顔してる」
「……っ」
学生が反応する。
ルミナはため息をついた。
「それやめな。会話じゃなくて面接になるから」
「で、でも……」
「でもじゃない」
ぴしゃりと切る。
だが声は冷たくない。
むしろ少しだけ優しい。
「怖いのは分かる。でもその状態で話すと、相手も緊張する」
「じゃあどうすれば……」
ルミナは一瞬だけ考える。
そして、肩をすくめた。
「まず“自分を良く見せるのやめる”」
「えっ」
「その代わり、“相手の話を一回ちゃんと聞く”」
チヒロは少し驚いた。
(……意外とちゃんと心理学してるな)
理論の話ではない。
現場の言葉だ。
ルミナは続ける。
「例えばさ、“趣味は?”って聞いたらさ」
「はい」
「その答えに“へぇ”で終わらせない」
「……?」
「“なんでそれ好きなの?”って聞く」
学生たちが顔を見合わせる。
「それだけ?」
「それだけ」
ルミナはあっさり言う。
「でもそれやると、“この人ちゃんと自分に興味持ってる”ってなる」
「……なるほど」
「恋愛とか関係なく、人ってそれで安心する」
チヒロは廊下で小さく息を吐いた。
(シンプルだな)
だが、だからこそ強い。
理論を削ぎ落とした“実戦の形”だった。
その時、ルミナがふと教室の外を見た。
目が合う。
「……先生」
小さく手招きする。
「覗いてないで入ってきなよ」
「ばれてたのか」
「そりゃ気配あるし」
学生たちがざわつく。
「え、あれって……」
「恋愛学の先生じゃね?」
「でけぇ……」
やめてほしい。
チヒロは教室に入る。
「じゃあ、見学でいいか?」
「いいよ。どうせ参考になるでしょ」
ルミナは軽く言う。
そのまま教壇の横に立った。
授業が再開される。
ルミナはチヒロの方を一瞬見て、少しだけ言う。
「先生の授業は“考え方”」
「私は“やり方”」
「役割分担ね」
「……なるほどな」
その後、ペアワークが続く。
最初はぎこちなかった学生たちが、少しずつ言葉を交わし始める。
「それ、なんで好きなん?」
「え、あ、昔からで……」
「へぇ、いいじゃん」
小さな変化。
だが確かに空気が柔らかくなっていく。
チヒロはそれを見ながら思う。
(この学院、本当に変わってるな)
理論だけでもダメで。
気合いだけでもダメで。
観察だけでも足りない。
授業終了後。
学生たちが出ていく中で、ルミナが伸びをした。
「はい終了。おつかれ」
「意外とちゃんと授業してたな」
「意外ってなに」
「いや……もっと雑かと」
「失礼だな」
ルミナは軽く笑う。
廊下に出ると、二人並んで歩く。
「先生さ」
「ん?」
「さっき見てたでしょ」
「まあな」
「どうだった?」
チヒロは少し考える。
「……分かりやすかった」
「雑な感想」
「でも、それが一番すごい」
ルミナは一瞬だけ黙る。
「ふーん」
それから少しだけ口元を緩めた。
「じゃ、合格でいいや」
「何の試験だ」
「内緒」
夕方。
学院の窓に西日が差す。
二人の影が廊下に伸びていた。
少しだけ距離が近いまま。
でも、まだ触れない距離。




