22.自分の弱さと向き合う
翌日の昼休み。
学院食堂はいつも通り騒がしかった。
「で? 結局どうなんです?」
ニヤニヤしながら聞いてきたのはレオノーラだった。
向かいではルミナが無言でスープを飲んでいる。
嫌な予感しかしない。
「……何の話ですか」
「昨夜だ」
レオノーラは面白そうに笑う。
「夜の店街にいただろう、お前たち」
「ああ……見回りです」
「ほぉ?」
完全に信じてない顔だった。
「それで?」
「心理学教師殿は、そういう店には詳しいのか?」
「……どういう意味です」
「とぼけるな」
レオノーラは机に肘をついた。
「お前、童貞なんだろ?」
ぶふっ。
近くの教師が吹き出した。
チヒロは固まる。
「な、なんでそんな情報共有されてるんですか!?」
「有名だぞ」
「最悪だ……」
ルミナが横で小さく肩を震わせている。
(笑ってる……!?)
レオノーラはさらに追撃した。
「実際どうなんだ?」
「元の世界でも、店に行ったことないのか?」
「…………ないです」
「この世界に来てからは?」
「ありません」
「誘われなかったのか?」
「ありましたけど」
食堂が少し静かになる。
レオノーラが意外そうな顔をした。
「断ったのか?」
「はい」
「なんでだ?」
「興味はあるだろう」
チヒロは少し黙った。
こういう話題は苦手だ。
からかわれるのも慣れている。
だが、
否定されるのはもっと慣れていた。
だから彼は、
いつものように誤魔化そうとして――
やめた。
「……怖いからですよ」
意外だったのか、
レオノーラが目を瞬かせる。
ルミナも視線を向ける。
「俺、人との距離感が下手なんです」
チヒロは静かに続けた。
「相手が仕事で優しくしてくれてるのに、
自分だけ本気になったら嫌だなって思うし」
「…………」
「逆に、
“お金を払えば人に受け入れてもらえる”
って感覚に慣れるのも怖かった」
食堂が少し静かになる。
いつもの軽い空気ではなかった。
「心理学をやってると、
人って“楽な承認”に依存しやすいのが分かるんです」
チヒロは苦笑する。
「俺、自分が弱いの知ってるんで」
「…………」
「だからたぶん、
一回そこに逃げたら、
ちゃんと誰かと向き合う努力をしなくなる気がした」
レオノーラが珍しく黙った。
周囲の教師たちも、
茶化しづらそうな顔をしている。
チヒロは少し恥ずかしくなってきた。
「……なんか真面目に語ってしまった」
「忘れてください」
その時。
「私は嫌いじゃない」
ルミナがぽつりと言った。
「え?」
彼女はスープを飲みながら続ける。
「そういう“逃げ方を選ばなかった理由”を、
ちゃんと言葉にできるところ」
「…………」
チヒロの脳が止まる。
レオノーラがニヤッと笑った。
「おいおいルミナ」
「それはかなり高評価じゃないか?」
「事実を言っただけだ」
「顔赤いぞ?」
「黙れ」
だが、
ルミナの耳は本当に少し赤かった。
チヒロは視線を泳がせる。
(いや待って)
(今の空気なんだ……?)
すると後ろの席から、
女子生徒たちのひそひそ声が聞こえた。
「チヒロ先生って意外と誠実……」
「なんか急にかっこよく見えてきた」
「分かる……」
「やめてください!!」
「そういう聞こえる距離でやらないでください!!」
食堂が笑いに包まれる。
その中で、
ルミナだけが静かにチヒロを見ていた。
理論だけで人の心は救えるのか。
まだ答えは分からない。
けれど。
人と向き合おうとして、
不器用に悩み続けるその姿勢を、
誰かはちゃんと見ているのかもしれなかった。




