20.本当の自分
夜の学院街は、昼とは別の顔を見せる。
魔導灯が淡く揺れ、
酒場から笑い声が漏れ、
石畳には疲れた大人たちの足音が響く。
その中を、
斉藤チヒロは一人歩いていた。
「……なんで俺が夜の見回りを」
「学長命令だ」
隣を歩くルミナが淡々と言う。
「最近、生徒の生活態度が乱れているらしい」
「雑ですねぇ学長……」
「お前、“人の心を見る”のが得意なんだろう」
「その言い方だと占い師みたいですね」
そんな軽口を叩きながら歩いていると。
ルミナが足を止めた。
「……あれ」
路地裏から、
見覚えのある制服姿が見えた。
女子生徒だった。
栗色の髪。
どこか疲れた表情。
「……ミレア?」
ルミナが眉をひそめる。
チヒロも思い出した。
中等部から特待で上がってきた努力家の生徒だ。
成績は優秀。
だが最近、
授業中にぼんやりしていることが増えていた。
ミレアは二人に気づいた瞬間、
顔色を変えた。
「せ、先生……!?」
◇
数十分後。
三人は深夜営業の喫茶店にいた。
ミレアは観念したように俯いている。
「……夜職、してるのか」
ルミナが静かに聞く。
ミレアは小さく頷いた。
「学院の寮費と……弟の治療費が必要で」
チヒロは黙って聞いていた。
「最初は平気でした」
「お客さんに笑ってればいいだけだったから」
だが。
「最近、分からなくなってきて……」
ミレアは震える声で言う。
「毎日、“可愛い”って言われるんです」
「でも、本当に私を見てるわけじゃない」
「…………」
「笑えば喜ばれるし、
甘えればお金になるし、
優しくすれば指名が増える」
彼女は自嘲気味に笑った。
「だから最近、“どれが本当の自分なのか”分からなくて」
静かな沈黙。
ルミナは不器用なタイプだ。
こういう時、どう声をかければいいか分からない。
だから自然と、
チヒロへ視線が向く。
チヒロはしばらく考えた後、
静かに口を開いた。
「ミレアさん」
「人って、“役割”を続けると、それに心が引っ張られるんです」
「……役割?」
「心理学でいう“役割同一化”です」
ミレアは首を傾げる。
「例えば、“優しい店員”を演じ続けると、
本当にその人格が自分の一部になることがあります」
「…………」
「問題は、“演じること”そのものじゃない」
「“素の自分を出せる場所がなくなること”です」
ミレアの表情が少し止まった。
「……あ」
チヒロは続ける。
「人は、
ずっと他人に求められる顔だけをしていると、
“自分が何を感じているか”が分からなくなる」
「…………」
「だから今のミレアさんは、
壊れかけてるというより、
“疲れ切ってる”状態に近い」
ミレアの目に涙が浮かんだ。
「……じゃあ、どうしたらいいんですか」
その問いに、
チヒロはすぐ答えなかった。
理論だけなら簡単だ。
休めばいい。
距離を置けばいい。
だが、
金が必要な人間に、
“辞めればいい”は無責任だ。
だから彼は慎重に言葉を選んだ。
「まず、“本音を使う時間”を作ってください」
「……本音?」
「はい」
「誰にも好かれなくていい時間です」
ミレアは呆然としている。
「疲れたなら疲れたと言う」
「笑いたくない日は笑わない」
「可愛いって言われても、無理に返さなくていい」
「そんなので……変わりますか」
「変わります」
チヒロは静かに言った。
「人は、“本音を否定され続ける”と壊れるからです」
ルミナが横で黙って聞いていた。
チヒロはさらに続ける。
「あと、“相手に好かれること”を仕事にすると、
自己肯定感を他人へ預けやすくなります」
「…………」
「指名が増えた日は安心して、
減った日は自分に価値がない気がする」
ミレアの肩が震えた。
「……それ、今の私です」
「だから必要なのは、
“評価されない自分”でも大丈夫な場所です」
そこでルミナが口を開いた。
「……なら、職員室に来い」
「え?」
「最近、お前いつも一人で飯食ってるだろ」
「な、なんで知って……」
「見てれば分かる」
ルミナはぶっきらぼうに続けた。
「教師どもは変人ばかりだが、
少なくとも“売上”ではお前を見ない」
「…………」
ミレアの目から涙がこぼれた。
「……なんで、そんな優しいんですか」
ルミナは少し困った顔をした。
「優しいのは、こいつだ」
そう言って、
チヒロを指差す。
「え、俺ですか?」
「お前は理屈っぽいが、
こういう時だけ妙に人間臭い」
「悪口です?」
「半分は」
ミレアは泣きながら笑った。
その笑顔を見て、
チヒロは少し安心する。
理論だけでは、
人は救えない。
だが。
理論があるから、
“傷ついている理由”を言葉にできることもある。
それを彼は、
少しずつ知り始めていた。




