2.異世界への転生
その時だった。
──ゴォン。
低く、腹の底に響くような音が鳴った。
最初は雷かと思った。
だが違う。
音は空全体を軋ませるように鳴り続け、講義室の窓ガラスが激しく震え始めた。
「な、何?」
「地震!?」
学生たちがざわめく。
次の瞬間。
空が、裂けた。
文字通り、である。
窓の向こう側。
曇天だったはずの六月の空に、巨大な亀裂が走っていた。
白い。
いや、紫色とも違う。
見たこともない光が空を引き裂き、その裂け目の奥で何か巨大なものが脈動している。
「は……?」
教室中が凍りつく。
私は反射的に窓際へ走った。
学生たちも席を立ち始める。
だが。
空の裂け目から、“声”が聞こえた。
耳ではない。
脳へ直接流し込まれるような声。
『感情位相、接続開始』
意味が分からない。
だが全身の毛穴が総立ちになる。
次の瞬間、宮下が叫んだ。
「先生ッ!!」
私は振り返る。
教室中央。
空間が歪んでいた。
蜃気楼のように景色が波打ち、学生たちの身体がノイズみたいに揺らいでいる。
「な、なんだこれは……!」
床が浮いた。
いや、重力がおかしい。
机が宙へ浮かび、チョークがバラバラと空中へ散る。
悲鳴。
怒号。
泣き声。
その瞬間、私は気づいた。
教室内の“感情”が渦になっている。
恐怖。
混乱。
不安。
感情が、空間を歪ませている。
「全員、落ち着いてください!!」
私は叫んだ。
気づけば声を張り上げていた。
「深呼吸を! パニックは集団感染します!! まず呼吸を整えてください!!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
学生たちがわずかに我に返る。
「宮下さん! 窓側から離れてください!」
「は、はい!」
だが遅かった。
裂けた空から、白い光が落ちてくる。
それは稲妻のようでもあり、巨大な手のようでもあった。
私は咄嗟に宮下へ飛び込んだ。
「先生!?」
彼女を抱えるように床へ伏せる。
直後。
世界が、白に染まった。
音が消えた。
感覚も消えた。
身体が分解されていくような浮遊感。
暗闇。
沈下。
そして──。
◇
……柔らかい。
最初に感じたのは、草の感触だった。
「……ん……」
私はゆっくり目を開けた。
青空だった。
雲一つない、異様なほど澄んだ空。
土の匂い。
風の音。
遠くで鳥の鳴き声。
「ここは……」
私は上半身を起こした。
草原だった。
一面の緑。
見たこともない巨大な樹木が遠方にそびえ立っている。
そして。
「えっ……」
私は固まった。
空に、月が二つあった。
「…………」
理解が追いつかない。
私は周囲を見渡す。
講義室はない。
学生もいない。
スマホも圏外どころか電源が落ちている。
代わりに。
目の前には、ローブ姿の少女が立っていた。
銀色の髪。
透き通るような白い肌。
そして何より──。
彼女の手の周囲には、青白い炎が浮かんでいた。
「……成功?」
少女は呟く。
そして次の瞬間。
彼女は私を見るなり、露骨に顔を引きつらせた。
「えっ、デカ……」
やめてほしい。
異世界でも第一声がそれなのか。
「ここは……どこでしょうか」
私は恐る恐る尋ねた。
少女は数秒黙り込み、警戒したように杖を構える。
「あなた、“転移者”?」
「て、転移……?」
「違う世界から来た人間ってこと」
私は言葉を失った。
風が吹く。
銀髪が揺れる。
彼女はじっと私を見つめたあと、ぽつりと言った。
「……最悪」
「え?」
「よりによって、なんで筋肉の人なのよ……」
その瞬間、彼女の手元の青白い炎が暴発した。
「危ない!」
私は反射的に少女を抱えて地面へ倒れ込む。
轟音。
爆風。
熱風が頭上を吹き抜ける。
数秒後。
少女は私の腕の中で固まっていた。
私はハッとして飛び退く。
「す、すみません!! 不可抗力で!!」
終わった。
異世界でも女性との距離感を間違えた。
私は腹を切るべきかもしれない。
しかし少女は、ぽかんとした顔でこちらを見ていた。
「……今の魔法、怖くなかったの?」
「え?」
「普通の人間なら逃げるけど」
私は答えに困った。
怖かった。
めちゃくちゃ怖かった。
だが。
「……誰かが危険そうだったので」
少女は目を丸くする。
その瞳が、初めて少しだけ柔らかくなった。
「変な人」
そう呟いた直後。
遠方から鐘の音が鳴り響いた。
ゴォン、ゴォン、と重々しい音。
少女の顔色が変わる。
「まずい、学院の結界が反応してる……!」
「学院?」
彼女は私を見る。
「事情はあと。来て」
「え、いや、ちょっと待──」
「あなた、多分この世界で放っておくと死ぬから」
あまりにも説得力のある言葉だった。
こうして私は。
恋愛経験ゼロのまま。
魔法の存在する世界へ転移し。
そして後に、
セレスアストレア魔法大学院
の講師になることになる。




