11.冷淡な感情
その時だった。
教室後方。
一人だけ、妙に冷たい感情流を持つ学生がいた。
黒い感情。
底の見えない観察眼。
そして。
口元だけが、笑っていた。
「…………」
私は思わず視線を止める。
男子学生。
灰色の髪。
整いすぎて逆に印象へ残らない顔立ち。
制服も着崩していない。
だが。
“空気への溶け込み方”が異常だった。
周囲の学生たちは、まるで彼を認識していないかのように自然に振る舞っている。
いるのに、印象へ残らない。
私は嫌な既視感を覚えた。
「先生ー?」
「あ、はい」
慌てて授業へ戻る。
「と、とにかく実践です。二人組を作ってください」
学生たちがざわつき始める。
「えー……」
「誰と組む?」
「お前来るなよ緊張するだろ」
教室中でぎこちないやり取りが始まる。
すると。
「…………」
誰とも組めず立ち尽くしている女子学生がいた。
栗色の髪。
小柄。
真面目そうな雰囲気。
だが明らかに声をかけるタイミングを逃している。
周囲を気にしすぎて動けないタイプだ。
私は軽く手を叩いた。
「はい、そこ。無理に待たない」
「ひゃっ!?」
びくっと肩を震わせる女子学生。
「“誘われるのを待つ”状態になると、人はどんどん不安になります」
「は、はい……」
「なので、“断られてもいいから自分から行く”が大事です」
彼女はおどおどと周囲を見る。
完全に怯えている。
なので私は少しだけ言い方を変えた。
「失敗しても減点しません」
「……え?」
「むしろ失敗した方が学べます」
その瞬間。
彼女の肩から少し力が抜けた。
人は、“失敗してはいけない”と思うほど動けなくなる。
だから最初に必要なのは、“安全圏”を示すことだ。
「……あ、あの!」
彼女は意を決したように近くの男子学生へ声をかけた。
「も、もしよければ組みませんか……!」
「え? あ、いいよ」
あっさり成立。
女子学生は目を丸くしていた。
私は頷く。
「今の大事です」
「え?」
「人は不安な時、“拒絶される未来”を先に想像する」
黒板へ書く。
『予測』
↓
『緊張』
↓
『行動不能』
「でも実際には、何も起きてないことが多い」
学生たちが静かに聞いていた。
「脳は“不安”を事実みたいに扱うんです」
すると前列の女子学生が手を挙げる。
「先生、それって恋愛以外でもありますか?」
「あります。むしろ全部です」
私は笑った。
「友達関係でも、仕事でも、“嫌われるかも”と思うほど不自然になる」
「うわぁ……分かる……」
「なので今日は、“安心感を与える返事”を覚えてください」
私は教室中央へ移動する。
「例えば誰かが、“実は失敗して落ち込んでて……”と言った時」
わざとらしく咳払いをした。
「悪い例いきます」
そして棒読みで言う。
「でももっと大変な人いるよ?」
「うわ最悪」
「聞きたくねぇー……」
教室がざわついた。
「これ、“励まし”のつもりで言う人多いです」
私は肩をすくめる。
「でも受け取る側は、“否定された”と感じやすい」
「……あー」
「なので最初は、“そうだったんだ”でいい」
短く。
受け止める。
それだけで人はかなり安心する。
すると。
「先生」
静かな声。
教室後方。
あの灰色髪の男子学生だった。
「それは甘やかしになりませんか?」
空気が少し変わる。
彼は微笑んでいた。
だが目が笑っていない。
「相手を否定しないばかりでは、人は成長しないのでは?」
「……良い質問です」
私は慎重に答える。
「確かに、“肯定だけ”では成長しません」
「では何故、否定しないのです?」
「順番です」
「順番?」
「人は“理解された”と感じるまで、防御を解きません」
教室が静かになる。
「正論は、安心の後じゃないと届きにくい」
男子学生はじっとこちらを見ていた。
「……なるほど」
だが。
その感情は妙に薄い。
まるで。
“人の反応を観察しているだけ”みたいな――
「君、名前は?」
私が聞くと、彼は穏やかに笑った。
「ユリウスです」
「ユリウスくん」
「はい」
「……心理学、好きですか?」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
彼の感情が揺れた。
「ええ。とても」
その笑顔を見た瞬間。
私は直感した。
この学生。
たぶん、“人の心を理解したい側”じゃない。
“人の心を使いたい側”だ。




