第11話 暁の寺とチャイナタウンとピンクのシャツ その2
初日に行く場所をリバーサイドに決めた2人はタクシーでリバーサイドにある、ワットポーを目指した。
6年ぶりに行くその風景には、古きバンコクの面影を強く感じるのだった。
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その先のショッピングビルの敷地内にある、ガネーシャと三位一体の神が祭られている祠の前に来た。
日本と比べ、宗教へのかかわりが深いタイでは、若い女性が線香を片手に、必死で願い事をお祈りしている光景をたくさん見る事が出来るのだった。
改めて日本との風習の違いを感じるのだった。
ここで、いったん休憩し、今後の行動計画を立て直すのだった。
日程・時間は、ベトナムより遥かに多いものの、大都会バンコクを効率よく回るには、ゆったりとしていられない。
明日以降は大掛かりな買い付けや人と会う約束もあるので、この日が唯一自由に動くことができる日。
店長がどうしてもリバーサイドに行きたいと言う希望があったので、相談の上、それをこの日に充てることになった。
BTSのチットロム駅からサイアム駅へ。
1駅だけBTSに乗った後、タクシーでリバーサイドのワットポーの近くにある。
“ザ・デッキ”というレストランを目指すことになった。
しかし、タクシーの運転手に行き先を伝えるが、相手にうまく通じない。
この後、似たような事に何度も遭遇するが、タクシーの運転手は基本的に英語がわからない人が多く、実のところ持っていたガイドブックには英語表記が載っているものの、タイ語表記が全くな異事に気づくのだった。
そのため、次回以降バンコクに行くときは、タイ語表記のある地図なり住所の書いてあるガイドブックが必要であることを、今回の研修でいやと言うほど痛感することになるのだった。
タクシーの運転手と2、3分ほどやり取りを繰り返し、ようやく理解したタクシーの運転手は、自信満々の表情で車を走らせた。
実は、タイには2003年以来、昨年を除いてほぼ毎年来ているのだったが、2回目以降、いつも同じようなエリアばかり行ってしまっていた。
国立競技場があるショッピングセンター“MBK”周辺に宿を構え、そこを拠点に、中華街に出掛けたり、トンローのマッサージ屋でリラックスしたり、知り合いの関係でシーロム通り周辺に留まったりと、毎回行くエリアが限られてしまっていた。
これは、ひとつにはバンコクは他の国や地域に向かうための”拠点 ”としての意味合いが強く、従来なら日本への帰国前の2日間ほどこのバンコクに滞在するので、最後の休日的な意味合いが強かった。
そのため、どうしても同じようなところを回ってしまいがちなのだが、今回はメインがバンコクである。
せっかくの大都会なのに行っていないエリアが多すぎ事に気づいたので、意図的に極力知らないところに行こうと言う大方針があった。
宿もプラトゥーナム市場の近くと言う未知のところだったので、その面でも新鮮だったが・・・。
今回のワットポー周辺は、一番最初のときに行ったものの、それは寺院の観光で行っただけであった。
もちろん今回は観光ではなく、川沿いに新しく紹介されたレストランに行くので少しニュアンスが違う。
それよりも、このエリアでさえ6年ぶりに行くのだから、意識の上では半ば新しいところに行く感覚のほうが強く感じているような気がするのだった。
鉄道の踏切を超え、小さな運河を越えると徐々にやや古い雰囲気の町並みに変わってきた。
鳥居のような形をしたブランコの広場の前を通過したかと思うと、大きなワットが次々見えてくる。
やがて白い城壁に囲まれた王宮のすぐ横まで車が進むと、店長は「いよいよ近づいてきた」と心が弾むのだった。
料理長は、本当に正しいところを通っているのか非常に気にしていたので、まだ表情は硬かったが、最も川に近い通りに入り、その先に目指すべきワットポーが見えてくると、ようやく安堵の表情に変わるのだった。
タクシーを降りると、ワットポーの前の船着場が見え、やや夕暮れが迫っている雰囲気の元、船着場の前にやや濃い色をしたチャオプラヤー川が目の前に広がった。
その先に目を送ると、白い色をしたワットアルン(暁の寺)がはっきり見えるのだった。
地図を頼りに、歩き始める。
古い町並みと昔ながらの問屋街で生活している中華系の人々。
いつも行くチャイナタウン”ヤワラート”とも一味違う、昔のバンコクの生活風景を感じるのだった。
行った時間が夕暮れどこだったためかもしれないが不思議な哀愁すら漂っていた。
歩き続けると、“ワットポー”の正面の入り口の前に到達したが、そこにはマッサージの説明が書いてあるポスターが売られていた。
“ワットポー”こそタイ古式マッサージの総本山と言われている所で、日本からも多くのマッサージ師が習いに来ている場所。
2人ともタイ古式マッサージは大好きなので、2種類のポスターを40Bで購入するのだった。