第9話:【9日目】南の岩山でのヘッドハンティングと、チョロすぎる獣人たち
快適すぎる魔導キャンピングキャリッジでのドライブは、俺の「出張」という概念を根底から覆すものだった。
前世の記憶にある出張といえば、エコノミークラスの狭い座席で腰を痛めたり、空調の効かない安いビジネスホテルで浅い眠りについたりするものと相場が決まっていた。
移動時間すらも体力と精神力をゴリゴリと削っていく、それが社畜の出張だ。
だが、この異世界での出張は違う。
完全無振動のサスペンションが荒野の悪路を平滑なアスファルトに変え、魔導空調によって常に最適な温度と湿度が保たれた車内は、まさに走るスイートルームだった。
ふかふかのソファベッドで熟睡した俺は、異世界生活9日目の朝を、信じられないほどスッキリとした目覚めで迎えた。
「おはようございます、タクト様! モーニングティーが入っておりますよ!」
「おう、村長! よく眠れたか? 俺様はこんなふかふかな寝床、生まれて初めてだったぜ!」
キャリッジのリビングスペースに出ると、すでにシルフィとガルドがくつろいでいた。
ルナも窓の外を眺めながら、尻尾をゆらゆらと揺らしている。どうやら目的地である「南の岩山」はもう目と鼻の先らしい。
「おはよう、みんな。最高の目覚めだ。長距離移動でHPが減らないって素晴らしいな」
シルフィから温かいハーブティーを受け取り、一口飲む。
体の芯から温まるのを感じながら、俺は今日の最優先タスク(ルーティン)を思い出した。
「そういえば、今日のカレンダーをまだめくっていなかったな」
俺がそう呟くと、空中にぽっかりと光の輪が生まれ、そこから見慣れた『日めくりカレンダー』がふわりと姿を現した。
どうやらこの神器、俺の拠点に固定されているわけではなく、俺の意思に呼応してどこへでもついてくる仕様らしい。本当に至れり尽くせりのツールである。
現在の表示は「残り357日」。
「さて……これから過酷な環境にいる獣人たちを迎えに行くわけだが。彼らの警戒を解き、スムーズに交渉を進めるための『カード』が欲しいところだ。頼むぞ」
祈りを込めて、ペリッと紙をめくる。
眩い黄金の光の粒子がキャリッジの車内に収束し、ズンッ、という重い音を立てて床に具現化したのは――両手鍋を三つほど合体させたような、巨大な銀色の『大鍋』だった。
『SSRアイテム【慈愛の魔導炊き出し鍋】を獲得しました』
『※少量の食材と水を入れるだけで、鍋が自動的に最高級のスープを百人分まで増幅・調理します。食べた者の心身の疲労を完全に回復させる癒やしの魔法効果付きです』
「……完璧すぎる」
俺は思わず小さくガッツポーズをした。
ルナの話によれば、彼女の一族は悪徳商人に騙され、住処を追われて岩山に隠れ住んでいるという。当然、食糧などあるはずもなく、飢えと疲労で極限状態にあるはずだ。
そんなギリギリの精神状態の相手に、言葉だけで「うちの村で働かないか」とプレゼンをしたところで、信じてもらえるわけがない。
PMの基本。それは「言葉」よりも「現物」で成果を示すことだ。
この炊き出し鍋こそ、今の俺たちに最も必要な交渉ツール(ソリューション)だった。
「よし。アサイン(役割分担)の確認だ。ガルド、シルフィ。この鍋と、氷室から持ってきた世界樹のトマト、芋をいくつか準備しておいてくれ。接触と同時に『ケータリング』を始めるぞ」
「おう! 任せとけ!」
「はいっ! 準備万端です!」
頼もしい部下たちの返事を聞き届けた直後、助手席のルナが声を上げた。
「村長! 見えました、あの大きな岩の裂け目です! あそこの奥の洞窟に、アタシの一族が隠れているはずです!」
キャリッジは減速し、ゴツゴツとした岩肌が続く荒涼たる谷間の入り口で静かに停止した。
外に出ると、乾いた熱風が頬を打つ。魔物が出没しやすい危険地帯だというのもうなずける、生命の気配が極端に薄い過酷な環境だった。
「お父さん! みんなーっ!」
ルナが谷間の奥に向かって、力の限りに叫ぶ。
すると、岩陰や洞窟の入り口から、ボロボロの布を纏った獣人たちが、警戒心を剥き出しにしてゾロゾロと姿を現した。
誰もがひどく痩せこけ、頬がこけ、目には生気が乏しい。手には木の棒や、拾ったであろう錆びた刃物を握りしめている。
その群れの奥から、ルナと同じ銀色の毛並みを持つ、大柄だがひどく疲弊した初老の獣人が進み出てきた。
「ルナ……! ルナ、無事だったか!」
「お父さん!」
彼がルナの父親であり、ウルフファング一族の族長だろう。
ルナが駆け寄ろうとするが、族長は俺とガルド、シルフィ、そして背後にある巨大なキャリッジを睨みつけ、鋭い牙を剥き出しにしてルナを庇うように前に出た。
「待て、ルナ! そいつらは人間……それにエルフとドワーフだと!? お前、まさか人間に捕まって、奴隷商人にここを売ったのか……!」
族長の悲痛な叫びに呼応し、数十人の獣人たちが殺気を放ちながらジリジリと距離を詰めてくる。
無理もない。つい先日、人間の商人に騙されてすべてを失ったばかりなのだ。未知の巨大な馬車に乗って現れた人間を、すんなり信用しろという方がどうかしている。
「違うの、お父さん! この人は違うの! 村長はアタシを助けてくれて、みんなのことも迎えに行こうって言ってくれたの!」
「騙されるなルナ! 人間はみな、我々亜人を『安価な使い捨ての道具』としか見ておらん! 甘い言葉で誘い込み、過労で死ぬまで使い潰す腹積もりに決まっている!」
族長の言葉に、俺は思わず天を仰いだ。
「使い捨ての道具」「死ぬまで使い潰す」。
前世で何度も耳にし、俺自身を過労死へと追いやったブラック企業そのもののメンタリティだ。この異世界でも、労働環境の闇は根深いらしい。
「……ルナ、少し下がっていろ」
俺は一歩前に出ると、敵意を剥き出しにする族長に向かって、あえてビジネススマイルを浮かべた。
「初めまして、族長さん。俺はタクト。荒野の真ん中で村を作っている、しがないプロジェクトマネージャーだ」
「ぷろじぇくと……何だか知らんが、帰れ! 我々は二度と人間の甘言には乗らん!」
「だろうな。あんたが俺を信用できないのは、PM(俺)のリスク管理の観点から見ても極めて正しい判断だ」
俺は肩をすくめ、後ろを振り返った。
「だから、言葉で説得するのはやめる。ガルド、シルフィ! 準備はいいか?」
「おうよ! いつでもいけるぜ!」
「タクト様、お湯が沸きました!」
キャリッジの荷台から降ろされた【慈愛の魔導炊き出し鍋】には、すでにシルフィの魔法でたっぷりの水が張られ、ぐつぐつと煮え立っていた。
俺は、氷室でキンキンに冷やして保存しておいた『世界樹のトマト』と『世界樹の芋』をいくつか取り出し、ナイフでざく切りにして鍋の中へと放り込んだ。
「な、何をしている……? 毒の煙でも撒くつもりか!」
警戒して武器を構える獣人たち。
だが次の瞬間、彼らの動きはピタリと止まった。
――ぽわぁぁぁん。
大鍋から立ち上ったのは、毒の煙などではない。
完熟した世界樹のトマトの濃厚な酸味と、ホクホクに溶けた芋の甘み、そしてセシルからこっそり分けてもらっていた岩塩の香りが混ざり合った、強烈に胃袋を刺激する『極上のスープの匂い』だった。
鍋の魔力により、たった数個の野菜が、あっという間に百人分以上の濃厚な赤いスープへと増幅されていく。
「……っ!?」
「ごくり……」
岩山に響き渡ったのは、怒号ではなく、数十人分の盛大な『腹の虫』の合唱だった。
獣人たちの尖っていた耳がピクピクと動き、武器を構えていた手が震え始める。彼らの視線はもう、俺でもルナでもなく、ただひたすらに「炊き出し鍋」へと釘付けになっていた。
「まずは食べてくれ(ランチミーティングにしよう)。話はそれからだ」
俺が木製の椀にたっぷりとスープを注ぎ、ガルドたちがそれを配り始めると、もはや族長の制止すら届かなかった。
我慢の限界を超えた獣人たちは、我先に椀を受け取り、スープを喉に流し込んだ。
「うおおおっ!? なんだこれ、美味すぎる!」
「スープが……温かいスープが、冷え切った体に染み渡る……っ!」
「おいじぃぃぃぃっ! お腹の底から、力が湧いてくる……!」
ルナが初めて俺の村でスープを飲んだ時と同じように、獣人たちは大粒の涙を流しながら、夢中で食事を平らげていく。
【慈愛の魔導炊き出し鍋】の癒やしの魔法効果は絶大だった。スープを飲んだ端から、彼らの頬に血の気が戻り、擦り傷が治り、失われていた生気と活力がみるみるうちに回復していくのが分かる。
族長もまた、震える手で椀を持ち、一口すすった瞬間にその場にへたり込んで大号泣した。
「ああ……なんという温かさだ……。我々はもう、飢えに怯えなくても良いのか……っ!」
全員のおかわりが終わり、鍋が空になる頃には、獣人たちの俺に向ける視線から「敵意」は完全に消え去り、「畏敬」と「感謝」に変わっていた。
「さて」
俺は満足げに息を吐く獣人たちを見渡し、咳払いをした。
「腹も膨れたところで、改めて『採用面接』の話をしよう」
俺はメモ帳を広げ、族長に見えるように条件を指差した。
いよいよ、PMとしての腕の見せどころだ。
「単刀直入に言う。あんたたち一族を、うちの村で全員雇いたい。村の拡大に伴って人手が足りないんだ。農業や警備、運搬作業など、君たちの高い身体能力を生かせるポジション(タスク)はいくらでもある」
族長は困惑したように耳を伏せた。
「雇う、だと……? だが人間よ、我々は着るものすら持たぬ身だ。雇うと言っても、どうせ奴隷のように無給で働かせ、ボロ雑巾のように捨てるつもりなのだろう?」
族長の言葉に、俺は深くため息をつき、首を横に振った。
「勘違いするな。俺がこの世で一番嫌いな言葉は『酷使』と『使い潰す』だ」
俺は彼らの目を見据え、はっきりとした声で「労働条件」を告げた。
「うちの村の就業規則を言う。労働は原則1日8時間、残業は一切禁止だ。週休二日は絶対に休んでもらう。給与の代わりに、三食の美味しいまかない付き、毎日入れる天然温泉(露天風呂)、そして空調完備の個室を家族全員に用意する。……どうだ?」
「…………は?」
族長だけでなく、周りで聞いていた獣人たち全員がぽかんと口を開けた。
風の音だけが、岩山を通り抜けていく。
「ざ、残業なし……? 毎日、温泉……? しかも、今みたいな美味しいご飯が、毎日食べられると……?」
「ああ。俺の目標は『最高のホワイト環境』を作ることだからな。社員(村人)に無理をさせるつもりは一切ない。健康で、長く働いてもらうことこそが、最大の利益に繋がる」
「お、お父さん! 村長は本当に良い人なの! あそこは天国だよ!」
ルナのトドメのひと押しに、族長の巨体がプルプルと震え出し――やがて、彼は地面に額を擦り付けるようにして平伏した。
「タクト様……! 我々ウルフファング一族、この命に代えても、一生あなたについていきますぅぅぅ!!」
「「「村長バンザーイ!!」」」
……驚くほどチョロい。
だが、これで念願の「大規模な労働力」の確保に成功した。言葉の説得ではなく、環境と胃袋で落とす。これが異世界流の採用活動だ。
「よし、契約成立だ。全員、このキャンピングキャリッジに乗り込んでくれ」
「こ、この箱に我々三十人が乗れるのですか?」
「中は空間拡張魔法が効いてるから余裕だ。さあ、帰って村の拡張プロジェクトを始めるぞ!」
腹を満たし、希望に満ちた獣人たちを乗せ、俺たちのキャリッジは一路ホワイト村へと帰路についた。
大勢の仲間が増えたことで、明日のカレンダーのドロップは、さらに村の発展を加速させるものになるはずだ。
(残り356日。明日は何が出る?)




