第163話:【163日目】グレイシア視点:美しき貸借対照表の裏と、牢獄の『安全第一』
「キタキタキタァァァッ! 163日目のアップデート完了! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運んでくれる最強の全自動ぐうたら執事をドロップして、この面倒な戦いを終わらせてやるッ!」
魔王城の地下司令部。 ニートの息子リオンは、モニターに映し出された占領地ホワイト村の管理映像を見ながら、クリスタルカレンダーへと飛びついた。 隣では、ピンストライプのスーツを完璧に着こなしたレイカが、昨日ネクロディアが構築した『性能測定器』の稼働ログを冷徹に検分している。
「さあ、めくるぞ!」
リオンが163日目の魔導シートを勢いよくスワイプした。
残り202日 → 201日
シートから溢れ出した白銀の光の中から現れたのは、小さな商店の帳場で使われるような、薄桃色の素朴な複写式領収書だった。
SSR【魔導・領収書綴り】
『※毎日の出納や取り引きの証明を、複写して精確に記録・発行するための高品質な魔導領収書綴りです』
「……はあ!? メジャーの次は、領収書綴りぃぃぃ!? 家計簿でもつけろってのかよッ!」
リオンが頭を抱えて叫ぶが、レイカはその領収書綴りを指先でつまみ上げ、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせた。
「ただの領収書? 違うわ、リオン。これは成果ノルマ未達の者から『暖房費』『食費』『滞在費』を未払い債務として物理的に強制徴収・即時没収する、完璧な『資産回収書』よ」
レイカは流れるような手つきで魔導回路に組み込み、財務コンソールへ接続した。
「グレイシア。この回収書を占領地全域へ即時デプロイしなさい。ノルマ未達の住人および魔物兵から、与えられていた『過剰な生活環境』をすべて債務として没収し、我が魔王軍の回収資本へ還元するのよ」
「……御意に……レイカお姉様……」
司令部の影に立つ、元ホワイト株式会社最高財務責任者のグレイシアは、胸元で細い指を強く握りしめ、静かに深く頭を下げた。
*
占領されたホワイト村の本社ビル、旧財務局長室。
160日目には「無駄のない美しきバランスシート」を作り上げ、プロの財務官としての自尊心に満たされていたグレイシア。だが、彼女の目の前のモニターには、『資産回収書』がデプロイされた直後の凄惨な現場リアルタイムログが次々と流れていた。
『オーク族第3作業班:本日の木材搬送ノルマ8%未達。暖房用魔導ヒーターおよび厚手毛布を債務として即時没収』 『ゴブリン建築隊:作業遅延につき、本日の夕食支給資格を剥奪。固形燃料の配給を停止』
「あ……あ……っ」
グレイシアは震える手で画面をスクロールした。 モニターのカメラ映像には、冷たい雨と泥にまみれながら、毛布を奪われて身を寄せ合い、ガタガタと激しく震えるオークの子供たちの姿が映し出されていた。暖房を奪われた住人たちは過労と低体温症で次々と倒れ込み、配給を停止された魔物兵たちは飢えと絶望に瞳を濁らせていた。
一分の不調和もない完璧な数理モデル。 だが、その数字を「1ビット」美しく整備するたびに、現実の人間から命の熱と笑顔が剥ぎ取られ、冷たい泥の中に捨てられている。
(これが……私の求めた『完璧な財務』……? 私の手は……こんな恐ろしい冷血な搾取で染まっていたというのですの……!?)
『数字が少々不細工になったって構わない。不足分は全額、予備費から適当に穴埋めしておけばいいんだから』
かつてタクトが微笑みながら言った言葉が、グレイシアの脳裏に雷鳴のように響き渡った。 当時のグレイシアには、それが自分の専門性を軽視する「ぬるま湯の妥協」に思えた。だが違ったのだ。タクトは数字の美しさよりも、その数字の裏にある『生きている社員の命と笑顔』を何よりも愛し、命を守るためのバッファとして予備費を使っていたのだ。
「私は……なんて愚かで、浅はかだったのでしょう……! 己のくだらない自尊心のために……タクト様の温かい優しさを踏みにじり……こんな血も涙もない悪魔の数式を描いてしまうなんて……っ!」
グレイシアは大粒の涙をポロポロとこぼし、豪華なデスクに突っ伏して号泣した。
*
その夜。 冷たい雨が降りしきる、ホワイト村の地下牢獄。
グレイシアはフードを深く被り、単身で地下深くへと降りていった。 最奥の冷たい石牢の中。巨大な鎖で拘束され、全身に痛々しい手傷を負った最高安全責任者ザンギュラが座し込んでいた。
「……グレイシアか」
ザンギュラが低く掠れた声で顔を上げた。グレイシアは胸を締め付けられ、鉄格子の前で膝をついた。
「ザンギュラ様……! お痛わしい……。私があのような軍需優先の無駄のない決算を組んだばかりに、あなたの医療手当まで凍結されて……」
「ハッ、気にすんな。俺の防衛力は世界一だ。これくらいの傷、寝れば治る」
ザンギュラは不敵に笑うと、牢屋の隅で寒さに震える若い魔物兵へ目配せした。
「おい、小僧。寒そうにしてねえで、この毛布を使え。俺は体がデカいから寒さには強いんだ」
「え……? でも、あなたは囚人で……」
「バカ言え。冷えと過労は万病の元だ。『安全第一』を怠る奴に、良い仕事はできねえ。いいから着とけ」
見張りの魔物兵は、理不尽なノルマを課すレイカよりも、温かい気遣いを見せるザンギュラの姿に感涙し、深々と頭を下げて毛布を受け取った。 牢獄という極限の状況の中にまで生きている『安全第一』と『ウェルビーイング』の光。
「グレイシア」
ザンギュラが静かにグレイシアを見つめた。
「タクト社長は生きてる。あいつは必ず、泥を啜ってでもこの村を取り戻しに来る。……あんたのその頭脳は、レイカなんぞの冷たい数式のためにあるんじゃねえはずだぞ」
「……! ザンギュラ様……っ」
グレイシアは涙を拭い、固く拳を握りしめた。彼女の瞳から迷いが消え、気品に満ちた鋭い決意の光が宿る。
(ええ……そうですわ、ザンギュラ様。私にしかできない『財務官の逆襲』を……今こそ果たしてみせますわ!)
*
自室に戻ったグレイシアは、すぐさま財務コンソールを立ち上げた。 レイカの監視システムは、一分の不調和も許さない完璧なアルゴリズムで出納ログを監視している。 だが――グレイシアは、そのレイカすら凌駕する、世界最高峰の財務スペシャリストだ。
「レイカお姉様……。あなたの描く完璧な数式にも、唯一の『計算漏れ』が存在しますの……」
グレイシアは領収書綴りの『複写機能』と『オフバランス構造』を応用し、指先を高速で滑らせた。
彼女が実行したのは、高度な金融スキームを悪用した【特別予備費迂回処理】。 魔王軍の軍需予算の端数、および『資産回収書』で没収された徴収額のデータの中に、レイカの自動監査プログラムをすり抜ける極小の計算差額を埋め込んでいく。
それは、レイカの監視の目を盗み、1000回に1回の確率で裏金として生成される、完全秘匿の特別資金。
そしてグレイシアは、その資金の送金先を、荒野に潜伏するタクトの個人端末『緊急救済口座』へと指定した。
(タクト様……! 荒野での潜伏生活、どれほど過酷かとお察しいたしますの。この資金をお使いになって、温かいスープと装備をお揃えになってくださいまし……!)
送金完了のインジケーターが画面の隅で密かに点滅する。
(私は……もう二度と、自分のプライドのために大切なものを裏切りませんわ。タクト様……あなたがこの村を取り戻されるその日まで、私はこの冷たい数式の中で、密かにあなたを支え続けます……!)
美しき財務官の密かな反撃が、静かに、しかし確実に始まった。
(残り201日。明日は何が出る?)
【163日目時点の主要キャラクター紹介】
■ タクト(ホワイト株式会社 代表取締役(兼PM)) 状況:荒野の隠れ家で再起を図る。三幹部喪失の悲劇を乗り越え、泥臭き現場の絆と共にホワイト村奪還を誓う。
■ シルフィ(社長秘書) 状況:荒野でタクトを懸命に支える。崩壊の絶望を乗り越え、社長と共に村へ帰還する日を信じ抜いている。
■ グレイシア(魔王軍 最高財務責任者(元・ホワイト会社CFO)) 状況:成果主義の惨痛な現場に涙し覚醒。高度な決算トリックで魔王軍の裏予算をタクト側へ秘密送金し、裏からの支援を開始した。
■ ネクロディア(魔王軍 最高技術責任者(元・ホワイト会社CDO)) 状況:成果主義による弟子たちの切り捨てに激怒・覚醒。レイカのシステム深層にタクトだけが起動できる『隠しバックドア』を極密裏に構築した。
■ シオン(魔王軍 最高情報責任者(元・ホワイト会社CIO)) 状況:『世界全知監視網』で大陸全域を完全監視。『全知の影』として解き放たれた情報支配力を発揮している。
■ ザンギュラ(CSO(最高安全責任者)) 状況:一人で魔王軍を食い止め捕縛される。魔王城の牢獄に繋がれながらも、持ち前の『安全第一』で看守の魔物兵たちを感化させつつある。
■ 黒崎(見習い清掃員(元ブラックCEO)) 状況:荒野の隠れ家でタクトをサポート。元ブラックCEOとしての勝負勘を生かし、逆襲のゲリラ作戦を計画中。
■ スー(清掃局長) 状況:スライム隊を率いて荒野の隠れ家と村をつなぐ地下ルートを維持し、反撃の機会を伺っている。
■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者(元外資系金融MD)) 状況:領収書綴りを『資産回収書』へ魔改造し、未達者からの物理的強制徴収を実行。成果主義による冷酷な支配を深めている。




