↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
153/170

第153話:【153日目】ぬるま湯の視界と、深淵の誘惑

「キタキタキタァァァッ! 153日目のアップデート完了! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運んでくれる最強のぐうたら執事をドロップしてやるッ!」


 魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」。 ニートの息子リオンは、朝カレンダーのシステムロックが解除されるやいなや、ソファからクリスタルカレンダーへと飛びついた。 隣では、ピンストライプのスーツを完璧に着こなしたレイカが、昨日までの魔改造コンソールに接続された『魔導・暗号南京錠(マナ・ロック)』のシステムログをチェックしながら、冷徹な視線をカレンダーに注いでいる。


「さあ、めくるぞ!」


 リオンが興奮に目を血走らせ、153日目の魔導シートを勢いよくスワイプした。


 残り212日 → 211日


 シートから溢れ出した白銀の光。リオンは「執事! 今度こそ執事来い!」と祈りながら光の収束を見守った。 しかし、光の霧が晴れた後に床に転がっていたのは、執事の影形すらなく、文房具のセットに入っているような小瓶入りの黒いインクだった。


 SSR【魔導・黒塗用インク(ブラック・インク)】


『※指定した書類の文字やデータを物理的・魔術的に塗り潰し、解読不能にする、ごくありふれた事務用の黒塗り用インクです』


「……はあ!? 南京錠の次は、ただの黒インクかよ! なんで俺のカレンダーからは、こんな習字の墨汁みたいなゴミばかり出るんだよッ!」


 リオンが頭を抱えてソファの上でジタバタと暴れる。 だが、そのインクの小瓶を滑らかな手つきで拾い上げたレイカは、眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、酷薄に微笑んだ。


「ただのインク? 違うわ、リオン。これは敵のログ解析システムから我が社のハッキングポートの痕跡を完全に隠滅する、完璧な『不可視塗料(ステルス・インク)』よ」


「え……? 黒インクがステルス塗料になるの?」


「ええ。このインクの魔術的遮蔽成分を、ハッキング回線のパケットデータに混入《ミックス》させるの。これにより、ホワイト株式会社のセキュリティスキャンに対し、我が社の介入ログを完全なノイズとして黒塗り《マスク》し、一切の追跡を遮断するわ。これで、彼女を引き抜くための最後の『秘匿工作』が完了したわ」


 レイカは冷徹にコンソールを操作し、手回し充電器、集音器、虫眼鏡、南京錠、そして黒塗用インクを完璧に直列接続した。 一瞬にして、ホワイト株式会社のシステム監視網からは見えない、完全不可視のバックドアが完成した。


「合理的成果主義《アップ・オア・アウト》の第六段階ね。シオン……あなたの『情報屋としての視界』が、タクトのぬるま湯の中でどれほど濁らされているか、最後の引導を渡してあげるわ」


 冷徹なビジネスの怪物の瞳に、不吉な勝利の光が深く明滅していた。


 *


 同じ日の午後。ホワイト株式会社の本社ビル。


「……ハァ……ハァ……」


 最高情報責任者(CIO)のシオンは、情報管理室のホログラムコンソールに囲まれ、一人静かに端末を見つめていた。


 昨日の夕方、タクトから「過剰な監視の禁止」と「強制有給休暇」を命じられ、彼女の端末の閲覧権限の一部は一時的にロックされていた。 タクトの命に従い、一度は部屋に戻って休もうとしたシオン。しかし、情報屋としての長年の習性と本能が、彼女の脳を休ませることを許さなかった。


「……見なくていい……。休んで……ください……」


 タクトの優しさに満ちた声が、脳裏で何度も再生される。 しかし、シオンが個人端末で外部のパブリックな魔導ニュースや市場データを密かにスキャンすると、そこには恐ろしい現実が広がっていた。


 魔王軍の『限界突破炭酸(マナ・ブースター)』による周辺市場の急激な侵食。 各支店で多発する、ネクロディアとグレイシアを失ったことによるシステム障害と財務処理の滞り。 そして、魔王城の周辺で起きている不気味な魔力波長の増幅。


「……こんなにも……世界は激変しているのに……。タクト様は私に『優しい目隠し』をして……何も見ないまま、平穏を装えとおっしゃるのですの……?」


 シオンの指先が、冷たく震えた。


 タクトは自分を思って言ってくれている。それは間違いない。 だが、外部で迫り来る圧倒的な危機や情報の嵐に対し、情報を遮断され、無知のまま安全な箱庭に閉じ込められることは、情報屋(元暗殺者)であるシオンにとって、死以上の恐怖だった。


「情報を掴まない保護なんて……ただの妄想ですの。本当の危機が来た時……無知な私たちは、ただ全滅するのを待つしかなくなりますの……!」


 シオンの瞳に、深い葛藤と悲痛な色が宿る。 タクトが与えてくれた「ぬるま湯の平穏」と「優しさ」。 だが、その視界はあまりにも狭く、情報屋としての自負と警戒心を麻痺させる『毒』のようでもあった。


 その時だった。


 消灯されていたはずの情報管理室のメインモニターに、レイカの魔改造された『不可視塗料(ステルス・インク)』によって遮蔽された、不可視のハッキング通信が静かに繋がった。


『クスクス……見事な洞察ね、最高情報責任者シオン。「真の情報」を握らない保護など、ただの気休めの妄想よ。あなたは気づいているはずだわ』


「……レイカ……お姉様……」


 通信の向こうから、レイカの冷酷で美しい声が滑り込んでくる。


『タクトは全員を「無知な子供」のまま、自分の手の届く範囲で守ろうとしている保護者に過ぎないわ。けれど、現実のビジネスも、世界の理も、そんな甘っちょろい温情では動かない。本物の危機が訪れた時、目隠しをされたあなたの仲間たちは、何が起きたかも分からずに全員討ち死にするわ』


「く……っ……!」


 シオンの胸が、激しく締め付けられる。


『私のもとに来なさい、シオン。私の設計した【世界全知監視網(データ・ドミナンス)】であれば、世界中の全ログ、全リスクをミリ秒単位で事前に察知し、完璧な統制と防衛が可能になるわ。……タクトのぬるま湯の視界で盲目として死ぬか。それとも私と共に全知の影となり、真の守護者となるか。答えは出ているはずよ』


 レイカの言葉は、シオンが最も恐れていた「無知による崩壊」という心理的トラウマを完全に射抜いていた。


「私は……私は……!」


 シオンの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。 タクトへの消えぬ感謝と恩義。 しかし、情報屋としての本能と、仲間を真に守りたいという渇望が、彼女をレイカの提示する「全知の深淵」へと引きずり込んでいく。


「……明日……最後の答えを……出しますの……」


 シオンは震える声でそう呟くと、静かに通信を切った。 暗闇の情報管理室に、一人取り残されたシオンの影が、月光の中で悲しく揺れていた。


(残り211日。明日は何が出る?)

【153日目時点の主要キャラクター紹介】


■ タクト(ホワイト株式会社 代表取締役(兼PM))

状況:シオンの身を案じて有給休養を命じたが、その「情報を制限する優しさ」が彼女の情報屋としての本能を追い詰め、「優しい目隠し」という失意を与えていることに気づいていない。


■ シルフィ(社長秘書)

状況:二幹部離脱のパニック対応に追われつつ、自室に閉じこもったままのシオンの様子を激しく懸念している。


■ シオン(CIO(最高情報責任者))

状況:タクトの「プライバシー保護(情報を制限する優しさ)」が自分を無力化する檻だと実感。レイカの提示した『世界全知監視網』の圧倒的な全知の力に惹かれ、タクトへの恩義と真の全知の間で、心が完全に引き裂かれている。


■ リオン(魔王の息子(共同経営者))

状況:153日目の朝に「黒塗用インク」を獲得。お姉様の手でそれがハッキングログ隠滅のステルス塗料へと魔改造され、シオンの引き抜きの手配が完了したことに大興奮している。


■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者(元外資系金融MD))

状況:黒塗用インクをステルス塗料へ魔改造し、ハッキング痕跡を完全秘匿。シオンの「無知への恐怖」と「全知への渇望」を完璧に突き、離反を決定づける最終手配を完了した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。