第152話:【152日目】「プライバシー保護」という名の優しい目隠し
「キタキタキタァァァッ! 152日目のアップデート完了! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運んでくれる最強の全自動ぐうたら執事をドロップしてやるッ!」
魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」。
ニートの息子リオンは、朝カレンダーのシステムロックが解除されるやいなや、ソファからクリスタルカレンダーへと飛びついた。
隣では、ピンストライプのスーツを完璧に着こなしたレイカが、昨日ドロップした『魔導・虫眼鏡』と魔改造コンソールを調整しながら、冷徹な視線をカレンダーに注いでいる。
「さあ、めくるぞ!」
リオンが興奮に目を血走らせ、152日目の魔導シートを勢いよくスワイプした。
残り213日 → 212日
シートから溢れ出した白銀の光。リオンは「執事! 今度こそ執事来い!」と祈りながら光の収束を見守った。
しかし、光の霧が晴れた後に床に転がっていたのは、執事の影形すらなく、黒い金属でできた頑丈な南京錠だった。
SSR【魔導・暗号南京錠】
『※指定したデータやファイルへのアクセスを、物理的かつ魔術的に強固に施錠・封印する、ごくありふれた防犯用の暗号南京錠です』
「……はあ!? 虫眼鏡の次は、ただの南京錠かよ! なんで俺がめくると、こんな金物屋の売れ残りみたいなゴミばかり出るんだよッ!」
リオンが頭を抱えてソファの上でジタバタと暴れる。
だが、その南京錠を滑らかな手つきで拾い上げたレイカは、眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、酷薄に微笑んだ。
「ただの南京錠? 違うわ、リオン。これは相手のセキュリティ認証プロトコルを内側から書き換えてアクセスゲートを常時解放させる、完璧な『認証突破鍵』よ」
「え……? 南京錠がハッキングの鍵になるの?」
「ええ。この南京錠の暗号固定ロジックを逆転させ、昨日までのハッキング基盤に組み込むの。これにより、ホワイト株式会社の最高情報責任者シオンの端末に対するセキュリティ認証を内側から無効化し、我が社の侵入ポートを永久に固定するわ。完璧なバックドアの確立完了よ」
レイカは冷徹にコンソールを操作し、手回し充電器、集音器、虫眼鏡、そして暗号南京錠を接続した。
一瞬にして、ホワイト株式会社の情報管理室に対する絶対的なハッキングパスが完成した。
「合理的成果主義の第五段階ね。開発と財務を失い、完全に崩壊寸前のホワイト株式会社。その最後の目であり耳であるシオン。彼女に対し、タクトの『甘ったるい優しさ』がどれほど彼女の専門性を窒息させているか、自覚させてあげるわ」
冷徹なビジネスの怪物の瞳に、不吉な勝利の光が深く明滅していた。
*
同じ日の午後。ホワイト株式会社の本社ビル。
「……ハァ……ハァ……」
最高情報責任者のシオンは、情報管理室の無数のホログラムコンソールに囲まれ、青ざめた顔でキーボードを叩き続けていた。
CDOネクロディアとCFOグレイシアという二大幹部が相次いで離反してから、すでに三日が経過していた。
開発と財務の要を同時に失ったホワイト株式会社のシステムは、各地で微細なバグや処理の遅延を噴き上げさせていた。
「……各支店からの通信エラー、12,000件。……予備費の自動決済エラー、4,500件。……すべて、私がソートし、手動で補正しますの……」
シオンの涼しげだった瞳には濃いクマが刻まれ、指先は摩擦熱で震えていた。
元暗殺者として、かつては闇の中で孤独に耐えてきた彼女だったが、二幹部の離脱によって爆発した膨大な情報処理は、彼女の一人の能力のキャパシティを限界まで超えつつあった。
「タクト様を……これ以上苦しめさせませんの。私を……あの暗殺者という惨めな泥沼から救い出してくださったタクト様のために……私が、この会社を支えますの……!」
タクトへの深い恩義と忠誠心。それが、倒れそうな彼女の体を必死につなぎ止めていた。
「シオン! いい加減にしなさい!」
突然、情報管理室の自動ドアが開き、温かいハーブティーを持ったタクトが駆け込んできた。
タクトは、画面にしがみついて血走った目でログを処理しているシオンの姿を見て、息を呑み、深い痛ましさに表情を歪めた。
「タクト様……! ちょうど良かったですの! ご覧ください!」
シオンは縋るような目で、ホログラムの緊急提案書をタクトの前に展開した。
「全社員の行動ログ、思考波長、およびプライベート端末の通信データを常時リアルタイムで完全トラッキングする『予防監視プロトコル』の仕様書ですの! これを起動すれば、次に誰が不審な動きをしているか、誰が離反しようとしているかを、100%事前に察知できますの! 私に、全社員の全ログ閲覧権限をください!」
シオンは、これ以上仲間が失われるのを防ぐため、全知の監視によって危険を摘み取ろうと必死に訴えた。
しかし――タクトは、悲しそうに、そして強く首を振った。
「ダメだ、シオン。その提案は承認できない」
「な……なぜですの、タクト様!? 情報を掴まなければ、また誰かが裏切って、タクト様が傷つくかもしれないのですの!」
「社員のプライバシーを侵害し、個人の自由や思考まで監視するような真似は、我が社の理念である『心理的安全』を根底から破壊する。そんなことをして守る楽園なんて、どこにもないんだ」
タクトの瞳には、一分の濁りもない、社員全員の尊厳と自由を守ろうとする「真の優しさ」があった。
「それに、シオン。君の精神疲労と魔力残量は、もう完全にレッドゾーンだ。仲間を守るために君自身が壊れてしまったら、元も子もないんだよ」
タクトはシオンの震える肩に、優しく手を置いた。
「過剰な監視は禁止だ。そして、君は今すぐコンソールをシャットダウンして、有給をとって休んでくれ。……これはお願いじゃない、PMとしての『命令』だ」
「タクト様……。ですが、私がログを見なければ……!」
「いいんだ。会社がどうなろうと、俺が何とかする。だから君は、自分の身を一番に考えて休んでくれ」
タクトは心からの温かい笑顔を浮かべ、彼女を休ませるために、静かに部屋を後にした。
*
タクトの足音が遠ざかり、静まり返った情報管理室。
ホログラムの明滅する暗闇の中で、シオンは一人、ポツンと立ち尽くしていた。
「……見なくていい……。過剰な監視は禁止……。休んで……ください……」
彼女の口から、乾いた声が漏れ出た。
タクトの言葉には、何一つ悪意はなかった。純粋に彼女の体を気遣い、社員の尊厳を守るための、極上の「温情」だった。
だが――「世界中のあらゆる真実を追い、影から危険を察知する」ことに己の存在意義とプロフェッショナリズムを懸けてきたシオンにとって、その言葉は鋭利な氷の刃となって、彼女の魂を深く抉った。
(タクト様は……私に『目隠し』をして、安全な箱庭で眠っていろとおっしゃるのですの……?)
危険な真実から目を背け、プライバシー保護という甘ったるいお題目の下で、見たい情報だけを見て平穏を装え。
それは、彼女の「情報屋」としての専門性を全否定し、ただの無力な子供として安全な檻に閉じ込めようとする「優しい目隠し」に他ならなかった。
「……タクト様。情報は……見ないフリをしても、消えはしませんのよ……」
シオンの涼しげな目から、大粒の透明な涙がポロポロとこぼれ落ち、冷たいキーボードを濡らした。
その時だった。
消灯したはずのメインコンソールに、レイカの魔改造された『認証突破鍵』が静かにアクセスし、青白いノイズと共にハッキング通信が繋がった。
『クスクス……かわいそうなシオン。「見なくていい」「プライバシーを守れ」。彼の言葉は、本当に「優しい」わね』
通信の向こうから、レイカの冷酷で美しい声が響く。
「……レイカ、お姉様……」
『タクトはあなたを信頼しているのではなく、あなたに真実が見えてしまうのを恐れているだけよ。彼にとって、あなたの高度な情報収集能力なんて「危険な玩具」に過ぎないの。……見やすい檻の中で、盲目として甘やかされて死ぬか。それとも私と共に、世界中のすべての真実を白日の下に晒す「全知の影」となるか。決めなさい、シオン』
レイカの冷徹な誘惑の言葉が、シオンの引き裂かれた心へと、静かに、そして決定的に突き刺さるのだった。
(残り212日。明日は何が出る?)
【人物紹介】
■ タクト(代表取締役兼PM)
状況:不眠不休で疲弊するシオンを心から心配し、「過剰な監視の禁止」と「強制休養」を命じる。しかし、その優しさが彼女の「情報屋としての誇り」を傷つけ、「優しい目隠し」という檻として捉えられていることには気づいていない。
■ シルフィ(社長秘書)
状況:二幹部離脱によるパニック対応を継続中。情報管理室で一人思い悩むシオンの様子に、不吉な胸騒ぎを感じている。
■ シオン(CIO)
状況:タクトの「プライバシー保護」「見なくていい」という優しさによって専門性を否定されたと感じ、深い失意へ。レイカの提示した『世界全知監視網』への抗いがたい全知の欲求と、タクトへの恩義の間で、心が決定的に引き裂かれつつある。
■ リオン(魔王の息子/共同経営者)
状況:152日目の朝に「暗号南京錠」を獲得。お姉様の手でそれが認証突破鍵へと魔改造され、シオンの端末への永久バックドアが固定されたことに大喜びしている。
■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者)
状況:南京錠を認証突破鍵へ魔改造し、バックドアを完全固定。タクトの「プライバシー保護(優しい目隠し)」の脆さを突き、シオンの離反を決定づける最終手配を進めている。




