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第148話:【148日目】ぬるま湯の決算と、完璧な数式の誘惑

「キタキタキタァァァッ! 148日目のアップデート完了! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運んでくれる最強の全自動ぐうたら執事をドロップしてやるッ!」


 魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」。


 ニートの息子リオンは、朝カレンダーのシステムロックが解除されるやいなやクリスタルカレンダーへと飛びついた。


 隣では、ピンストライプのスーツを完璧に着こなしたレイカが、昨日ドロップした『魔導・手回充電器(マナ・ダイナモ)』と『魔導・精密算盤(マジック・アバカス)』をケーブルで接続し、冷徹な視線をカレンダーに注いでいる。


「さあ、めくるぞ!」


 リオンが興奮に目を血走らせ、148日目の魔導シートを勢いよくスワイプした。


 残り217日 → 216日


 シートから溢れ出した白銀の光。リオンは祈りながら光の収束を見守ったが、現れたのは、一見すると文房具屋の隅に置いてあるような地味な金属製のホッチキスだった。


 SSR【魔導・卓上ホッチキス(マナ・ステープラー)】


『※数十枚の魔導書類や概念的なデータを、一瞬で物理的・魔術的に強力に綴じ合わせ、データの散逸や改ざんを完全に防ぐ高品質な卓上ホッチキスです』


「……はあ!? 充電器の次は、ホッチキスかよ! なんで俺がめくると、こんな事務用品のゴミばかり出るんだよッ!」


 リオンが頭を抱えてソファに転がり、不満を爆発させる。


 だが、そのホッチキスを滑らかな手つきで拾い上げたレイカは、眼鏡の奥の切れ長の瞳を妖しく輝かせ、冷徹に微笑んだ。


「ただのホッチキス? 違うわ、リオン。これは敵の財務決算の補正プロセスを一瞬で凍結し、我が社の自動決算プロトコルを固定するための、完璧な『財務固定具(ステープル・ハック)』よ」


「え……? これで決算が固まるの?」


「ええ。このホッチキスの魔術的固定力を、手回し充電器のインジェクション回路に噛ませるの。これにより、ホワイト株式会社が不細工な赤字を隠すために行おうとしている『予備費による補填申請』を物理的にフリーズさせ、歪んだ決算データを市場へ強制確定させる。完璧な『決算ロック(フリーズ・アウト)』の完了よ」


 レイカは冷徹にコンソールを操作し、ハッキングの最終段階を完了させた。


「合理的成果主義(アップ・オア・アウト)の第三段階ね。タクトのぬるま湯の温情が、彼女の専門性をどこまで傷つけるか……グレイシア、あなたの誇りが崩れ去る瞬間を見せてあげるわ」


 冷徹なビジネスの怪物の瞳に、不吉な勝利の光が怪しく明滅していた。


 *


 同じ日の午後。ホワイト株式会社の本社ビル。


「……ハァ」


 最高財務責任者(CFO)のグレイシアは、フリーアドレスのラウンジに置かれた、特注の「魔導コタツ」の中で、青ざめた顔で決算コンソールを叩き続けていた。


 手元の魔導端末に表示されているのは、今期の暫定決算データ。


 しかし、そこに並ぶ数字は、彼女がこれまで命を懸けて構築してきた「一分の隙もない完璧な貸借対照表(バランスシート)」とは程遠い、惨散たる惨状だった。


 原因は、一昨日の深夜にCDOネクロディアが離反したことによるシステムダウン、およびその穴埋めのための緊急外注費の肥大化だ。人件費と外注費が前日比で爆発的に跳ね上がり、財務のバランスは完全に崩壊していた。


「不細工……あまりにも不細工な数字ですわ。このような不調和なバランスシートを放置するなど、財務官としての私の誇りが許しませんの……!」


 グレイシアは、落ちきった魔力数値を無視し、徹夜同然で数字の平準化(決算修正)を試みていた。完璧な数字の調和、美しき数式の結晶。それこそが、彼女がこの会社で担うべき「最高の専門性」であり、存在価値だったのだから。


「グレイシア。まだ仕事をしていたのか」


 そこへ、温かいエスプレッソの入ったカップを持ったタクトが、心配そうな表情で歩み寄ってきた。


「タクト様……! ちょうど良いところへ。ご覧ください、現在の外注費肥大による決算の歪みですわ。ですが、諦める必要はありませんの! 今すぐ非根幹の住民サービスを一部停止し、予算を組み直せば、まだ今期の数字は『美しさ』を取り戻せますわ!」


 グレイシアは、縋るような思いでホログラムの修正案を提示した。しかし、タクトは深く溜息を吐き、優しく首を振った。


「グレイシア、もう修正作業はストップしてくれ。君の魔力数値も精神疲労も限界だ。顔色も最悪じゃないか」


「ですが、タクト様! この不細工な赤字とコストの暴走を放置したまま決算を確定させるなど、財務官として絶対に受け入れられませんの!」


「無理をしないで、コタツで休んでいてくれ」


 タクトの瞳には、一分の偽りもない、純粋な「部下への思いやり」が宿っていた。


「予算の数値合わせや決算の乱れなんて、後回しでいいんだ。社員の笑顔と、君の健康(ウェルビーイング)が何よりも優先なんだよ。数字が少々不細工になったって構わない。不足分は全額、会社の予備費(マナ・リザーブ)から適当に穴埋めしておけばいいんだから」


 タクトはそう言って、グレイシアの肩を優しく叩いた。


「君が倒れたら元も子もない。今日はもう数字のことは忘れて、温かいスープでも飲んで休んでくれ。これは『お願い』じゃなく、PMとしての『命令』だ」


 タクトは心からの笑顔を浮かべ、彼女を休ませるためにその場を後にした。


 しかし――。


 タクトの足音が遠ざかった静かなラウンジで、コタツの中に残されたグレイシアは、全身を凍りつかせたように動けなくなっていた。


「……後回しでいい……?」


 彼女の口から、掠れた声が漏れ出た。


「不細工な数字のまま……予備費で適当に穴埋めすればいい……ですの……?」


 タクトの言葉には、一分の悪意もなかった。本当に彼女の体を心配し、彼女を休ませたい一心での「極上の温情」だった。


 だが――財務のプロフェッショナルとして「完璧で美しい数字」を描くことに自分のプライドと存在価値を懸けてきたグレイシアにとって、その言葉は鋭利な刃となって彼女の胸を深く抉った。


(私の専門性なんて……私の描く数字の美しさなんて、この会社にとっては『どうでもいいこと』だったのですの……?)


 数字の乱れを放置して休め。不細工な赤字は、温情という名の適当な予算で泥塗りに穴埋めしておけ。


 それは、彼女の専門性(プロフェッショナリズム)を完全に否定し、「数字を乱す無能な存在」として優しく隔離されることに他ならなかった。


「……タクト様。それは、私への……最大の侮辱ですわ……」


 グレイシアの宝石のような瞳から、光が消えた。彼女は言葉もなくコタツの中に深く潜り込み、膝を抱えて、温かいはずのコタツの中でガタガタと震えた。


 *


 その日の深夜。「定時退社」のルールにより、完全に静まり返った本社ラウンジ。


 暗闇のコタツの中で、丸くなったまま微動だにしないグレイシアの網膜UIに、突如として青白いノイズが走り、ハッキング通信が接続された。


『クスクス……かわいそうなグレイシア。「不細工な数字のまま休め」「予備費で適当に穴埋めすればいい」。彼の言葉は、本当に「優しい」わね』


 通信の向こうから聞こえてきたのは、魔王軍臨時CEO――レイカの、冷酷で美しい声だった。


「……レイカ、お姉様……」


『タクトは全員を一律で救う「善人」でありたいだけ。そのために、あなたの愛する数理の美を容赦なく汚し、あなたに「妥協」を強いているのよ。彼にとって、あなたの高度な財務能力なんてどうでもいいの。「笑顔でコタツに入っている置物」でいてくれれば、それで満足なのよ』


 レイカの言葉が、グレイシアの心の傷口に容赦なく塩を塗り込む。


『でも、私の成果主義(アップ・オア・アウト)の金融スキームでは、あなたの完璧な決算能力こそが最高の価値を持つわ。見てみなさい、これが成果を出した者だけに真の投資が集中する、無駄が1ビットすら存在しない完璧な決算モデルよ』


 ホログラムで展開された、神々しいまでに洗練された魔王軍の財務シミュレーション。そこには、不細工な穴埋めも、泥臭い妥協も一切存在しない。すべての数値が一分の狂いもなく調和し、結晶のように美しく輝いていた。


「ああ……っ! なんという……なんて美しく、完璧な数式……っ!」


 グレイシアの目から、大粒の透明な涙(氷の粒子)がポロポロとこぼれ落ち、コタツの布団を濡らした。


「私は……私はただ……完璧で美しきバランスシートを描きたかっただけなのに……! なぜタクト様は……私に泥を塗るような妥協を強いるのですの……っ!」


『タクトの優しさは、あなたの才能を殺す甘ったるい檻よ。明日が、契約移行の最終デッドライン。不細工な数字に泥を塗られたまま、無能として甘やかされて死ぬか。それとも私と共に、最高美の数式を描くか。決めなさい、グレイシア』


 レイカの冷徹な、しかし絶対的な誘惑の言葉が、グレイシアの閉ざされた心を完全に射貫くのだった。


(残り216日。明日は何が出る?)

【人物紹介】


■ タクト(代表取締役兼PM)

状況:疲弊したグレイシアを心から心配し、「数字は後回しでいい」と強制休養を命じる。しかし、その善意の言葉が、財務のプロとしての彼女のプライドを決定的に打ち砕いたことには気づいていない。


■ シルフィ(社長秘書)

状況:ネクロディア離反に伴う外注費の増加手続きを処理中。コタツの中から出てこなくなったグレイシアの「深い絶望」を感じ取り、胸騒ぎを募らせている。


■ グレイシア(CFO)

状況:タクトの「数字は後回しでいい」という優しさにより、自身の専門性と存在価値を否定されたと感じて失意のどん底へ。レイカの提示した「完璧な数理モデル」への抗いがたい渇望に魂を奪われつつある。


■ リオン(魔王の息子/共同経営者)

状況:148日目の朝に「卓上ホッチキス」を獲得。お姉様の手でそれがホワイト社の決算補正をフリーズさせるハッキングツールへと魔改造され、大喜びでお菓子を食べている。


■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者)

状況:ホッチキスを財務固定具へと魔改造し、ホワイト社の決算補正をロック。タクトの「優しさ」によって傷ついたグレイシアのプライドを完璧にハックし、離反を決定づける最終手配を完了した。

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