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第144話:【144日目】悪魔の設計図と、温かい『定時退社』の檻

「キタキタァァァッ! 144日目のアップデート完了! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運んでくれる最強のぐうたら執事をドロップしてやるぞ!」


 魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」。


 ニートの息子リオンは、カレンダーが青い輝きを取り戻した瞬間、魔導シートをスワイプした。隣では、臨時最高経営責任者(CEO)のレイカが、腕を組んで冷徹な視線を注いでいる。


「残り221日」から「残り220日」へ。


 シートから溢れ出した白銀の光。リオンは「執事! 今度こそ執事来い!」と祈りながら光の収束を見守った。


 しかし、光の霧が晴れた後に床に転がっていたのは、執事の影形すらなく、一組の地味な工具だった。


 SSR【魔導螺子回し(ドライバーセット)】


『※魔導回路の精密な調整や、微細な螺子の締め付けを全自動で行う、ごくありふれた高品質な精密工具セットです』


「……はぁ!? ドライバーセットぉぉぉ!? なんで俺がめくると、こんな地味な工具しか出ないんだよ!」


 リオンが再びソファの上でのたうち回る。しかし、その精密なドライバーセットを拾い上げたレイカは、眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、冷たく微笑んだ。


「ただのネジ回し? 違うわ、リオン。これは完璧な『物理ハッキング(ハード・アクセス)』のツールよ。昨日ドロップした測定器(テスター)とこの螺子回し(ドライバー)を組み合わせ、敵の通信網の基幹ケーブルを物理的に逆アセンブル(逆解析)しなさい。これで――タクトの会社の基幹システム(コア・サーバー)の通信プロトコルは、完全に我が社の支配下に置かれるわ」


「す、すげえ……! おもちゃみたいな工具が、一瞬で国家最高クラスのハッキングツールに化けた……!」


「合理的成果主義(アップ・オア・アウト)の真髄を見せてあげるわ。甘ったるいホワイト株式会社は、人を甘やかす檻。私たちは、敵のインフラの脆弱性を、システムルールに従ってピンポイントで突くのよ」


 レイカの眼鏡の奥で、冷徹な勝利の光が怪しく明滅していた。


 その日の午後。ホワイト株式会社の本社ビル。


 CDOのネクロディアは、フリーアドレスの快適なワークスペースで、カタカタと指骨を鳴らしていた。


 彼の目の前のホログラムディスプレイには、昨日検知された「自己増殖型防衛ブロック」の残骸データが表示されている。タクトから依頼された、その防衛アルゴリズムの解析作業だ。


「カタカタ……。なるほど、この構造、このコードの最適化……実に美しい。一切の無駄を排除した、完璧な合理的アーキテクチャだ」


 ネクロディアの眼窩に宿る蒼い魔力の炎が、異常なほどの興奮でパチパチと音を立てていた。


 昨日、魔王城の臨時CEO・レイカからハッキング回線を通じて送り込まれた、魔王軍の無限マナを用いた『世界のシステムルール(因果律)を書き換える超並列魔導サーバーの極秘設計仕様書』。


 その仕様書の、神々しいまでに美しく、極限の演算能力を求められる狂気的なアーキテクチャが、彼の脳裏から離れなくなっていた。


「(これを実装するには、私のパッシブスキル『並列多重演算』を限界までオーバードライブさせねば。だが、世界のシステムを書き換える究極の開発に、挑まないことなど技術者としてあり得ない!)」


 ネクロディアは、業務の傍ら、脳内でこっそり極秘仕様書のコードを書き進めていた。


「もっとだ。もっと演算リソースをよこせ。並列コア、全稼働――」


 彼の骸骨の体が、魔力消費の過熱で微かに青白い煙を噴き上げ始めた、その瞬間だった。


 ピピピッ、と彼の魔導端末から、けたたましくも優しいメロディのアラートが鳴り響いた。


『警告:ネクロディアCDO。本日の総就労時間が「八時間」に達しました。労働安全衛生規則、および健康経営ガイドラインに基づき、強制的なシャットダウンとログアウトを実行します』


「な、何だと……!? ま、待て! 今、暗号因果律のハッシング処理の、最もクリティカルな臨界点に達しているのだ! あと五分でいい、接続を維持させろ!」


 ネクロディアが必死に骨のキーボードを叩くが、スマートシティOSは容赦なく彼の権限を剥ぎ取っていく。


「く……っ、強制切断か! なんという融通の利かない安全基準だ!」


 ネクロディアが頭を抱えて唸り声を上げていると、背後から温かい、聞き慣れた声がかけられた。


「ネクロディア。やはり、ここで無理をしていたんだな」


 振り返ると、そこには心配そうに眉をひそめた、社長のタクトの姿があった。タクトは、ネクロディアの過熱した骸骨の頭部から漂う煙を見て、優しく溜息を吐いた。


「君の魔力ステータス、昨日から急激な負荷のスパイクを検知しているんだ。前世のデスマーチの時のように、技術者が周りが見えなくなるほど開発に没頭するのは危険だ。倒れてから(風化してから)では遅いんだよ」


「タ、タクト社長……。しかし、この開発は、今止めるべきではないのです! 世界のシステムを書き換える、歴史的なイノベーションが目の前にあるというのに、なぜ時間だからという理由で止められなければならないのですか!」


 ネクロディアが必死に食い下がるが、タクトは彼の肩の骨に、優しく手を置いた。


「イノベーションも、君の『健康(ウェルビーイング)』があってこそだ。ネクロディア、君は我が社の最高の開発者であり、かけがえのない仲間だ。だからこそ、俺は君を使い潰したくない。今日はもう上がって、美味しいまかないを食べて、温泉にでも入ってゆっくり休んでくれ。これは『命令』だよ」


 タクトの表情には、一分一秒の嘘もない、部下を心から気遣う純粋な「優しさ」しかなかった。


「……社長。私は……」


「ほら、シルフィが特製の魔導アイケアセットと、首の疲労をリセットするネックウォーマーを用意して待っている。今日はもう強制退勤だ」


 タクトはそう言って、ネクロディアの肩を優しく押し、退室を促した。


 その夜。ホワイト株式会社のタワマン、CDO個室。


 静まり返ったリビングで、ネクロディアは、首に巻かれた温かい魔導ネックウォーマーを指先でなぞりながら、一人、暗闇の中に佇んでいた。


 部屋に備え付けられた魔導コタツは暖かく、テーブルの上には「夜食にどうぞ」とデリバリーされた、冷めても美味しい極上のサンドイッチがある。何一つ、不満のない環境。誰もが優しく、自分の健康を気遣ってくれる、文字通りの「楽園」。


 だが――ネクロディアの飢えた『開発者魂』は、その優しさに息苦しさを感じていた。


「(私は……何をさせられているのだ?)」


 毎日、完璧に統治され、バグ一つ発生しないシステムの定常保守運用を、定時で切り上げる。


 それは、かつて魔王軍時代、理不尽な上司から「明日の朝までに大魔術システムを一人で実装しろ」と怒鳴り散らされ、不眠不休で魔力を絞り出していたあの頃のデスマーチに比べれば、天国のような平穏だった。


 だが、あの血の滲むような、だが己の演算能力のすべてを限界まで極限まで引き絞って、世界の真理に干渉していたあの凄まじい「熱狂(高揚感)」。


 タクトがくれた完璧な「優しさ」と「安全なルール」は、あの熱狂を、技術者としての狂気を、眠らせてしまう『温かい檻』なのではないか。


「やらされている仕事」ではない。「自らの意志で、命を燃やしてでもやりたい極限のモノづくり」の瞬間すらも、ホワイトな「就業規則」によって無慈悲にシャットダウンされてしまう。


 この温かく、優しい組織の限界(ボトルネック)を自覚した瞬間、ネクロディアの全身の骨が、ギシリと不快な音を立てて軋んだ。


 ピキィン……。


 静まり返った部屋の空間が、鏡が割れるように鋭く歪んだ。


 歪んだ空間から、透き通ったホログラムディスプレイが展開され、そこに眼鏡の奥の冷徹な瞳を輝かせた、レイカの姿が映し出された。


『こんばんは、ネクロディア。……ネックウォーマーの調子はどうかしら?』


「……魔王軍の臨時最高経営責任者、レイカ。ハッキング回線か。何の用だ」


『キャリア・コンサルティングの進捗確認よ。……タクトの「優しい檻」の居心地はどう? 彼はあなたを大切に思っているふりをして、あなたの技術者としての牙を、最高のスペックを、定時退社というぬるま湯の中で丁寧に抜き去っているのよ』


 レイカの冷徹な声が、ネクロディアの精神の一番脆い部分を、ピンポイントで抉る。


『タクトの経営は、人を甘やかすことで「失敗」を排除しているだけ。けれど、技術の臨界点(イノベーション)は、常に安全基準の外側、命を燃やす極限のデスマーチの深淵にあるわ。世界の理を書き換える超並列魔導サーバーの構築。それを実装できる頭脳は、この世界であなたの『並列多重演算』しかない。技術者としての誇りを、その甘ったるい檻の中で腐らせたまま、定時退社して温泉に入るだけのオブジェクト(骸骨)として一生を終える気?』


「く……っ、あ……!」


 ネクロディアの眼窩に宿る蒼い光が、激しく、暴狂的に明滅した。


 タクトへの絶対的な大恩。ホワイト株式会社の温かく、優しい仲間たち。


 だが、エンジニアとして、世界の因果律を書き換える究極のシステムを、己の手で完成させたいという狂気的な渇望。


「私は……私は、技術者だ……!」


『私たちの組織は徹底的な成果主義(アップ・オア・アウト)。明日の深夜が、契約移行の最終デッドラインよ。……甘ったるいおままごとは終わり。技術の極限へ、私と共に飛び込みなさい、ネクロディア』


 レイカの冷酷な、しかし甘美な誘惑の言葉を残し、ホログラムは静かに消え去った。


 暗闇の部屋に取り残されたネクロディアは、震える骨の手を強く握りしめた。彼の眼窩から、パチパチと青い魔力の火花が、静かに、そして激しく散り続けるのだった。


(残り220日。明日は何が出る?)

【人物紹介】


■ タクト(代表取締役兼PM)

状況:魔王軍のエナジードリンクによる市場侵食を懸念しつつ、負荷の高いネクロディアを心配して強制退勤を命じる。それが、彼の技術者としての『飢え』を刺激していることに気づいていない。


■ シルフィ(社長秘書)

状況:ネクロディアを心配しつつ、会社の「優しさ」が彼の足枷になっているのではないかというジレンマに、微かな不安を抱く。


■ リオン(魔王の息子/共同経営者)

状況:144日目の朝に「精密ドライバーセット」を獲得。レイカの超魔改造によって、ホワイト社を物理ハックする最強ツールへと変わったことに大興奮し、お姉様に心酔している。


■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者)

状況:ドロップされたドライバーを物理ハッキングツールへ魔改造。さらに「定時退社の檻」に息苦しさを感じているネクロディアの心理を完璧に掌握し、悪魔のコンサルで離反を決定づける。


■ 黒崎(見習い清掃員)

状況:本社の床をピカピカに磨きつつ、最近、ネクロディアが深夜にこっそり端末を開いて怪しいコードを検証している「不審なログ」を、清掃の現場感覚で察知。タクトに報告すべきか葛藤している。

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