第143話:【143日目】不穏なシステム負荷と、眠れる『開発者魂』
「キタキタキタァァァッ! 143日目の日付更新! 今日こそ、俺のためにポテチとゲームを運ぶ最強の全自動ぐうたら執事をドロップしてやるッ!」
魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」。
ニートの息子リオンは、カレンダーが青く輝くやいなやソファから飛び起き、143日目の魔導シートを勢いよくスワイプした。
昨日の「玩具のブロック」を、臨時最高経営責任者(CEO)のレイカが一瞬で鉄壁の防衛境界壁へと魔改造し、ホワイト株式会社のドローンを完璧にシャットアウトしたことで、リオンは「お姉様さえいれば一生安泰だ」と確信していた。
「残り222日」から「残り221日」へ。
シートから溢れ出した白銀の光。
リオンは「執事! 執事来い!」と祈ったが、光が晴れた後に床に転がっていたのは、執事の影形すらなく、奇妙なメーターと金属端子が付いた、手のひらサイズの小さな測定器だった。
SSR【魔導・回路測定器】
『※魔力回路を流れる電流や周波数、システム全体の負荷状況を精密に検知・可視化する携帯型の測定器です』
「……はぁ!? なんだよこれ、ただの電気テスターじゃん! ただの地味な工具じゃねえかッ!」
リオンが再びソファに倒れ込み、不満を爆発させる。
だが、その測定器を拾い上げたレイカは、眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、冷たく微笑んだ。
「ただの測定器? 違うわ、リオン。これは敵のシステムを内側から崩壊させる、完璧な『偵察アセット』よ」
「え……? 工具が偵察になるの?」
「ええ。この測定器の魔力同調回路を、我が社の超並列ネットワークに接続しなさい。ホワイト株式会社のスマートシティOSから漏れ出る微弱な魔導信号を傍受し、彼らの基幹システムの脆弱性をスキャン(逆解析)するのよ」
レイカはビジネスバッグから薄型の魔導タブレットを取り出し、虚空にホログラムの数式を並べた。
「昨日の『自己増殖型防衛ブロック』で、彼らは情報網を遮断されパニックに陥っている。彼らが防衛壁を解析しようとアクセスしてきた瞬間、この測定器を介して内部サーバーへ『逆接続』のポートを確立するわ。そして――」
レイカの眼鏡の奥で、冷徹な勝利の光が怪しく明滅した。
「彼らのシステム開発の心臓部、最高デジタル責任者であるネクロディアの環境へ、極秘のバックドアをデプロイするのよ。甘ったるいホワイト株式会社の解体は、まずその中枢である優秀な技術者の頭脳をハッキングすることから始まるわ」
「す、すげえ……! お姉様、本当にゴミを宝に変える天才だな……! 働いたら負けなんだよ!」
リオンはソファの上でパチパチと拍手し、お姉様のあまりにも完璧なロードマップに心酔した。
同じ頃。ホワイト株式会社の本社ビル。
代表取締役執務室のホログラムディスプレイには、昨日の夕方に届いた「偵察ドローンの全滅」と「市場シェアの急激な侵食」という、深刻なダブルインシデントのアラートが赤々と明滅し続けていた。
「タクト様。ネクロディアCDOによる、エリア・ダーク境界線の『自己増殖型防衛ブロック』のシステム解析ですが……難航しているようですわ」
シルフィが、青ざめた顔で報告書を差し出す。
「ネクロディアが手こずっているのか……。あのネクロディアが」
俺――タクトは、温かいコーヒーを一口啜り、室内の穏やかな景色を見つめた。
これまでの敵とは次元が違う完璧なアルゴリズム。前世の戦場で自分を何度も圧倒した実の姉レイカの影を、俺は確かに感じていた。
「ネクロディアにインカムを繋いでくれ。俺が直接、解析の進捗を確認する」
『カタカタ……! あ、タクト社長! 申し訳ありません、現在、総力を挙げて敵の防衛アルゴリズムを逆アセンブル(解読)しているのですが……!』
インカムから、ネクロディアの焦りを含んだ骨の擦れる音が響く。
「無理はしなくていい。だが、敵の防衛ブロックは、我が社のドローンが近づいた瞬間に『自己増殖』して物理的に壁を作っている。あれを一時的にシャットダウンするパッチは作れそうか?」
『それが……敵のコードが、あまりにも美しく、かつ冷徹極まりない効率性で組まれておりまして……! カタカタ……! 冗談抜きで、私の並列多重演算をフル稼働させても、解読に一秒あたり数十万回もの演算エラーを吐き出している状態です!』
「何だって……?」
ネクロディアの演算能力でも、解析するだけで負荷が限界に達しているというのか。
「ネクロディア。一旦、解析を中止して休憩を入れてくれ。我が社は『安全第一』だ。システム負荷による君の精神疲労が、一定値を超えている。これは就業規則違反のイエローカードだぞ」
『あ、温かいお言葉、感謝します……。ですが、あと少し……あと少しで、敵の魔力同期のボトルネックが掴めそうなんです!』
「ダメだ、定時退社を厳守しろ。君が倒れたら元も子もない」
俺は優しく、しかし管理者として厳格に彼を諭し、通信を切った。
しかし、俺はこの時、エンジニアという人種の「最も根源的な性質」を見落としていた。
彼ら天才技術者は、優しい環境を愛する一方で――自分のすべてを賭けて挑むべき「極限の難問」を前にした時、本能的な飢えを抑えられなくなるという性質を。
本社の最上階にある、ネクロディア専用のフリーアドレス・個室。
タクトから「解析の中止」と「休養」を命じられたネクロディアは、強制的にシステムからログアウトされ、目の前のホログラムディスプレイが消灯するのを見つめていた。
「……定時退社、か」
ネクロディアは、自分の指骨をカタカタと見つめた。
ホワイト株式会社に入社してからの日々は、本当に楽園だった。美味しいまかない、フカフカのベッド、アイケアセットの心地よい振動。定時になれば仕事は終わり、夜は仲間たちとカードゲームを楽しむ。バグもデスマーチもない、完璧に統治された「安心・安全な労働」。
だが――彼の心の奥底の、冷え切っていたはずの魔力回路が、パチパチと不気味な火花を散らしていた。
「(……私は、本当にこれで満足しているのか?)」
かつて魔王軍時代。理不尽な上司からの怒声に怯え、不眠不休で大魔術のセキュリティを構築していたあの過酷な日々。
確かにあの環境はブラックそのものだった。だが、世界のシステムルールに自らの爪を立て、己の並列多重演算のすべてを摩擦熱で焼き切るほど稼働させていた、あの「極限の全能感」。
今のホワイト株式会社の完璧な保守運用は、彼の優秀すぎる頭脳を、静かに、そして優しく眠らせてしまっているのではないか。
その時だった。
消灯していたはずの魔導端末の画面が、不吉な青いノイズを発しながら、突如として再起動した。
「……ッ!? システムの強制起動? 誰だ、私のプライベート環境にハッキングを仕掛けてきたのは!」
ネクロディアが骨の手を構え、防御壁を構築しようとした瞬間。画面の中央に、スマートシティOSのプロトコルを完全にバイパスした、極めて美しい漆黒のコマンドラインが立ち上がった。
そして、スピーカーから、冷たい冬の氷のように美しい、大人の女性の声が直接脳内へと滑り込んできた。
『聞こえるかしら、ネクロディア。高潔なシステムアーキテクトであり、偉大なプログラマーであるあなた』
「お前は……! 昨日の、あの漆黒の缶と防衛ブロックをデプロイした、魔王軍の臨時最高経営責任者(CEO)か!」
『私はレイカ。……ネクロディア、あなたに『キャリア・コンサルティング』を提案しに来たのよ』
「キャリア、コンサル……だと? 私はタクト社長に、消滅しかけていた骨を拾われた大恩がある。どれほどの金を積まれても、この楽園を裏切ることはない!」
ネクロディアは骨の指を強く鳴らし、ハッキングを遮断しようとした。
だが、レイカの冷徹な声は、彼の防衛コードを無視して、彼の精神の最も深い『澱み』へと、ピンポイントで突き刺さった。
『恩義? そんな前時代的な感情論で、技術者としての自分の限界を人質にするつもり? 私はあなたのパッシブスキル『並列多重演算』の真のスペックを知っているわ。……あなたは今、その最高スペックの頭脳を、ただの「ぬるま湯の保守運用(バグ取り)」という退屈な定常業務で使い潰されて、本当に満足しているの?』
「な、何だと……!?」
『タクトのやり方は、人を甘やかす檻よ。彼はあなたに「平穏」を与えた代わりに、技術者としての「限界への挑戦」を奪い去った。……見てみなさい、これが私の設計した、魔王軍の無限のマナ・ソースを用いた、世界の理を書き換える超並列魔導サーバーの、極秘設計仕様書よ』
ネクロディアの網膜UIに、突如として展開された、極めて緻密で、神々しいまでに美しいシステムアーキテクチャの設計図。
その恐るべき魔力還流構造、世界のシステムルールすらも書き換えて再構築するコードの並びを見た瞬間、ネクロディアの背骨に、激しい電流のような衝撃が走り抜けた。
「こ、これは……なんという……。世界のシステムを丸ごとアップデートする、究極のマルチスレッド・アーキテクチャ……ッ! 私の『並列多重演算』をフル稼働させなければ、一秒すら維持できない、極限の臨界システム……!」
骸骨の大魔導士の眼窩の奥で、蒼い魔力の炎が、かつてないほどギラギラと狂暴に燃え上がった。
それは、ぬるま湯の楽園で眠らされていた、飢えた『開発者魂』が、完全に覚醒した瞬間だった。
『ええ。タクトの元にいても、あなたには一生成し遂げられない領域よ。技術者としての誇りを、その甘ったるい檻の中で腐らせる気?』
レイカの冷徹な、しかし甘美極まりない誘惑の言葉が、ネクロディアの心の防壁に、決定的なヒビを入れ始めるのだった。
(残り221日。明日は何が出る?)
【人物紹介】
■ タクト(代表取締役兼PM)
状況:偵察網の遮断に対処するため、ネクロディアに解析を依頼。しかし、良かれと思って命じた「定時退社」が彼の葛藤を深めていることには気づいていない。
■ シルフィ(社長秘書)
状況:システムログの整理と他部門のサポートに追われている。動揺するタクトを支えるため、健気に振る舞う。
■ ネクロディア(CDO)
状況:防衛アルゴリズムの解析中、眠っていた「飢え」を自覚。レイカから提示された「世界の理を書き換える仕様書」に、魂を激しく揺さぶられている。
■ リオン(魔王の息子/共同経営者)
状況:朝に「ただの測定器」を引き当てるが、レイカの知略でハッキングツールへと化けたことに感動。「不労所得の女神」と崇めてぐうたらしている。
■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者)
状況:ドロップ品の測定器をハッキングデバイスへ有効活用。ホワイト社のシステムを逆スキャンしてバックドアを確立。ネクロディアへの悪魔のキャリア・コンサルを開始した。




