第140話:【140日目】「不労所得」のシステム設計と、魔王城の構造改革
「キタ……キタキタキタァァァッ! 深夜十二時、日付更新完了だッ!」
魔王城の薄暗い「引きこもり部屋」に、ベッドから跳ね起きたリオンの歓喜の絶叫が響き渡った。
散らかったポテトチップスの袋やゲームのコントローラーを蹴散らし、彼は汚いソファの上に置かれたクリスタルカレンダーへと飛びつく。
昨日の日中、ホワイト株式会社からこのカレンダーを強奪したものの、「一日一回制限」の仕様に阻まれ、ウズウズしながら深夜まで待ち続けたのだ。そのクリスタルパネルが今、待望の青い輝きを取り戻している。
「フハハ! 待たせやがって! 俺が引き当てるのは、朝早くにモップを握らせてくるような鬼上司じゃない! 一生俺のためにポテチとゲームを運んで、何から何まで至れり尽くせりで甘やかしてくれる最強の全自動ぐうたら執事だッ!」
リオンは我欲に目を血走らせ、輝く「140日目」の魔導シートに指先をかけた。そして、祈るように勢いよくスワイプした。
「残り225日」から「残り224日」へ。
「さあ、ドロップしろッ! 俺の理想の生活をッ!」
シートがめくれた瞬間、部屋全体を真っ白に染め上げるほどの、目も眩むような白銀の光が溢れ出した。
「うおおっ、これが噂に聞く、カレンダーのドロップ演出か……!」
リオンは光の奔流に目を見張りつつも、「よしッ!」とガッツポーズを決め、光の収束を待つ。
しかし、現れたシルエットは、燕尾服を着た従順な執事でも、魔界の従順な悪魔でもなかった。
カツ、カツ、カツ。
静まり返った部屋に、硬質な靴音が響き渡る。
光の霧の中から現れたのは、ピンストライプの仕立ての良い黒いパンツスーツを身にまとい、ビジネスバッグを小脇に抱え、冷徹な知性を湛えた眼鏡をかけた、完璧な美貌の大人の女性だった。
「……なるほど。これが前世の文献で散見された『異世界召喚』という、確率論を無視した極めて非論理的なインシデントね」
女性は細い指先で眼鏡のブリッジを軽く押し上げ、冷たい冬の氷のような瞳で部屋を一瞥した。
「は……? え? 誰……?」
リオンが口を半開きにして呆然とする。
女性は彼に見向きもせず、室内の凄惨な有様――床に散らばるポテチのゴミ、その横で虚しく光るホワイト株式会社のロゴマーク入り魔導ゲーム機、そして隣の玉座の間から聞こえるゾンビたちの不満混じりの怒鳴り声を瞬時にスキャンした。
「あちらのホワイト会社は完全週休二日だぞ!」という愚痴と、崩壊しかけた魔法陣の真横に放置された『ホワイト株式会社・スマート中途採用案内』のホログラム。それらの改善情報を、彼女は一瞬で見抜いたのだ。
「何この劣悪な制約条件の塊。ガバナンスも財務規律も崩壊している。……タクトの仕業ね。甘い福利厚生でこちらの優秀な人的資源を根こそぎ引き抜くだけ引き抜いて、残された競合組織の保守運用が崩壊するのを『自己責任』として完全に放置している。あいつ、前世のプロジェクトでもそうだったけれど、自分たちの『安心・安全』だけで自己満足して、業界全体の生産性の最適化を怠っているんだわ。相変わらず視野の狭い、ぬるい経営方針ね」
「タクト……? お前、あのホワイト社長の知り合いなのか!?」
リオンが慌ててカレンダーを抱え直して後退りする。
女性は初めてリオンに冷徹な視線を向け、名刺入れから一枚のカードを取り出し、滑らかな動作で差し出した。
「挨拶が遅れたわね。私はレイカ。前世では外資系金融メガバンクの最高幹部を務めていたわ。そして――あなたをそのぬるま湯の労働から救いに来た、タクトの『実の姉』よ」
「あ、姉さんッ!?」
リオンの口がさらに大きく開く。あの冷酷にして完璧なPMであるタクトに、こんな凄まじい圧迫感を放つ姉がいたというのか。
「お、俺は働きたくないんだッ! ホワイト企業に買収されて、朝早く起こされてモップを持たされるなんて死んでも嫌だ! 一生ぐうたらゲームして暮らしたいだけなんだよッ!」
パニックになりながら叫ぶリオンに対し、レイカは薄く、しかし極めて魅力的な笑みを浮かべた。
「そう。素晴らしいビジョンね、リオン。私は『働きたくない』という強い意思を否定しないわ。なぜなら、人間の怠惰こそがイノベーションの最大の源泉だからよ」
「え……? 怒らないの……?」
「当然よ。ただ、あなたの今のやり方は三流以下。ただ引きこもっているだけでは、いずれタクトのホワイト資本に市場ごと飲み込まれ、強制的に雇用されるわ。だから提案があるの」
レイカはビジネスバッグから、洗練された電子契約書のようなホログラムを空間に展開した。
「働きたくないのなら、他人に働かせて全マナが勝手に流れ込んでくる『不労所得』を構築すればいいじゃない。働かないために、一時的に完璧なシステムを設計する。これこそ真の組織変革よ」
「ふ、不労所得のシステム……!?」
その魅惑的なビジネス用語に、リオンの瞳が輝いた。
「ええ。私をこの魔王軍の臨時最高経営責任者に就任させなさい。あなたを共同経営者として不労所得の甘い椅子に座らせたまま、この魔王城をビジネスの力で完全再建してあげるわ」
「やる! やるよ、お姉様ッ! 俺を不労所得の王様にしてくれッ!」
リオンは一瞬でレイカの圧倒的な知略とカリスマに屈服し、契約の電子署名に魔力を注ぎ込んだ。こうして魔王軍の臨時CEO・レイカが誕生した。
「よし、提携締結ね。ではさっそく、この腐りかけた組織の構造改革に着手しましょう」
レイカは部屋を出て、隣の「玉座の間」へと向かった。リオンも慌ててその後に続く。
玉座の間では、幹部を失った魔王軍の残党たちが、お互いに責任をなすりつけ合い、疲弊しきったゾンビ兵たちに怒声を浴びせていた。
「ええい、早く回路を繋げ! 繋げない奴は即座に給与カットだ!」
「ひ、ひぃぃっ、これ以上の超過勤務はマナが消滅してしまいます!」
そこへ、レイカの硬質なハイヒールの音が響き渡る。
「そこまでのようね、無能な管理者たち」
冷徹な声が、凍りついた玉座の間に響いた。幹部代行たちが「何者だ!」と武器を構えようとしたが、レイカは一切動じず、手元のタブレットから魔王軍全体の財務諸表と稼働データをホログラムで一瞬にして展開した。
「現在の魔王軍の稼働効率はマイナス45%。無駄な時間外労働、非論理的なハラスメントによるモチベーションの低下、そして不透明な中間搾取。これらはすべて、組織を内側から腐敗させる不良債権よ。今日から、このような前時代の経営方針はすべて廃棄します」
「な、何だと!? たかが小娘が――」
「黙りなさい。私は本日付で、この魔王軍の臨時最高経営責任者(CEO)に就任したわ。異議がある者は、今すぐこの場で市場から退場してもらうけれど?」
レイカが眼鏡の奥の瞳を冷たく輝かせると、元外資系金融MDとしての凄まじい圧迫感が部屋を満たし、幹部代行たちは言葉を失ってひれ伏した。
「今日からこの組織には、徹底的な成果主義を導入するわ。労働時間をダラダラと引き延ばす残業は一切禁止。その代わり、提示されたKPIを達成した者には、タクトの会社の百倍のインセンティブを支払う。成果を出せる優秀な者には、この魔王城のマナを無限に解放してあげる。……ただし、成果を出せないフリーライダーは、即座に解雇する。理解できたかしら?」
「インセンティブ……!?」
「タ、タクトの会社の百倍……!?」
死んだ魚の目をしていたゾンビ兵たちの目に、突如としてギラギラとした欲望の光が灯った。これまでの魔王軍は「働いても評価されず、ただ叱責される」だけのデスマーチだった。しかし、提示されたのは「やればやるだけ、ダイレクトに豊かになる」という、究極の能力主義。
「今日から、甘ったるいホワイト株式会社に対抗する、最強のプロフェッショナル成果主義集団としての魔王軍をキックオフするわ。リオン、カレンダーは私が管理するわね」
「は、はいッ、お姉様!」
リオンは、自分のぐうたらライフを守るため、そしてこの冷徹な「姉」の圧倒的な知性に、完全にひれ伏していた。
魔王城の深部で、ぬるま湯のホワイト株式会社を解体するための「嵐の構造改革」のロードマップが、静かにキックオフされた。
(残り224日。明日は何が出る?)
【人物紹介】
■ タクト(代表取締役兼PM)
状況:周辺地域の100%ホワイト化を達成した矢先、魔王軍にクリスタルカレンダーを強奪されるという、プロジェクト史上最大のインシデントに直面中。まだその裏で、前世の最大の宿敵である姉レイカが動き出したことを知らない。
■ シルフィ(社長秘書)
状況:奪われたカレンダーを取り戻すべく、魔王城の周辺セキュリティログの解析をシオンと共に急いでいる。
■ リオン(魔王の息子/共同経営者)
状況:働きたくない一心で、召喚したレイカを臨時最高経営責任者(CEO)に据える。彼女の圧倒的なカリスマと知略に心酔し、早くも「不労所得の王様」になる夢を見ている。
■ レイカ(魔王軍 臨時最高経営責任者)
状況:タクトの実の姉(元外資系金融MD)。リオンがカレンダーをめくったことで召喚された。魔王城の惨状を見て、即座に「合理的成果主義」による構造改革を決行。ぬるま湯のホワイト株式会社を市場から駆逐するための、完璧な戦闘準備を開始した。
■ 黒崎(見習い清掃員)
状況:カレンダー強奪事件に強い危機感を抱き、タクトに対し「……泥棒は、我々の持っていない『ハングリー精神』という名の毒を持っているぞ」と、現場の経験から不穏なアドバイスを送っている。




