第14話:【14日目】休日二日目と、ボードゲームのSSRドロップ
ふわりと鼻腔をくすぐる、淹れたてのコーヒーの香ばしい匂い。
俺はシーツの心地よい重みを感じながら、ゆっくりと目を開けた。
「……アラームの鳴らない朝。最高だな」
前世では、土曜日だろうが日曜日だろうが関係なかった。
朝の六時にはスマートフォンが「緊急バグ発生」だの「週明けのクライアントへの提出資料」だので震え出し、泥のように重い体を引きずって冷え切ったオフィスへ這いずるのが常だった。
だが、今の俺が手に入れたのは、正真正銘の『日曜日』。
窓の外を見上げれば、優しい木漏れ日が部屋を照らしている。
時刻はすでに午前十時を回っていたが、それを咎める上司も、進捗を責め立てるスケジュール表も存在しない。
これこそが、俺が過労死した果てに求めたスローライフの第一歩。
起き上がって軽くストレッチをし、パジャマ代わりのゆったりとした服を着てリビングへ向かう。
「あ、タクト様! 起きてこられたのですね。お休みは十分に取れましたか?」
エプロンをつけたシルフィが、嬉しそうに耳をピンと立たせて歩み寄ってきた。
彼女の手には、昨日カレンダーから獲得した【至高の魔導コーヒーメーカー】が握られている。
「ああ、素晴らしい目覚めだ。ありがとう、シルフィ」
「えへへ、タクト様にそう言っていただけるのが何よりの喜びです。朝食のパンと、世界樹の果実で作ったジャムも用意してあります。まずはごゆっくり、日曜日の朝をお楽しみください」
カウンターのテーブルに腰掛け、コーヒーを一口すする。
芳醇な苦味と、ほんのりとした甘みが脳の隅々まで染み渡り、心地よい眠気をゆっくりと溶かしていった。
昨日から始まった「週休二日制」は、村人たちに絶大な心の余裕を与えているようだった。
「そういえば、ガルドや獣人たちはどうしている?」
「ガルドさんは、朝から大浴場で『滝湯の勢いを限界まで引き上げる調整』と称して、ただの朝風呂を二時間近く楽しんでおられます。ルナさんや他の獣人の皆さんも、昨日のボウリング大会の続きをしたり、芝生に寝転がってひなたぼっこをしたり……本当に、思い思いの休日を過ごされていますよ」
シルフィは愛おしそうに窓の外の広場を見つめた。
前日には「働かないで休むなんて、罰を受けるのではないか」と怯えていた獣人たちだが、一晩ぐっすり眠り、定時で終わる豊かさを知ったことで、急速に「休日の過ごし方」を学習し始めているようだった。
素晴らしい進歩だ。心のリカバリーがあってこそ、翌週の労働の品質が保たれる。
「よし、朝のエネルギー充填も終わった。それじゃあ、今日のカレンダーをめくろうか」
俺はリビングの棚に置かれた日めくりカレンダーの前に立った。
表示されている文字は『残り$351$日』。
「日曜日だからな。仕事の道具じゃなくて、みんなで楽しめるレクリエーションのツールが欲しいところだ」
俺は心の中で祈りながら、ペリッ、と紙を破った。
紙が眩い光に包まれ、テーブルの上に具現化したのは――漆黒の高級感ある木箱だった。
天板には、金色の文字で複雑な魔法陣のような幾何学模様が刻まれている。
『SSRアイテム【魔導・無限卓上ゲームセット】を獲得しました』
『※遊ぶ者の思考やレベルに合わせ、ゲームボード上に完璧な三次元幻影(3Dホログラム)を投影し、難易度を自動調整する魔法のボードゲームです。対戦・協力、あらゆるルールに対応します』
「……ほう。アナログとデジタルの融合、ボードゲームの極地か」
俺は思わずニヤリとした。
前世でも、休日に友人と集まってボードゲームを囲む時間は、数少ない現実からの避難所だった。あの温かい時間を、この異世界で再現できるとは。
「タクト様、これはどのような魔導具なのですか? 何か、神殿の儀式に使うような神聖な模様が描かれていますが……」
「いや、これは儀式用じゃない。ただの『ゲーム』、つまり遊びの道具だよ。せっかくの休日だ。ガルドとルナも呼んで、みんなでテストプレイをしてみないか?」
「遊び、ですか? はい! タクト様とご一緒できるのなら、何でも喜んで!」
シルフィが嬉しそうにインカム(まだ開発前なので、この時はまだ大声で窓の外に呼びかけた)で二人を呼び寄せた。
「ガハハ! なんだ村長、最高の朝風呂の後に、また面白いことを始めるのか!」
「お風呂上がりのトマトジュース、最高でしたぁ! ……あ、これは何ですか? クンクン、なんだか楽しそうな匂いがします!」
髪を湿らせたガルドと、尻尾を元気に振るルナがリビングに駆け込んでくる。
俺はリビングのローテーブルの上に【魔導・無限卓上ゲームセット】を置き、蓋をそっと開けた。
カチ、と小気味よい音が響き、木箱の四隅から青白い光が天井に向かって伸びる。
『プレイヤー登録ヲ確認シマシタ。ルール:【協力型開拓シミュレーション・ホワイト村をつくろう】を起動シマス』
空中に、光の粒子で描かれた小さなミニチュアの村が浮かび上がった。
「ひゃああっ!? なんか光るお人形さんたちが動いてるよ!」
「おう、こりゃあすげえ魔法投影技術だな……。おい見ろ、この人形、ちっこいハンマーを持ってやがる!」
ルナが目を丸くし、ガルドが身を乗り出す。
ルールは非常にシンプルだった。
プレイヤー全員が手元のコマ(光の立体)を動かし、協力して村の畑を耕し、家を建て、時折襲ってくる『可愛いデフォルメされた魔物』を非殺傷のトラップで撃退しながら、村の幸福度を最大にするというゲームだった。
「まるで、俺たちの村の縮小版だな」
「ええ、本当にタクト様が作ろうとしているホワイト村そのもののようです!」
俺がゲームの進行役となり、各自にターンが回る。
「よし、ガルドのターンだ。手元のリソースを使って『温泉の増築』か『工場の建設』が選べるが、どうする?」
「ガハハ! 温泉に決まってんだろ! このゲームのミニドワーフどもにも、極上の湯を味合わせてやるぜ!」
「では、ガルドが『温泉増築』のカードを使用。温泉のレベルが2になり、住民の幸福度がプラス30です」
「やったあ! ガルドさんナイスです!」
ルナが手を叩いて喜ぶ。
「次はルナのターン。畑を荒らしにくる『ミニボア』が接近している。どうする?」
「あ、アタシの出番ですね! えっと……『世界樹のトマトをおすそ分けする』のカードを使います!」
「ミニボアは美味しいトマトを食べて大満足し、そのままペットになりました。防衛力がプラス20です」
「にゃはは! ボアさん、お友達になりました!」
ゲームが進むにつれて、全員が完全に夢中になっていた。
勝敗を競うのではなく、全員で知恵を出し合って『誰も傷つかない、最高の村』を作り上げていく協力のプロセス。
前世のデスマーチプロジェクトのような「誰かを犠牲にする」選択肢など、このゲームのカードには一枚も存在しない。
「タクト様、次のターンで私は『精霊の雨』を降らせます。これで畑の水分補給タスクが完了し、次のターンに全員で収穫フェーズへ移行できます!」
「完璧な工程管理だ、シルフィ。よし、そのままいこう」
窓の外からは、他の獣人たちが楽しそうにボウリングのピンを倒す音や、風のささやきが聞こえてくる。
空調の効いた涼しいリビングで、みんなで世界樹の芋のポテトチップス(シルフィが昨日の残りをオーブンで軽く炙ってくれたもの)をかじりながら、笑い合う。
「……ああ、楽しいな」
俺はポツリと、心の底からの言葉をこぼした。
前世では、誰かとゲームをすることすら「時間の無駄」「もっと生産的なことをすべき」という強迫観念に追われていた。
だが、こうして仲間とくだらないゲームをして、ただ笑い合うこと。これこそが、人間(あるいは異種族)が最も人間らしく、豊かに生きるための『余白』なのだ。
「村長、俺様も本当に楽しいぜ。休むってのは、ただ寝転がってるだけじゃねえ。こうやって、みんなでワイワイ頭を使って遊ぶのも、極上の休息だな!」
「はいっ! アタシ、明日からのお仕事も、もっともっと頑張れそうな気がします!」
ルナが尻尾をちぎれんばかりに激しく左右に振る。
休日に心がしっかりと満たされた社員は、月曜日からのモチベーションが段違いに跳ね上がる。これは、あらゆるマネジメント論における不変の真理だった。
「よし、これで幸福度が上限に達した。ゲームクリアだ」
空中の光のミニチュア村がパッと弾け、カラフルな光の紙吹雪となってリビングを舞った。
時計を見れば、時刻はちょうど十七時。定時退社、いや、休日のお開きにふさわしい時間だ。
「今日のレクリエーションはここまで。明日は週明け月曜日、新しい一週間の始まりだ。みんな、今夜はゆっくり休んで、また明日から最高の環境で仕事をしよう」
「「「はいっ!!」」」
窓の外の荒野が、ゆっくりと夕焼けの黄金色に染まっていく。
(残り350日。明日は何が出る?)




