第106話:【106日目】ブラックな悪夢と、異世界召喚された社長
「タクト君。君ねぇ、定時だから帰るって、本気で言ってるのかね?」
薄暗いオフィス。タバコの煙と、栄養ドリンクの空き瓶が散乱するデスク。
俺の目の前に立つ、でっぷりと太ったスーツ姿の中年男――黒崎社長が、ネチネチとした声で俺を責め立てていた。
「いいか。君が休んでいる間にも、ライバル企業は動いているんだよ。休む暇があるなら成果を出せ! 君の代わりなんていくらでもいるんだからな!」
心臓が早鐘のように打ち、息が苦しくなる。
違う、俺はもう三日も家に帰っていない。プロジェクトを回しているのは俺一人だ。ここで倒れたら――。
「タクト様! タクト様、起きてください!」
ハッと目を見開くと、そこには心配そうに俺の顔を覗き込む、エルフの秘書シルフィの姿があった。
窓からは、異世界の暖かな朝の光が差し込んでいる。ここはタワーマンションの自室だ。
「……夢、か。はは、最悪の目覚めだな」
「ひどい汗ですよ。うなされていたようですが……大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと昔の嫌な上司の夢を見ただけさ」
シルフィが差し出してくれた冷たい果実水を飲み、荒くなった呼吸を整える。
最近は村の運営が順調すぎて、気が緩んでいたのかもしれない。前世で俺を過労死に追いやった元凶、ブラック企業社長のクロサキ。彼の顔を見るのは、死んで以来だった。
気を取り直し、俺はリビングに置かれた日めくりカレンダーの前に立った。
ペリッ、と「残り259日」の紙をめくる。
『SSRアイテム【安らぎの魔導ハーブティー茶葉】を獲得しました』
『※一杯飲むだけで、あらゆる精神的ストレスと悪夢の残滓を浄化し、心を凪のように落ち着かせる魔法の茶葉です』
「……カレンダーの奴、俺のメンタル状態を察してくれたのかな」
「さっそくお淹れしますね!」
シルフィが淹れてくれたハーブティーを飲むと、クロサキの夢でささくれ立っていた心が、嘘のようにスーッと静まっていった。
――しかし、その頃。
ホワイト村から遥か南に位置する、人間たちの国家「聖王都」。
その地下深くにある召喚の間では、国王と大臣たちが、まばゆい光を放つ魔法陣を囲んでいた。
「おお……! ついに、新たな『異邦の勇者』が召喚されたぞ!」
「これで、魔王軍や、北で勢力を伸ばす謎の村(ホワイト村)を制圧できる!」
光が収まり、魔法陣の中心に現れたのは――聖なる剣を持った若者などではなかった。
でっぷりと太った腹、サイズの合っていない高級スーツ、そして脂ぎった顔の中年男。
「……あ? なんだここは。私はさっきまで、役員会議室にいたはずだが」
「お、おお、異世界からの勇者よ! 我ら王国を救うため、その力を貸して――」
国王が歩み寄ろうとした瞬間、中年男は国王の言葉を遮り、尊大な態度で周囲を睨みつけた。
「オイオイオイ。初対面の相手に、名刺の一枚も出せないのかね? これだから下請けの連中は困るんだ」
男はネクタイを緩め、ニヤリと笑った。
「私は株式会社クロサキ・エンタープライズ代表取締役、黒崎だ。まあいい、状況はよくわからんが……お前ら、ずいぶんと『非効率』な組織運営をしている顔だな。私が直々に、コンサルティング(再建)してやろうじゃないか」
悪夢は、夢では終わっていなかった。
最悪のブラック社長が、異世界へと降り立った瞬間だった。
(残り258日。明日は何が出る?)




