59.「……これを」
ネジドらの姿が消えて、3人はしばらくその場で呆然としていた。 残されたのは静寂のみ。が、
「何だ!?」
ミルサークは思わず声を上げた。 突然、地鳴りのような音が轟いたのだ。呼応するように地面が揺れる。まさか——地殻変動? こんなタイミングで?
「う、上っ!」
ドナホゥの悲鳴に視線を上げると、天井に亀裂が走っているのだ。しかし、ミルサークは違和感を感じた。亀裂から、光が漏れている。徐々に広がるそこから見えている青いもの……空?
頭上から、大量の黒い瓦礫なのか、砂のようなものが落ちてくる。アイシャに覆い被さるようにしてそれを防ぐ。亀裂は、さらに広がる。天井だけでなく、壁や地面もだ。そこから漏れる光も、次第に強くなる。眩しくて、目を開けていられない程だ。もはや逃げる術は無い。3人はアイシャを中心に抱きつくように身を寄せ合い、時間が過ぎるのを待つしか無かった。絶え間なく降り注ぐ砂。それに埋もれて窒息するのが先か、それとも割れた地面に飲み込まれるのが先か。いずれにしても、ここまでか。
――そして、音が止んだ。
しばらく静寂が続いて……ミルサークの耳に届いて来たのは、草木が風に揺れるような、心地良い音。ゆっくり、目を開ける。下から見上げているアイシャと、視線が合う。どうやら生きている——のか?
「……ええと、あたし達、死んじゃったんですかね、これって」
先に顔を上げて、周囲を見回したドナホゥが呟いた。その声にミルサークも体をもたげて、眼を見張った。
「天国、ですか? ここ」
そこは一見、のどかな場所に見えた。ミルサーク達は 高台の上におり、そこからなだらかに広がった草原を見下ろしていた。草は少し冷たさを感じる穏やかな風に揺れ、太陽の光に照らされた青々とした香りを、周囲に振りまいている。砂は、無い。地面に亀裂も走っておらず、最初からここにいたかのように、地面についた膝の下にも艶やかな青草が生えている。
鳥の声に視線を向けると、青空を滑空する数羽の群れが、眼下に広がる湖に向けて降りていく所だった。——本当に自分達は死んでしまったのではないか。ミルサークですらそう思ってしまう程に非現実的に美しく、のどかな風景。
「……初めて見るな、こんな景色は」
「あたしも、です」
ミルサークの言葉にドナホゥも頷いて、深呼吸をする。清浄な空気が、肺を満たす。
「これが――」
その時、アイシャが立ち上がって呟いた。「これが本当の、最下層の景色なんです。シビルが心穏やかに過ごす為に」
ミルサークはその肩にマントのようにして服を被せてやる。
「アイシャ――なんだよな?」
アイシャは向けられた2人の視線をしっかりと見返して頷く。
「はい――アイシャです」
そして続けた。
「魔女、アイシャです」
◇ ◇ ◇
普段通りの日々が続く。多分それは、良い事なのだろう。
アブラは店の2階にある自室の鏡台に向かい、髪をかき上げる。
――いや。最近少し、変化があった。協会の会合にサマル・マムと一緒に出席するようになったのだ。彼女の後継者として周囲から認知されて、見る目や態度も少し変わった、ような気がする。
「言うまでもないかもだけど、おべっか使ってくるような連中にゃあ、気を付けなよ」
サマル・マムは相変わらずの葉巻をくゆらせながら言う。「〈顔〉になるってのはサ、どれだけ本心を隠して周りと上手くやっていけるかってのが、キモなんだからね」
「大丈夫ですよ。……慣れてますから」
「嬢の客に対する仮面とは、ちょいと違うんだけどねぇ。まぁ、あんたなら上手くやっていけるだろうさ」
それはそれとして、トップとしての嬢の仕事も休む訳にはいかない。サマル・マムに付いてこれまで知らなかった店の内情を知り、一番驚いたのが店の財政状況の厳しさだ。 常に、自転車操業状態。店を1日でも閉じたりしたら、それだけで金策が行き詰ってしまうのではないか、と思えるレベルだ。
「店の子らへの手当てを渋れば、そりゃ残るだろうさ。けどそれは、アタシのやり方じゃあないんでね。……あんたに随分頼る事になっちまったのは、申し訳なく思ってるよ 」
アブラの稼ぐ金が止まると、店が成り立たなくなる。それが、それも、現実だ。サマル・マムもかつては売れっ子だったというから、つまり彼女が、自分の未来の姿だ、という事だろうか。
……それも悪くない、と思う。けど——。
ルージュを塗り終わり、何度か開け閉めした唇から、小さく息が漏れる。
ネジドが居なくなって、もうどれだけ経つだろう。冒険者だった頃は、数カ月顔を見せない事などしょっちゅうだった。だが迷宮に入る事を禁じられてからはそれなりの頻度で顔を見せていたのに。……やはり、迷宮に行ったのだろう。鏡台の端に置いた皮袋に目を落とす。最後に合ったあの日、硬貨を詰めて持ってきた皮袋。中身は既にほぼ空だ。
もう一度息をついたその時、窓がコツン、と音をたてた。
「……?」
風か、それとも気のせいか、と思った時、再度音が鳴る。——何かが、外から投げられている! 何かが? いや誰かが、だ!
「——ネジド?」
窓を開けて、下を見る。外は雨。普段から薄暗い裏通りがすっかり暗くなり、街灯が地面の水溜まりをわずかに光らせている。 一瞬、誰も居ないと思った。が、正面の建物の陰から、フードとマントを被った人影がゆっくりとこちらへと歩み出てくるのが見えた。
……ネジドでは、ない。誰だろう?
こういう商売をしていると、勘違いをした客から付きまとわれる事も珍しくない。だが 、そういう人物ではなさそうだ。相手の落ち着いた雰囲気から、アブラはそう判断する。人影はこちらを見上げると、下りて来い、というように指を下に向ける。顔は、影になっていて分からない。声を出すのははばかられたので、窓を閉じると部屋から駆け出——そうとして下着姿だった事を思い出し、慌ててガウンを羽織る。階下には確か、裏口が ——。
ドアを押し開けようとしたが、いくらやってもびくともしない。そこで初めて、引き開けるのだという事に気付く。
~~全くもうっ!
自分に舌打ちしつつドアを開けると、そこには壁があり、アブラは息をのむ。 ——いや、人だ。漆黒のマントに身を包んだ巨体が、そこに立っていた。その人物が発した声を聞いて、アブラはさらに仰天する。
「アブラさん、で間違いないか?」
女性⁉ しかもこの声は——聞いた事がある。
「あ、あの——ギルド長、さん? ですか」
「ほう、憶えていてくれたか」
女がフードを取る。そこから出てきた顔は、間違い無い。ギルド長ミルサーク。
「今は元・ギルド長だがね」
彼女はそう言って、白い歯を見せる。
「あの——眼が確か——それに、髪の毛……」
確か、片目が魔素に侵されていて、それを隠すように長い髪を垂らしていた筈だ。だが目の前にいる人物の眼は金色ではなく、髪も短髪になっている。
「まぁ変装、みたいなものだ。気にしないでくれ。……何しろ私は既に死んでいるらしいからな。このガタイだとどうしても目立ってしまうから、こういう小細工も必要なのさ」
はぁ、とアブラは頷くしかない。
「あの——どうぞ中に。サマル・マムも呼びますか 」
「いや、ここでいい。すぐに終わるから」
体をずらしかけたアブラを、ミルサークは制して言った。「……これを」
差し出されたものを、おずおずと受け取る。——紙切れ? 何か、文字な書いてある。
「ネジドから、頼まれたものだ。貴女に渡して欲しい、と」
「え——」
「確かに、渡したぞ。……それでは」
「ち、ちょっと待ってください!」
フードを被り、踵を返そうとした大女を、アブラは慌てて引き留める。「あの、ネジドはやっぱり……」
ミルサークはしばらく躊躇うように黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「ああ。冒険者として、立派な最後だった」
一瞬、膝の力が抜けたような気がした。渡された紙を握りつぶしそうになり、慌てて少し首を振り、壁に手をあてて体を支える。
落ち着け。……分かっていたでしょう。想像、していたでしょう。こうなるという事を。
「……あいつを、愛してくれていたのか」
「え……」
ミルサークの指先が、目の下をなぞる。それで、自分が涙を流している、と知った。
「——ありがとう」
そう言い置くと、ミルサークは姿を消した。しばらく誰も居なくなった暗闇を呆然と眺めていたが、改めて手にした紙に目を落とした。何が、書いてあるのか。部屋に戻る時間が惜しい。薄暗い魔導ランプの下で目を凝らす。
『アブラへ。店に行けなくなって済まない。だが、これは俺が望んだ事だ。許して欲しい。代わりに、ミルサークにこれを託す。昔、ちょろまかしていた魔石の隠し場所の地図だ。本来はアキルの物なんだが、お前さんに使って貰えれば、奴も喜ぶだろう。サマル・マムに訊けば、換金ルートも分かる筈だ。それじゃあ――幸運を』
素っ気ない内容。書き慣れていない、汚い字だ。最後はなんと終われば良いのか分からず、冒険者の言葉で締めたのだろう。
「そういうのバレバレなのよ、馬鹿……」
改めて、涙が溢れた。紙の上に落ちないよう片手で眼を覆いながら、アブラはその場にしゃがみ込む。薄暗い廊下に、静かな嗚咽の声だけが聞こえていた。




