56.「——ダメか」
光る刃の切っ先は、何の抵抗も無く老婆の心臓へと届いた――筈だった。シビルの顔が苦悶に歪み、声の無い叫びが口をさらに広げた。が、そこから放たれた言葉に俺は一瞬動きを止めた。
「~~間に合ったぞっ!」
――何が?
次の瞬間、シビルの体が金色に染まり――一気に弾けた。内側から、風船が破裂でもしたかのようにその肉体はかき消えて、心臓を貫いた筈の魔素剣だけが残った。その刃がフッと消える。唖然とする俺の眼の前に、拳大程の金色に輝く物体が浮かんだ。
「もう、その体に用は無いわ」
そこから聞こえる声。――シビルの核!
俺は再度魔素剣を振り上げようとした。が、体が動かない。〜~動け、動けよ! 左腕がわずかに反応した、と思った。しかし次の瞬間、金色に光を放ったかと思うと、粉々になって砂のように崩れ落ちた。
「無茶のしすぎよ。あの子が与えた魔素が支えてくれていたんでしょうけど、もう限界。――あなたは、魔素に侵され過ぎた」
支えを失った魔素剣が、澄んだ音を立てて地面に転がり落ちる。
「安心なさい。あなたは、この迷宮の一部になるのよ。肉体という枷を外れて、ね。ここまでに達したのは、あなたか初めてかもしれない。……だからゆっくり、おやすみなさい」
シビルの核が笑みを浮かべたかのようにふっと震える。何となくそれは俺を嘲笑うのではなく、どこか慈しみを含んでいるように感じられた。
「あたしの――子ども」
核が宙を駆けていく。アイシャに取り付くつもりだ。
「やらせるかよっ!」
口を動かしたつもりだが、声になっていたかは分からない。左手は、もうダメだ。右手は? ——まだ使える! 感触がある! 改めて魔素剣を握る手に力を込めて、俺は振り返る。その先にいる、アイシャとドナホゥ。思ったより距離がある。間に合うか。いや、例え間に合わずとも、行くのだ。次は脚だ。膝を上げろ。腿を動かせ。
かなりぎこちない動きだったが、何とか一歩踏み出す。
——よし。次は逆だ。その、繰り返し。繰り返しだ。
だが2,3歩いった所でバランスを崩し、歩みを止める。右足に違和感。まさかと思って見ると、足先が無い。中身を失ったブーツがへちゃげている。左手と同じだ。構うものかと踏み込んだ左足も、同じだった。金色の粒子と化して、崩れてしまう。
……畜生、ここまで、か。俺はまた約束を——仲間を、守れないのか。
俺は魔素剣を握った手を前に差し出した。腕に力が入らなくなってきて、魔素剣を取り落とす。
——ダメか。畜生。……畜、生……。
右手が崩れ落ちた。目の前がぼやける。どこからか、ザラザラと砂が流れるような音が聞こえてくる。それが、俺の体全体が崩れている音だと気付く前に、俺の意識と、肉体は失われていた。
◇ ◇ ◇
ネジドの体が全身から金色の光を放ち、崩れていくのをドナホゥは茫然として見ていた。人が死ぬと塩になる、という物語をどこかで読んだ記憶がある。物語の中の人物は跡形も無く崩れ落ち、風に吹かれて散った。
——まさか、現実にそんな事って——。
だがいつまでも呆けている訳にはいかなかった。迫ってくる光。シビルの核!
「く、来るなぁっ!」
魔法を放ちたくとも、体内の魔素量はもう限界に近い。そこらにあった砂や石を掴んで投げるのが、精一杯の抵抗だった。核はそんなドナホゥを嘲笑うかのように揺れると、そこから撒かれた粒子が地面に落ちた瞬間隆起して、ドナホゥを弾き飛ばす。
「~~アイシャ、ちゃんっ!」
地面を転がり顔を上げた時には、既に核は横たわるアイシャに達していた。胸の上に乗り、ゆっくりとその姿を沈めていく。
——ようこそ! 我が新たな肉体よ!
シビルの喝采が聞こえたような気がした。核が完全にアイシャの中に消えると、全身が脈動したかのように跳ねた。
「あぁ……」
やられた。やられてしまった。これまでの、皆の努力が全て、ムダになってしまった。アイシャの肉体を得てシビルは若返り、全ては元に戻ってしまう。失われたものは、失われたままで。
……ならばせめて、少しでも失われないように、自分に出来る事を。
ドナホゥは体を起こしてミルサークの姿を捜す。連れ帰るのだ。何としても。
「~~ギルド長っ! どこですかぁっ! 生きてますよねぇっ! 返事してください!」
どこからか、砂が擦れる音がした。ハッとして振り向くと、ゆるゆるとアルクァ・バルトの手のひらが上がって来るのが見えた。
「ギルド長ぉっ!」
立ち上がろうとして脚に激痛が走り、再びうずくまる。だが、ここに留まっているわけにはいかない。地面を這うようにしてミルサークへと近づく。
「……思ったより、元気そうじゃあ、ないか」
ドナホゥが顔を覗き込むと、ミルサークは血の流れる口の端を歪めて言った。
「ああ……ギルド長……」
震える手で、ミルサークの残った手を握る。切断された方は、傷口が潰れて酷い状態だ。吹き出す血が止まらない。岩の直撃を喰らった腹は不自然に歪み、赤黒く濁った体液が今にもはち切れそうにそこを膨らませていた。
「今、何とかします」
そうは言ったが魔法は使えず、魔符も回復薬も尽きている。腕の傷口を縛るのがせいぜいだった。腹部には何もできない。
「……だからこんな、丸出しの格好はやめましょうって言ったんですよぉ」
ふーっ、とため息のような息を吐くだけの返事が返って来る。次いで、咳き込むと同時に大量の血を吐き出した。青ざめた顔でそれを見つつ、ドナホゥは瞬時帰還のはまった腕輪を取り出した。
「っ、行きますよ!」
言うと同時にそれを押し込んだ。――が、何も起こらない。
「ウソ、何でっ!?」
押し込む手応えはある。が、それだけだ。
「そうだ。ギルド長なら――」
だがミルサークの指を借りてやっても、同じだった。――どうしようも、無い。ドナホゥは呆然と、その場に座り込んだ。
「使えないみたいね、それ」
アイシャの声に、弾かれたように視線を向ける。そこに立っていたのはアイシャ――ではない。アイシャの姿をした、別の人物。そうだ。アイシャなら、決してそんな他人を見下すような冷たい視線を向けたり、下卑た笑みを浮かべたりはしない。
「可哀想に、ねぇ。どうする? 見逃してあげてもいいけど」
その女は何かの具合を確かめるように自分の掌を広げ、発光させる。それを見て、背筋が凍った。凄まじい程の魔素量。それが極度に圧縮された状態で、掌の上で渦を巻いている。しかもさらに増え続けているのだ。
ドナホゥは唇を噛む。ここで見逃されても、地上に戻るのはほぼ不可能だ。ミルサークは保たないだろうし、この脚で、独りでここまで通って来た階層を突破するなど、全く想像出来ない。勿論、アイシャ――いや、この女だって、解った上で言っているのだ。
ドナホゥは拳を握る。ならばいっそ、こちらから襲いかかれば楽に逝かせてくれるかもしれない。……いや、どうだろう。逆にじわじわとなぶり殺しにされたり、どこか迷宮内の別の場所に飛ばされる可能性だって、あり得る。
だったら——。
ドナホゥは自身のネックレスに触れる。スパイとして支給されたもの。そこには、自害する為の毒が仕込まれている。中心の宝石な見える丸薬を外し、飲み込むだけ。……まさかこれの存在に感謝をする日が来るなんて、ね。
力を込めてネックレスを引き千切ると、ミルサークの眼が見開かれた。
「すいません、ギルド長」
ドナホゥはゆっくりと笑みを浮かべた。「お先に、失礼しますね」
声は出なかったが、ミルサークの口がわずかに動く。
……ああ。私も、すぐに逝くさ。
笑ったつもりだったが、どう見えていたかは分からない。
パキン、と音がして丸薬が外れた。そのつるっとした冷たい感触。……これが、私の死。
それじゃあ――。
「そんなの、捨ててくださいっ!」
その時耳に届いた声に、ドナホゥは動きを止めた。
――アイシャ?
聞き間違いではない。先程とは違う、幼子の声。
ドナホゥは顔を上げた。




