52.「都合の悪い事は、忘れるようにしてるんだ」
先に飛び出した俺に、思った通りミルサークの視線が向く。――そうだ、来いよ。鬱憤が溜まっているんだろう? 思い切り、吐き出せばいいさ。受け止めてやる。
彼女が地面を蹴る砂埃が上がった、のが見えた瞬間、その姿は既に俺の目前にあった。大きく見開かれた金色に光る両眼。その中に瞳は見えない。牙を――そんなものある筈が無いが俺にはそう見えた――剥き出しにし、全体重と、殺意を乗せて放たれるアルクァ・バルトの拳。風を斬る音が人間のそれとは思えない。側を通るだけで身を切り裂かれそうだ。
横に飛び退いて避けた拳の先にある地面が、音をたてて爆ぜる。
風魔法をのせているのか!
一発でも喰らえは致命傷だ。だが、剣で受ける訳にもいかない。普通の剣では耐えられないだろうし、魔素剣ではミルサークの拳を蒸発させてしまいかねない。
「……やっぱり、これしかないな」
俺は剣を仕舞い、両腕を上げた。徒手空拳には徒手空拳。拳闘を含んだ体術には、自信があるんだ。それに――。
『身体強化』を両拳に集中する。以前の俺には出来なかった芸当だ。これで、何とかしてみせる!
と、俺の全身が光った。全身への『身体強化』?
「さ、サポートは、任せて下さぁいっ!」
後方からドナホゥの声。ナイスだ。
「リドワンにも頼むっ!」
叫ぶと同時に俺は飛び出した。ミルサークはマントを脱ぎ捨て、完璧な戦闘態勢で待ち構えている。リーチは圧倒的にあちらが有利だ。繰り出された拳を避けて、懐へと滑り込む。あっさりとそれができた事に、俺は一瞬困惑した。動きが鈍い? 操られているからか?
だが、迷っている暇は無い。
「目を覚ませよ、ミルサーク!」
俺が放った拳を避ける事も無く、ミルサークはアルクァ・バルトで受ける。拳が壊れていないだけ、幸いと考えるべきなのだろう。しかし、この鋼と肉のカーテンをこじ開けねば先は無い。
俺が思考に入ったのは一瞬だったが、それを狙ったかのように右のジャブが飛んで来る。何とか弾くが、凄まじい風圧が帽子と、俺の頬を歪める。相手の拳に吸われていくような異様な感覚。何とか抗った俺の直上に、大きく振りかぶった右拳があった。
〜〜上からの撃ち落とし!
ミルサークの最も得意とするコンビネーション。後ろに飛び退いて避けた俺の、それまで立っていた地面を圧倒的な質量が撃ち砕く。
だが飛び散る土くれを弾きつつ、俺は確信した。やはり、動きが鈍い。そうでなければ、避けきる事は出来なかっただろう。操られてはいるが、完璧では無い。どこかにミルサークの意思が残っている――と思いたい。
「……もしそうなら、協力してもらうぜ」
俺は改めて拳を構えた。
◇ ◇ ◇
ネジドが戦いながら少しずつ距離をとっているのを確認しつつ、リドワンは最短距離でシビルへと向かう。
「無駄な事を。今まで何度死にかけたのか、憶えてるのかしら?」
「さあな。都合の悪い事は、忘れるようにしてるんだ」
シビルが発する『氷針』を避けながら答える。――確かに数など憶えていない。だが、死にかける度に蓄積した知識は、完璧に憶えている。
魔女という名を冠するだけあって、あらゆる属性の魔法を使いこなす。だが、好みといえばいいのか、偏りはある。遠距離では『氷針』を中心とした氷系、中距離では雷系魔法。そしてようやく近距離まで至ったと思えば、最も得意とする土系魔法が発動する。
兵士を地面に飲み込んだ、という言い伝え。何よりこれだけの規模の迷宮を地中に創り出した事。彼女が土系に属する魔法使いである事は明白だ。加えて、あの黒い粒子。霧のように漂うかと思えば、集まって巨大な質量を持つ、シビルの手足とも言うべきもの。
土魔法への対抗策は、正直全く思い付かなかった。アンチとしては風か、水か。――いや、そもそも魔女に魔法で対抗しようなどという考えそのものが間違っているのだ。だから、魔素剣を造った。実体剣では散らす事が精一杯の粒子を、斬るのではなく消滅させる――焼き消すとか、蒸発させる、という表現の方が適切かもしれない――武器。
きっかけは、シビルが放つ光線だった。それに脇腹を抉られた時、全く熱さは感じなかった。半死半生の状態で瞬時帰還で戻り、油断すると閉じそうになる瞼を閉じたら死ぬ、と念じながら回復をせずに傷口を調べ、光線の正体が魔素を圧縮したものである事を突き止めた。
魔素は体内を巡り、魔法を発動する際は魔力に変換され、炎や氷といった各属性を与えられ発動する。光線には、その属性が無い。魔力に変換される際のロスも発生せずに、純粋に魔素が持つエネルギーを超圧縮しているのだ。
このエネルギーならば、シビルを倒せるのではないか。
思い付いたリドワンだったが、どうすれば魔素を圧縮出来るのかが分からない。先に書いたように、人間が魔法を使う時は、既に変換されてしまっているからだ。
だったら――もう一度、換える事が出来れば。
リドワンは魔石を手に取った。逆に考えるんだ。魔石からは魔素を取り込む事が出来る。ならば、魔石に魔力を流し込めば、魔素としての力を扱えるのではないか。
魔石を精製して極力純粋な結晶とも呼べる物を作り、そこに魔力を流し込む。試したのは、ほんの一欠片の結晶だった。魔力を流し込んだそれは最初はじわりと、次第に強い光を放った。同時にその大きさからは想像できない程の熱を持ち始め、リドワンの額に汗がにじむ。
……いいぞ。もっと――もっとだ。あいつを、塵一つ残さず焼き尽くせるだけの熱さを!
ビシッ、という音がした。我に返って見ると、金色に渦巻く魔素粒子の球体に、綻びが生じている。真球に見えたそれが、急速に歪み始めた。
~~まずいっ!?
魔力の共有を遮断して後方へ飛び退いた瞬間、それが爆ぜた。一気に数倍にも膨らんだ球体はその中心に穴が開いたかのように渦を巻き、周囲のテーブルや治具を吸い込み始める。床に倒れ込んでいなかったら、リドワン自身も巻き込まれていただろう。
壁の本棚から本が飛び出す。部屋全体がガタガタと揺れる。……一巻の終わりか、と覚悟を決めようとしたその時、球体が一気に縮んだ。爆縮、というのだろうか。あっと言う間に小さくなったそれは最終的にぽん、と間抜けな音を1つ立てて呆気なく消えた。
「……ハッ」
しばし呆然としていたリドワンは、声を出して笑みを浮かべた。
――やったぞ! これだ! この力なら、魔女を殺せる!
嵐が通り過ぎたような有様の床の上を歓声を上げながら転がるリドワンを、慌てて様子を確認しに来たヘステルが唖然として眺めていた。
◇ ◇ ◇
そこから何度も改良を加えて、ようやく完成させた魔素剣。アルクァ・バルトのように俗称は無いが、それでいい。魔女を殺せる唯一の武器。彼女もその事を理解している。何度も戦った事による弊害。そうなる事は分かっていたが、魔素剣を完成させるためにはやむを得なかった。斬るためには。近付かなければならない。だから魔女は徹底的に接近戦を嫌っている。遠距離からの魔法。少しでも近付けは、粒子の触手による物理に、さらに光線による範囲攻撃。
だが、気づくとこれまでになくシビルに接近していたリドワンは面食らった。儀式の最中だからか? 考えられるとしたら、それしかない。まさか今が、千載一遇のチャンスなのだろうか? シビルを殺せば、儀式も止まる。当たり前の話だ。……どうする。いや、考えるまでもない。アイシャと繋がる粒子を断つだけでも、簡単にはいくまい。ましてやシビルなど――。
これは、罠だ。
「あら、どうしたのかしら? もしかして、怖気づいちゃった?」
足を止めたリドワンを見て、シビルは口の端を歪めた。
「そんな、安い挑発なんかに乗るかよ。どうせ何か、企んでるんだろうが」
「非道いこと言うのね。――ちょっと、地面を煮えたぎらせただけよ」
シビルが答えた途端に、リドワンが立っている直前の地面が真っ赤に染まったかと思うと、ドロドロに溶けて紅蓮の波を打った。顔を焦がすような熱気に、慌てて身を引く。もし目が見えていたとしても、全く識別できなかったに違いない。あのまま突っ込んでいたら、と思うとリドワンの背中に冷たい汗が流れる。
――ならっ!
『飛翔』で飛び上がり、魔素剣から衝撃波を発する。しかし煮えたぎっていた溶岩が瞬時に立ち上がる。壁をつくろうが、そんなもの――。
が、次の瞬間リドワンは息を呑んだ。溶岩は壁を作るのでなく、下から衝撃波を打ち上げたのだ。受け止めるのでなく、いなした、だと?
「魔素で作られたものなら、魔素で対応できるのよ」
リドワンは連続で衝撃波を発した。
「――あぶないわねぇ、あの子に当たったらどうするのよ!」
シビルは舌打ちをしつつそれらを順に弾き飛ばす。対処は出来るが、この衝撃波の威力は馬鹿にできない。まともに喰らえば命取りになる。弾くにしても、方向を考えなければ――。最後の1つを処理して、シビルは笑みを浮かべつつ上空のリドワンを見やる。
そうだよねぇ、あれほどの威力を持った魔素の衝撃波、そうそう連続して出せる訳が無い。例え迷宮の民だとしても、だ。
「……終わりかね?」
尋ねたシビルに、リドワンは空になったカートリッジを交換すると、答えた。
「そうだな。……良いタイミングだった」
何だ? この余裕は――。
その時、自身の真上に強い魔力を察知してシビルは上空を見上げた。
「〜〜遅いっ!」
次の瞬間、凄まじい勢いで落下してきた何かが、シビルとアイシャの間の地面を粉砕した。




