44.「アイシャは、どこだ?」
俺はゆっくりと扉を押し開けた。5年前の景色を思い出しながら。隙間から溢れ出す光。完全に開いたその先には5年前と同様にのどかな光景が広がって――はいなかった。だがそこにあった景色にも見覚えはあった。無機質な石壁が左右にそり立つ空間。その奥に、以前は無かった筈の、違和感のあるモノが建っていた。
小屋だ。こぢんまりとした、例えるなら、物語に出てくる少女が住んでいるような、清貧さを感じさせる丸太小屋。だがとにかく違和感があるのは、それが建てられたばかりのように真新しい事だ。まるで発光しているかのように、周囲から浮いている。
「……あれが?」
魔女の住処か。
リドワンが頷く。
「いつもなら、違う景色が広がっているんだけどな」
かつて見た、穏やかな光景――幻影。それを展開していないのは余裕が無いのか、それとも――。
「……何かが、始まっているのかもしれん。アイシャの体に移動する為の、儀式のような何かが。そちらに、魔力を使っているのかも」
もしそうだとしたら、考えようによってはこれまでに無いチャンスとも言える。
「行こう」
既に臨戦態勢の俺達に、迷う必要は無い。俺とリドワンは先頭に立って横に広がり、その後ろにミルサークが、最後衛としてドナホゥが続く。小屋が近づくにつれて、緊張感が高まっていく。
「こうひらけているのは、良くないな。真正面からぶつかるしか無いぞ」
「望むところさ」
ミルサークの呟きに俺は振り返る事なく応じつつ、考える。……長期戦になった場合、それはどちらに有利に働くのだろう。いや、考えるまでもないな。迷宮は魔女のテリトリーだ。多少魔女が弱っていたとしても、時間が俺達に味方をする理由など1つも無い。アイシャの事もある。こちらに力が残っている内に、一気に叩く。それしかない。リドワンも、同じ事を考えている筈だ。
「この景色だって、幻影かもしれん。油断するなよ」
リドワンの言葉に頷いて――俺は足を止めた。呆けていたつもりは無い。ずっと小屋を見ていた筈だ。そこには誰もいなかった。いなかった筈なのに――いつの間にか扉の前に、人が立っていた。人? いや、魔女だ。離れていても感じる、凄まじい魔力。物理的な圧となって、俺達を小屋に近づけまいとしているかのようだ。黒いマントで身を覆い、頭には深くフードを被っていて、体つきも、その顔も分からない。
「まさか――アイシャって事はないよな?」
「安心しろ、それは無い。あれは――」
リドワンが突然、発光させた魔素剣を振り上げた。「間違いなく、魔女シビルだ!」
叫ぶと同時に振られた剣から、衝撃波のような強い光が魔女に向けて迸る。それは幾重にも張られた膜のような壁の存在を露わにしつつそれらを突き破り、シビルへと達した――と思ったが、彼女が少し顔を動かした瞬間、その目前で止まり、霧散した。
「……早い男は嫌われるわよ?」
口を動かしたようには見えない。だが、空気がそう震えた。若い女の声だ。
「お気遣いどうも。あんたがいつもより、弱っているように見えたもんでね」
ぎょっとして周囲を見回す俺達を尻目に、リドワンは涼しい顔で返事をする。
「……おい、魔女と普通に話せるのかよ?」
「まぁ、まんざら知らない仲でもないんでね」
俺が思わず発した問いに、彼は顔を向ける事も無く答える。
「懲りない男ね。まぁあたしも少し楽しみになって来たから、生かしておいてあげていたんたけど。……もうその必要は無いかしらね。仲間を少し連れて来たからって、勝てると思っているの? 可哀想に。皆、子供の焔硝鳥みたいに怯えちゃっているわよ?」
心のどこかで抱いている恐怖。それを見透かされて、俺は唇を噛む。……怖い。怖いさ。5年前の事が、まるで昨日の事のように思い出される。だが――落ち着け。怯える事は、悪いことじゃない。怯えている事を、恐怖を感じている自分を認めるんだ。恐怖とは何だ? それは何処から来る? 得体の知れない、魔女の存在。魔女に対する、俺の無知。それが、恐怖の原因だ。だが、俺はやってきた筈だ。魔女を倒す為に、やれる事やって、努力を重ねてきた筈だ。それを信じろ。信じるんだ。今の自分を認めて、そして信じる。……そうだ。息を整えろ。深呼吸をして、体内の魔素を巡らせるんだ。
「ミルサーク、ドナホゥ」
振り返る事は出来ないが、俺は2人に声をかける。「……大丈夫。怖くて、当たり前なんだ。それを認めて、深呼吸しろ」
「……誰にものを言ってるんだ?」
少し間を置いて、ミルサークの声がした。「心配無用だ。この程度のプレッシャーで、ビビる私じゃあない――と思っていたんだがな」
アルクァ・バルトを叩き合わせる澄んだ音が響く。
「……怖い。怖いが、大丈夫さ。なぁ、ドナホゥ?」
「は、はいですっ!」
直立不動の姿勢で硬直していたであろう、ドナホゥが声を絞り出す。
「心配するな。お前を守るのも、私の役目なんだ。大船に乗ったつもりでいろ」
「わ、分かりました。分かってますっ!」
「……ドナホゥ、深呼吸をしろ。魔素の動きに集中するんだ」
リドワンを除けば最も魔力の高いのがドナホゥだ。その乱れは致命傷になりかねない。
その時、すうぅ〜〜はあぁぁ〜〜、とわざとらしい深呼吸が聞こえた。
「舐めないで欲しいですぅ。実戦経験は少ないですが、元・スパイなんですよ。それなりに修羅場は経験してるんですからっ!」
全員の体が発光する。ドナホゥからの『身体強化』だ。
「見ての通り、心配無用ってことさ」
リドワンの言葉に、シビルは鼻を鳴らしたようだった。
「……悪いけどね、今日はあまり遊ぶ気分じゃあ、ないの。分かるでしょう? 今、大事な時なのよ」
「分かっているさ。――そいつを、邪魔しにきたんだからな」
俺は一歩足を踏み出す。「アイシャは、どこだ?」
「気軽に、あの子の名前を呼ばないでくれる?」
シビルの口調が鋭くなる。「あの子は、あなた達のようなできそこないとは違うの。200年振りに生まれた、あたしの子供。あたしの、新しい器。神聖なものなのよ」
できそこない? 俺達が? つまり――『魔女の落し子』が、という事か?
「……どういう事だ」
「あなた達は、あの子を生み出す為の、副産物に過ぎないって事よ。選ばれた者だけが、あたしの子になれる。……察して、わきまえなさいな」
一瞬混乱しかけた頭の中から、俺は理解不能な部分を削除する。今は、考えるな。受け入れろ。小さく深呼吸をして、俺は口を開く。
「……あんた、一体幾つなんだ?」
「女性に歳を尋ねるほど、無粋な事は無くってよ。あなた、モテないでしょう?」
……放っとけ。
200年振り、と言っていたな。もしリドワンの言っていた事が正しければ、魔女とは精神のみの存在で、肉体は人間のものを器として使っている。つまり肉体そのものは人間と同じ――寿命がある、という事。今の肉体に乗り換えてから200年経っている、という事か? 嘘だろ? 魔力で、寿命を延ばせるとでもいうのか。
「……あんた、随分若そうに見えるがね。新しい器なんか、要らないんじゃないか」
「あら、嬉しい事言ってくれるわね」
シビルがおもむろにフードを取った。2つの金色の瞳が、正面から俺達を一人一人ねぶるように見回す。俺の事など、憶えていないか。……そりゃそうだろうな。
「……ふうん。何だか面白そうな連中を集めてきたじゃない。ま、ここまで来た事は褒めてあげる。だけど――あたしは、言ったわよね? 戻りなさい、と。その言葉に従わなかった報いは、受けて貰うわ」
シビルがゆっくりとその口を開けた。何だ? 吸い込んでいる? 空気を――いや、魔素、を?
「〜〜油断するな!」
リドワンが叫んだ瞬間。シビルの口が閉じたように見えた――と、その口から数条の光の筋がほとばしり、空間を切り裂いた。ドナホゥが『光壁』を張ってくれなければどうなっていただろうか。弾かれた光は地面に当たり、触れた部分を一瞬で蒸発させる。
「集まってくださぁい! 一箇所に集中しないと、もたないですっ!」
ドナホゥの悲鳴のような声に、俺は横に移動しようとした。が、
「いや、駄目だ! 動くなっ!」
リドワンの叫びに辛うじて足を留めた瞬間、分かれて発射されていた光の筋が一箇所に集まったように見えた。そして、これまでに無い太さの光線が、発射された。




