43.「悪いが、地獄まで付き合ってもらうぜ」
……夢、か。
シビルはロッキングチェアの上で目を覚ました。
この体の記憶。手に入れた時の記憶。――やはり限界が近い、という事なのだろうか。額にやった手の指を眺める。皺だらけで節くれだった、枯れ木の枝のように醜く、細い指、細い腕。魔力を使えば、若返る事はできる。しかしそれは見た目だけだ。この器に残された寿命は、変えられない。だが――心配は要らない。次の器は既にすぐそこまで来ているのだから。
本来なら、手を出すことは無い。だが今回は、事情が異なるのだ。もうこれ以上、待つことは出来ない。だから、迷宮内で器が生まれた事を察知した時は、狂喜乱舞した。焔硝鳥の姿を借りて、見守りを続けた。両親が地上へ連れ出すのは想定外だったが――もうそんな事はどうでもいい。
……来たか。
シビルは杖を片手にゆっくりと立ち上がる。ゆっくりとしか動けない。それ程までに、器が衰えていた。玄関の戸を開け、外に出る。森の中に佇む、一軒の丸太小屋。かつて地上にあったものと同じ。高台に建っていて、眼科には広がる草原と、湖が見下ろせる。柔らかな日差しが注ぎ、優しい風が草の匂いを届けてくる。抜けるような青空には雲が浮かび、ゆったりと流れるその姿を湖の水面に映している。
……良い日だ。いつもと変わらない。
ゆっくりと深呼吸をし、感覚を研ぎ澄ます。8層から最下層までの移動だけでも、かなりの魔力を消耗する。加えてこの家の前に来るように位置を調整する必要があった。気を抜くと、別の場所に移動してしまいかねない。シビルは両手で杖を地面に押し付けながら仁王立ちになって、天を睨みつける。と――空の一部が歪んだ。それは次第に大きくなり、中心に黒い空間が広がっていく。
そこから金色の光が漏れて、ようやくシビルは笑顔を浮かべた。穴の中からゆっくりと、天から降ってきたかのように金色の魔素粒子に包まれたアイシャが降りてくる。そして、シビルの前で止まった。宙に浮いたままだ。
「よく来たね。――沢山、怖い思いをしてきただろう」
シビルは目を閉じたままのアイシャの頬を愛しげに撫でた。
「けど、もう大丈夫だよ。あんたは、あたしになるんだからね」
シビルはアイシャを従えるように丸太小屋へと戻る。――そして、扉が閉まった。
◇ ◇ ◇
相手の攻撃を弾き飛ばして、俺は一度息をつく。一瞬動きが止まったように見えただろう。その機を見逃さず、相手はトドメをささんと両手の爪を剥き出しにして飛びかかって来た。が、直前で張られた『光壁』がその突進を弾く。
「良いタイミングだ!」
横合いから飛び込んで来たリドワンの魔素剣の刃が魔物の振り上げた腕を吹き飛ばした。悲鳴を上げて仰け反る魔物。
「〜〜ミルサーク!」
俺が叫ぶとほぼ同時に、後方から飛んできたアルクァ・バルトの炎の渦が魔物の胸を抉り焼く。後方にもんどり打って倒れる魔物。間髪入れず、上空から襲いかかるリドワン。魔素剣の切っ先は確実に魔物の急所を貫き、戦いは終わった。
「お疲れ。……まぁ何とか、形になってきたな」
リドワンが魔素剣を収納しながら呟く。その顔に笑みは無い。
「……これで、9層に来てから何回目ですかねぇ、魔物に襲われるの」
「最下層直前だから覚悟はしていたが、これほどなのか?」
ドナホゥとミルサークのうんざりした様子に、俺は頭を振る。既に両手の指の数は越えている筈だ。わずか数時間の内に、である。いくら9層とはいえ、このエンカウント率は異常だ。
「アイシャを奪われた事が、関係しているのかな」
俺は腕輪を操作しているリドワンに訊ねる。
「かもしれんが、関係無いだろう? おかげで、俺達の連携も深まった。本来9層の魔物はこんなに簡単には倒せないんだぞ? もっと自信を持て」
「……貴方の戦いを見ていると、むしろ自信を失ってしまいそうになるんだがな」
リドワンはミルサークの言葉に苦笑すると、マントの埃を払った。
「大丈夫だよ。気持ちは下がっているかもしれんが、体力や魔力は問題無いだろう? それだけ君達も成長している、という事だ。……さあ、階段まであと少しだ。進もう」
俺達は顔を見合わせると、先頭を行くリドワンの後を追った。
その後、さらに数回の戦闘をこなした後でリドワンは立ち止まり、地面を指した。
「ここだ」
何の変哲もない、草に覆われた地面。隠された最下層への階段。5年前も、そうだったな。俺は前に出て、過去と同じように地面を調べると、1点を見定めて剣を抜いた。
「――いいか、やるぞ」
頷くミルサークとドナホゥの顔が強張っているのが分かる。無理もない。2度目の俺だって、掌に汗をかいている。普段と変わらない様子なのは、リドワンだけだ。
地面に剣を突き立てる。と、そこから左右にひび割れが走り、長方形を描いてその内側が崩れ落ちた。――最下層への階段。
「さすがだな。俺じゃあ、こんなにスムーズにはいかない」
リドワンが俺の肩を叩く。
「そうなのか?」
「ああ。何度か剣を突き立てないと、ヒビが途中で止まっちまうんだよ」
言いながら、階段上の土くれを足で端に寄せる。
「さて。そんじゃあ、行こうか。扉に着いたら、小休憩を兼ねて装備を確認しよう」
「……了解だ」
俺は剣を収納しながら答えた。――普段と変わらない?
そんな筈がないのだ。実の娘が魔女に攫われたのだ。動揺が無い筈が無い。先程叩かれた肩。そこに残る、リドワンの掌の震え。もし訊ねたら武者震いだと、笑って答えるだろう。
……そういう事にしておいてやるぜ。
俺はリドワンに続くよう、ミルサークとドナホゥを促した。
◇ ◇ ◇
――長い階段だ。
何度来ても、慣れる事は無い。だが今日は、1人ではない。自分以外の足音が空間に響く頼もしさ。こんな感情を抱くのは、いつ以来だろう。
リドワンは普段と異なる自分自身を自覚して、一度深呼吸をする。……これが、最後だ。成功の可否に関わらず、体がもたないだろう。
自分を先頭に、ドナホゥ、ミルサーク、ネジドと続く。ネジドと出会えた事は、本当に僥倖だった。魔素剣の試作品を売ってくれ、と言い寄られた時は迷ったが、その時の判断がこんな繋がりに発展するとは。面白いものだ。
そのネジドは、歩きながらミルサークと何やら話し合っている。反響する足音が邪魔をして聞き取れないが、装備や連携の確認だろう。
ミルサーク。まさかギルド長が仲間になるとは。冒険者を引退して長いとは言え、その名前は伝説級だ。最高の援軍とであると言える。彼女の最も得意とする接近戦でのど付き合いが、魔女との戦いでは最悪の相性ではあるが、アルクァ・バルトがそれを補ってくれるだろう。
ドナホゥ。元・隣国のスパイ。ミルサークは以前から感づいていたらしいが、自分は最初警戒していた。どうにも捉えようのない性格の人物。言っている事のどこまでが本気であるのか、判断ができなかった。だが今は、信じて良いと思っている。裏切ろうと思えばそうできる機会は、いくらでもあった筈だ。扱える魔法の種類が多いのも、後衛として申し分ない。
本来は、自分とアイシャ、それとネジドの三人で魔女に挑むつもりだった。それが……実際にはこの面子だ。アイシャがさらわれて、この場にいない事は想定外だが、それを補うだけの実力を持ったパーティだ。申し分無い。
ようやく、10層入り口の扉が見えた。振り返ると、3人が同時に頷く。
「……準備は、できてるぜ」
ネジドの言葉にリドワンも頷くと、ミルサークに向かって何かを差し出した。
「おい、これは――」
反射的に受け取った物を見て、ミルサークは目を見張る。――瞬時帰還。
「正真正銘、最後の1本さ。俺とネジドがやられたら、そこで終了だ。ドナホゥと地上に戻ってくれ」
そう言って、ネジドに金色の視線を向ける。
「悪いが、地獄まで付き合ってもらうぜ」
「……最初から、そのつもりだよ」
笑い合う2人を見つつ、ミルサークは苦々しげに呟いた。
〜〜どいつもこいつも、私に押し付けやがって。
一度ため息をついて、瞬時帰還を腕輪に装填する。
「おい貴様ら、腕を出せ」
「えぇ? あれやるんですかぁ? ここでも?」
「当たり前だ。冒険者としてのたしなみだぞ」
「……俺は冒険者じゃあ、無いんだけどな」
リドワンは苦笑しながらもミルサークに従って左拳を差し出す。
「それを言うなら、あたしにだってそうですぅ。ギルド長だって、【元】でしょう? 考えたらこの中で現役の冒険者って、ネジドさんだけじゃあないですか」
ドナホゥが今更の事実に気付いて、目を丸くする。
「関係ないだろ。問題は実力と、それを発揮する意思があるかどうか、だ」
「あ、ありますよぉ、勿論」
ネジドに続いてドナホゥも慌てて拳を差し出し、4つの拳が揃った。
「ええっとぉ……誰が、音頭取ります?」
「そりゃまぁ現役、だわな」
「そうだな」
リドワンの言葉にミルサークが頷き、ネジドが肩をすくめてそして言った。
「――魔女を倒して、アイシャを救う。いいな」
全員がそれぞれ視線を合わせる。そして声を合わせて言った。
「我らに、幸運を」




