42.「そうだよ、魔女の名前だ]
抜けた天井がロープごと落下するのが、まるでスローモーションのように見えた。俺は脳をフル回転させて考える。ロープを縮めれば、上に引かれるか? だが抜けた天井の大きさはどう見ても俺の体より小さい。おそらく天井の方が俺に向かって来る事になるだろう。他にロープを固定できそうなモノは上空にあるか? ――無い。
ならば、現実は非情だ。俺に出来る事は何も無く、このまま落ちるしかない。下はどうなっている? 煮えたぎる泥の海か、瓦礫の山か。『身体強化』で耐えられるのか。諦めるな。諦めたくない。だが――。
その時、上から伸びてきたロープが俺のロープの先に生き物のように巻き付いた。俺の体が一瞬止まる。次の瞬間、凄まじい勢いで俺は上方へと引き上げられた。これは――7層の崖でアイシャとやった手段? しかしアイシャは――。
思考がまとまる前に、俺は近づいてくる地面に気付いて目をむいた。慌てて体勢を整えて地面に着地すると、その勢いで横へ飛び、地面へと転がる。幸い、地面は揺れておらず、熱もさほど持っていなかった。地面に仰向けに寝転がり、ロープから手を放して深い息をついた。と――。
「……よう、あんただったのか。こんな所で何をしてるんだ」
視界に入ってきた金色の瞳に向けて、俺は呟いた。
「結構、待ってたんだがな。あまりに遅いんで、迎えに来ちまったぜ」
リドワンはロープを手早く片付けながら口の端を歪めた。「立てるか」
「ああ」
差し出された手を掴み、立ち上がった。周囲を見渡す。あちこちから噴煙や溶岩が吹き出していたが、それはこれまでと同じだ。――つまりもう、地殻変動は収まっているという事だ。
「――ネジドさん!」
呼ばれた声に見ると、ミルサークとドナホゥが手を振りながらこちらにやってくる所だった。良かった、無事だったか。おそらくあちらも、リドワンのおかげなのだろう。
「それで?」
リドワンは俺に回復魔法をかけつつ、「状況はどうなってるんだ。……ざっくりとは彼女らから聞いたが、説明して貰うぜ」
「……分かっているよ」
俺は落ちていた帽子を拾い上げて埃を払うと、ゆっくりとそれを深く被った。
◇ ◇ ◇
「――そうか、あの焔硝鳥がな」
リドワンは眉間に皺を寄せつつ、保存用に硬く焼しめたパンを齧った。「嫌な予感はしていたんだ。魔物が人間に慣れ合う筈が無いと。――だから言ったのに」
俺は無言で地面に置いた薬缶からコップに紅茶を注ぎ、彼に手渡す。リドワンは全くこちらを見ずに、それでいて全く迷うこと無くコップを受け取るとゆっくりとそれを口に含んだ。
魔女はあの焔硝鳥――フオフアの姿を借りて、アイシャを監視していたのだろう。ある意味では見守っていた、と言えるのかもしれない。少なくともルブーフからアイシャを解放できたのは、その存在があったからだ。
「……ごめんなさい、です」
ドナホゥがそう言って俯く。「違和感はあったんです。あたしがもっと注意していれば――」
「それを言うなら俺こそ、だ」
俺は手を振った。ルブーフとフオフア、両方の情報を持っていたのは、俺だけだったのだから。しかし、何故このタイミングで魔女はその正体を現したのか。
「……距離、だろうな」
リドワンが言った。「魔女も弱っている筈だ。離れた階層で力を使うにも、限界があったのかもしれん」
成程な。魔女が弱っているというその予測が正しければ、少しは希望が持てる。
「――反省はそれ位でいいだろう」
ミルサークが拳を叩き合わせた。「やる事は1つだ。そうだろう?」
リドワンは頷く。
「魔女が、自分の器となるアイシャを傷付ける筈がない。地面に吸い込まれた、という事からみても、最下層へ連れて行かれたんだろう。もしかしたら9層を飛び越えて、一気に降りたのかもしれない」
「じゃ、じゃあ、急がないといけないんじゃあないんですか? こんな所で休んでいて、大丈夫なんですぅ?」
「……焦りは禁物だ」
リドワンが自分を落ち着かせるかのように、一度息をついた。「万全でも勝てるか分からん相手なんだ。今の俺達の状態では、万に1つも勝ち目は無い。」
――その通りだ。魔法で怪我は癒えても、その分魔力と体力は消耗する。リドワン自身はさほど消耗しているようには見えない。大した男だ。ソロで最下層とを何往復もしているだけの事はある。
「とはいえ、あまり時間が無いのは確かだ。仮眠をとったら出発しよう。まぁ、心配するな。10層への階段はもう見つけてマーキングしてある。ここから先は、スムーズさ」
あっさりと言ってのけたリドワンに、俺を含んだ3人の驚愕の視線が集中する。
「ほら」
彼がポケットから何かを取り出して、俺に差し出した。魔符だ。
「いいのか」
「魔女を倒す為だ。気にするな」
攻撃魔法と、『飛翔』を含む補助魔法が数枚。後で、俺の残りと合わせて整理しなければ。
「……貴方程の人でも、魔女には勝てないのか」
「ああ。魔女ってのは、それほどの存在さ」
ミルサークが絞り出すように言った言葉に、リドワンは変わらず事もなげに返す。「この迷宮ってのは、1つの世界のようなものだ。――そんなものを創り出せるんだからな。見た目は人間の姿を借りているが、もしかしたら、神様に近いような存在なのかもしれないな」
「神様、ですか。……そりゃあ、色んな国が欲しがりますよねぇ」
ドナホウが膝を抱えて続けた。「……あたし、魔女がこの迷宮を創った理由がよく分かる気がします。静かに、暮らしたかったんでしょうね。誰にもその力を利用される事なく、ただ平穏に、静かに」
以前アイシャに話した昔話を、俺は思い出していた。実際、そうなのだろう。『シビルの子』にしても、魔女としては自身が生きながらえる為の自然の摂理の一部、なのかもしれない。だがそれは――俺達人間にとっては不自然極まりなく、決して受け入れることは出来ない事だ。だから何としても魔女を倒し、アイシャを救い出す。『シビルの子』としての運命を、変えてみせる。
その時、ふと思い浮かんだ。何故今まで気付かなかったのか、自分でも不思議だったのだが。
「なあ、『シビルの子』のシビルってもしかして魔女の――」
「何だ、知らなかったのか?」
ミルサークが手にした紅茶をくゆらせた。「そうだよ、魔女の名前だ。――魔女シビル。まぁ、名前で呼ぶような奴など、今では殆どいないだろうがな」
◇ ◇ ◇
――あなたが、魔女、なの?
正面に立った少女が、こちらを真っ直ぐ見つめながら問いかけた。
そうだよ。私が魔女さ。
――お名前は?
その視線は若干の畏怖を残していたが、背ける事は無い。
シビルさ。魔女、シビル。
少女は小さく頷いた。
よく来たね。怖くは無かったかい。
――怖かった。途中までは守ってくれる人がいたけど、魔物に襲われてはぐれちゃって。
それでも、あんたはここまで辿り着いた。辿り着いてくれた。私は、あんたのような子を待っていたのさ。
――そうなの?
ああ。いくら資格があっても、ここまで辿り着けないような子に、用は無いからね。……ここに来た理由は、分かっているかい?
――村の人が、言ってた。私はみつぎ物だって。……「みつぎ」って、よく分からないけど。
そうかい。じゃあ、それはちょっと違うねぇ。
シビルの言葉に少女は無言で疑問の視線を向ける。
あんたは、あたしになるのさ。
――あなたに、なる?
そうさ。その為にあんたは、ここに来たんだよ。
――私、魔女になるの?
そうさ。嫌かい?
シビルは笑みを浮かべて、改めて視線を返した。
――よく、分からない。けど……。
けど?
――力を、持てるの? あなたの力を。
へぇ、分かるかい? あたしの力が。
少女は頷く。シビルは喉を鳴らした。……そうとも。それ位は感じとって貰わないとねぇ。
――だったら、嬉しい、かもしれない。
力が、欲しいのかい?
少女は再び頷いた。さっきよりも、力強く。
――皆んな、嫌いだから。村の人、皆んな。お母さんも、お父さんも。皆んな、私をいじめるから。
そうかい、そうかい。……力を手に入れたら、どうするんだい?
――仕返し、するの。
そうかい、そうかい。
シビルは目を細めて頷き、そして言った。
そんなくだらない事は、やめときな。力ってのはね。イザという時にしか、使わないもんさ。そんでイザという時に使えるよう、努力を続けなきゃあならない。魔女の力って奴は、案外使い所が難しいものなのさ。……それが理解るなら、あんたに力をくれてやろう。どうだい?
少女はしばらくの間目を伏せて思い悩んでいたが、ややあっと顔を上げて、言った。
――頑張る。
いい答えだ。……こっちにおいで。
シビルは微笑み、少女に向かって手を伸ばした。




