26.「俺に、そんな価値は無いよ」
質素ではあるが見違える程綺麗になった部屋と家具類。それでも、テーブルの上に置かれた純白のティーセットはこの場にどうにも似合わない高級感を漂わせていた。カップからは湯気が上がっている。
「これ――」
「ん? ああ、私の私物だ。遠慮は無用だぞ」
ミルサークの言葉に俺は肩をすくめる。
「――美味しい」
母親が一口含んで、言葉を漏らす。
「そうだろう。ヌセイラティ産の取っておきの奴だ。リラックス効果があるものを何種類か、ブレンドしてある」
「香りも素晴らしいです。全てが調和していて、それでいてそれぞれの茶葉のものが立ってますね」
「ほう、わかるか」
ミルサークは目を細める。「ブレンドというのは奥深くてだな――」
「……まるきり、オバサン同士の会話ですねぇ」
俺が思っていた事そのもののドナホゥの呟きに俺は苦笑してカップに口を付ける。クソの奴でなければ、それでいい。
それぞれがそれぞれの立場で、こういう『何気ない会話』をする相手がいなかったのだろう。俺はアブラの顔を思い出していた。やはり彼女のおかげで、俺は随分と救われていたのだと改めて実感する。
ひとしきり話した後で、本題に移った。
「――まずは、お礼を言わせてください。アイシャに会わせてくれて、本当にありがとうございました」
母親――ヘステルと名乗った――は頭を下げて、俺とミルサークは顔を見合わせた。
「いや、むしろアイシャを逃がそうとした貴女方の意思に反した事をして、済まなかった」
「この子が『シビルの子』かもしれない事は、わかってらっしゃったんでしょう? ……そちらの立場ならば、仕方ない事です」
ミルサークの言葉に彼女は微笑んで、アイシャの肩に手を置く。
「……黙っていて、ごめんなさい。謝って済む事でないのは、わかってるけれど」
アイシャは首を横に振る。
「それで――これからどうするか、だ」
腕を組んだミルサークの言葉に、沈黙が広がる。
「……迷う事なんか、無いだろう」
俺は言った。「さっき長老が言ってたじゃねぇか。逃げても、最終的には魔女自身が『シビルの子』を奪いに来るって。なら――戦うしかないだろ。魔女を、殺すしかないだろう」
「戦って、勝てるのか? その確証があるのか?」
「確証なんかねぇよ。だが――可能性はある、と思う。アイシャがいればな」
どういう事だ、とミルサークが疑問の眼を向ける。
「まさか――また、あれをやるんですかぁ? 魔力を流して貰うんですか? ……あれで二人とも、気を失っちゃったじゃあないですか」
ドナホゥが説明すると、ミルサークは顔をしかめた。
「却下だ。危険すぎる」
「多少のリスクは覚悟の上だ。何かを犠牲にせずに得られる物なんか、無いだろうよ」
「あれは――もう、やめておいた方が良いと思う」
俺達は同時に声の主の方を見た。
「言ったでしょ? 魔力を流し込み過ぎると、体に良くないって。気付いてる? ……おじさんの体、何か前と、違ってる気がするんだ」
俺の体――? いや、特に違和感は無いが。
「私も、体が大きくなって、前より力が強くなってる気がするの。もしまた同じ事をしたら、おじさんの許容量を越えちゃうかもしれない。……何が起こるか、分からないよ」
アイシャはそう言って目を伏せる。
「そういえば――」
ドナホゥが思い出したように声を上げる。「4層のあの時、ネジドさんの眼が金色に光っていたような……」
ミルサークがやにわに俺の頭を鷲掴んで自分の顔面に引き寄せた。仰天して見開いた俺の両目を目と目がぶつからんばかりの近距離で覗き込む。
「な――何してんですかぁっ! ギルド長!」
ドナホゥが悲鳴を上げ、アイシャも口を両手で押さえながら立ち上がる。一人動じなかったのは、見えていないヘステルだけだ。
「――ふむ。瞳にも異常はなさそうだな」
「当たり前だろ。――首をねじ切られるかと思ったぜ」
相手の肌の温度を感じる距離から何とか逃れて俺は息をつく。
「――ビックリしたぁ、キスでもするんかと思いましたよぉ」
「き、キスって――」
「とにかく、だ」
顔を真っ赤にするアイシャを横目に、俺は咳払いをする。「あの時、今までに無い力を出せたのは事実なんだ。リスクがあっても、やる価値はある。それにもしかしたら、あの状態なら俺にも、魔素剣が使えるかもしれない」
「……魔素剣を?」
「ああ。お前さんのを、貸してもらう事になるけどな」
ずっと、考えていたのだ。アイシャの父親が何故こんな物を造ったのかを。それは、魔女と戦う為ではないだろうか。5年前の魔女との戦い。あの時通用したのは、アキルの魔素剣による攻撃だけだった。父親がアイシャに魔素剣を持たせたのも、魔女との戦いに備えて、という事ではないのか。
「……成程、貴様の言いたい事は分かった」
ミルサークが頷く。
「だろ? 失敗したら俺は死ぬだろうが、それだけだ。何もしないでアイシャを犠牲にするより、ずっと良い」
「……だが成功した時は、マタハットが全員死ぬ事になる」
「そんなの――」
「そんなの、だと?」
ミルサークの片目が見開かれた。「分かっているのか? それはアイシャの両親も、という事だ」
関係ない、と言いかけた口を俺は辛うじて閉じる。
「……勿論、魔女と戦って勝つ、という事自体が分の悪すぎる賭けだ。だが――おかしな言い方だが――万が一を考えない訳にはいくまいよ。それとも何か? お前は最初から勝つつもりも無く、戦おうとしているのか? 『死にたがり』の名に違わず死ぬ為に戦おうというなら、認めるわけにはいかんな」
俺は視線を外して帽子のつばを下げた。勝つつもりが無い、とは言わない。だが、勝てると思った事も無い。……いや、俺はどこかで勝てないと思っている。勝てる筈が無い、と思っている。だが――それもいい。それで、いい。
「……私が、魔女になるよ」
しばしの沈黙の後で、アイシャが口を開いた。「その為に、生まれてきたんだし。そうでしょう?」
全員の視線が、アイシャに集まる。
「魔女は生き続ける。けど、皆も死ななくてて済む。お母さんも、他のマタハットの人達も。……おじさんも」
「駄目だ。お前が、死ぬじゃねぇか」
「死なないよ。魔女は、私の体を乗っ取るんでしょう? ……なら、生きてるって事じゃない」
「屁理屈を言うな。体が生きてたって、中身が魔女ならそれは死んだも同然じゃねぇか。――いいか。お前が犠牲になる必要なんかないんだ。迷宮が無くなるとか、この国がどうなるとか、子供1人に背負わせる事自体が間違ってんだよ。世界が、狂ってるんだよ! その原因は、魔女だ。だから、殺さなくちゃならない。――黙って、俺に協力しろ!」
思わず立ち上がった俺の前にアイシャは立ちはだかると、頑なに首を横に振った。
「やだっ!」
「〜〜どうして!」
「……おじさんが、死ぬつもりだから」
「魔女を殺せるなら、俺の命なんざ安いもんさ。いいか、子供は黙って大人の言う事を聞いてりゃあ――」
次の瞬間パァン、という甲高い音と同時に、俺の頰で何かが弾けた。一瞬、何が起きたのか分からなかったが、目の前で金色の両目に涙を浮かべているアイシャを見て、理解した。彼女は俺を平手打ちした手を握り締めて、叫ぶように言った。
「いつまで、昔の事を引きずってるのよ! おじさんが1人生き残ったからって、それは悪い事なんかじゃない。仲間の人が生きろって、言ってくれたんじゃない! だったら、生きるべきじゃないの? それが、仲間の為なんじゃないの? なのに――それなのに、何でそんなに死にたがるのよ!」
……今でも時々、夢に出てくる事がある。断末魔のアキルの言葉。
――行け! ネジド! お前だけでも――。
逃げろ、と言おうとしたのだろう。生きろ、と。
「……俺に、そんな価値は無いよ」
俺がほぼ無意識にそう呟いた時、ヘステルがゆっくりと立ち上がった。その動きを追って、何となく皆の視線が集まる。
「――皆さん、」
彼女は穏やかな口調で言った。「そろそろ、食事にしましょうか」
◇ ◇ ◇
ヘステルはアイシャを伴って台所に立ち、手持ち無沙汰になった俺は1人、外に出た。
「……大丈夫でしょうか」
「放っとけ。少し頭を冷やした方が、あいつの為だ」
残されたドナホゥとミルサークの会話が聞こえてくるようだ。
――いたたまれない気持ちでこの街をうろつくのは、2回目だ。
あても無く歩きながら、俺は思い出す。5年前からの繋がり。因縁。ヘステルは、アイシャの言葉に何も言わなかった。内心は、どうなのだろう。娘に生きて欲しいに決まってる。だがその犠牲が自身だけでは済まない。そもそももし逃げても、魔女かま奪いにくる。
俺がいくら息巻いても、魔女を殺せる保証は無い。いや、返り討ちに遭う可能性の方が圧倒的に高い。それは、俺が一番良く分かっている。俺が死ねば、その後でアイシャは魔女に囚われるだろう。
……死ぬ為に戦う、か。
正しいようで、少し違う。いや違わない、のか? よく分からない。アイシャを守る為に戦う。その気持ちに偽りは無い。だが結局俺は、自分の目の前で仲間を失いたくない。それだけなのだ。俺が死んだ後の事など、考えていない。全て、俺の我儘だ。分かってる。分かっているんだ。だがそれでも――。
「動くな」
突然の背後からの声と背中に感じた剣の切っ先の感覚に、我に返った。
「振り向くな。そのままにしてろ」
押し殺した男の声。落ち着き払っている。行きずりの強盗等ではない。
「俺の言う通りに歩け。普段通りに、だ」
「……分かったよ」
俺は小さく息をついて歩き出す。何者だ? 今更マタハットとは思えないが、別の国のスパイ? それとも――。
大通りを外れて、細い路地へ。男に言われるまま何度か右に左に曲がって――辿り着いたのは周囲を建物に囲まれた小さな広場。
「――よし、振り向いていいぞ」
その言葉が聞こえた瞬間俺は数メートル距離を取り、剣の柄を握る。フードにマント。顔は分からない。
「……5年振りになるか。憶えているか?」
男の言葉に、俺は警戒を緩めた。
「もっともあの時は、顔は見せなかったがね。――これを見りゃあ、分かってくれるか」
マントから何かを握った腕が差し出される。
次の瞬間そこから、光が弾けた。男の手の先から伸びる細長い光の筋――魔素剣!
「……あんたか」
5年前、俺に魔素剣を売った店主。そして――アイシャの父親、だ。




