21.「いつから、スパイやってんだ?」
鉄製の扉の外から、何やら騒々しい音が近づいてくる。
俺が目を開けたその時、扉が派手な音を立てて開いたかと思うと、誰かが放り込まれてきた。再び同じ音を立てて、扉が閉まる。
「いてて……幼気な乙女にこんな……こら! 出せ! 出しやがれぇっ!」
放り込まれた人物はうめいていたかと思うとやにわに立ち上がり、その両腕に嵌められた手枷をガンガンと扉に叩きつける。
「……よう」
俺が声をかけると、初めて存在に気づいたのかビクッと飛び上がり反射的に振り返ると、扉を背に立ち尽くす。
「無事だったんだな。……まぁお前さんは殺しても死ななそうな人間の部類っぽいがね」
「……ネジド、さん?」
ドナホゥはずり落ちかけた眼鏡を押し上げると、おずおずと近づいてきた。「ネジドさん……で、いいんですよね」
「なんだ、そりゃ。こんな男前、ネジドさん以外にそうそうお目にかかれんだろう」
「いえ、帽子被ってないネジドさんなんて見るの、あたし初めてかもしれないので……」
俺は肩をすくめた。それはそれで、事実かもしれなかったからだ。
「――やっぱりネジドさんなんですね! うわぁ、よく死にませんでしたねぇ!」
そこは生きてましたね、じゃあないのか? 多少複雑な気持ちになったが、俺は助かった経緯を話してやった。
「翼竜には、申し訳ない事をしたな」
「いいんですよォあんなクソ竜! 言う事全く聞かなかったんだから、自業自得です!」
「……それで? お前さんはどうして助かったんだ?」
今更ながら心の中で翼竜に手を合わせつつ、俺は尋ねた。
「あたしが落ちたのも、湖だったんですよぉ。……今の4層の底は、幾つも湖が点在してるみたいですねぇ。まぁ、地面と激突する事はなかったんですけどぉ、岸に泳ぎ着くまでに何度死ぬ思いをしたことか」
這々の体で岸にたどり着いた所で、俺と同様にマタハットの連中に捕まった、という。
「ここ――どこなんでしょう。ずっと目隠しされてて……」
それも同じ、か。まぁ普通に考えればマタハットの中心、5層の街中だろう。窓が無く、扉が一つだけの殺風景な部屋。魔法封じの魔道具が仕掛けられているらしく、何度か試してみたが、魔法が発動しない。持ち物は全て奪われて身一つなのに加えて、両腕には手枷。
「……あたし達、どうなっちゃうんでしょう」
そう、それだ。奴らは俺達を助けて、どうするつもりなのか。――狙いはアイシャ。考えるまでも無いだろう。だが、『色々と話しをきかなきゃならん』と、隊長という奴は言っていた。――色々だと? 聞きたいのはアイシャの行方、それだけじゃあないのか。
「……アイシャちゃん、大丈夫ですかね。大丈夫ですよね。落ちたとしても、湖の可能性が高いし、何しろ『シビルの子』ですもんね」
どの口が言うか、と一瞬思ったが、ドナホゥとてアイシャを殺そうとしていた訳ではないだろう。それぞれの目的は異なるが、アイシャを心配する気持ちに嘘は無い――と思いたい。俺だって心配だ。今すぐにでも捜しに行きたい。が、まだ体が完全では無い。ここに閉じ込められる前に、魔素抜きの水を飲ませられ大分楽にはなったのだが、まだ本調子とは言いがたかった。今最優先すべきは回復。そして――。
「……さっき、『今の4層の底は』って言ったよな」
俺の言葉に、ドナホゥは不審げな視線を向ける。
「と、いう事は、『今じゃない』4層の底の様子を知っている、という事だな?」
ドナホゥの表情がゆっくりと変わっていく。最終的には苦笑いを浮かべて、ペロッと舌を出した。
「あたし、そんな事言いましたぁ?」
「今更誤魔化したって、仕方ねぇだろう。……いつから、スパイやってんだ? 5年前からか」
すぐにまた、茶化すような調子でいつもの口調が返って来ると思ったが、ドナホゥは俺の隣に座り込んで壁にもたれると、黙ったまま上を見上げた。
「……まぁ、言いたく無ければ別にいいけどな」
多少戸惑いながら言うと、彼女はポツリと呟いた。
「ネジドさん、この国から出たことないですよね」
「……ああ」
「ずっと国に閉じ込められるのと、無理矢理国を追い出されるの、どっちが不幸だと思います?」
ドナホゥの視線が、真っ直ぐこちらを向いている。俺が黙ってそれを見返していると、ドナホゥは口を開いた。
隣国の、ごく普通の家に生まれた彼女は、幼い頃から魔法を使える素質があった。迷宮という魔石の産地が無い隣国では、魔石を使わず魔法が使える人材は貴重だ。分かり次第国に報告し、専門の施設に入れる義務があった。しかしドナホゥの両親はそれを隠そうとした。
それがバレたのは、誰かの密告によるものだった。突然兵士が家に押し掛けてくるとドナホゥは両親と引き離され、施設に送られた。両親とはそれっきりだ。噂では両親も拉致されて、別の施設に入れられたという。それが――。
「……何の施設だって?」
「繁殖用の施設です」
思わず聞き返した俺に、ドナホゥは静かに答えた。「……馬鹿ですよねぇ。素直に届け出ていれば、恩給を貰って楽な生活もできたってのに」
一度素質のある子供を産んだ夫婦は、その「実績」を買われて「増産」を指示されるという。それを強制する為の施設。
専門施設に入った子供達は基礎的な魔法の教育を受けると、適正によって様々な職種に振り分けられる。
「あたしは、攻撃魔法の適正が無かったんですよぉ。だから兵士でなく、スパイとして教育を受けたんです。お前のような奴がむしろ向いてる、なんて言われましたねぇ」
その評価は非常に正しい、と思う。
教育が終わると、この国に送り込まれた。勿論密航で、片道切符だ。帰国は許されず、死ぬまでこの国でスパイ活動する事を強制された。主な目的は、迷宮内の調査と魔石の密輸。密輸については正規で輸入する物の倍近い量が取引されているという。
さもありなん、だな。そうでなければ、アキルが個人で魔石を貯め込む事など出来る筈が無い。アキルが死んで、それの在り処を知る者が誰も居なくなってしまった。今も何処かに保管されているのか、既に誰かに盗まれてしまったか。
「――あ、ネジドさんの担当になったのは偶然ですよ? あたし基本的に昼行灯を目指してたんでぇ、これ幸いだったのは確かですけど。まさかネジドさんが『シビルの子』に関わるなんて、思ってもいませんでした」
……俺だって思ってもいなかったよ。
「『シビルの子』についても、スパイ活動の目的に入っていたのか」
「……教育の中に、簡単な記載はあったんですけどねぇ。正直眉唾ものだって、誰もが思ってました。けど、少し前に事態が変わったんですぅ。冒険者として潜り込んでいた者が迷宮の中で子供を見た、と報告してきたんですよ」
本国に報告すると、万難を排してでもその子を捕らえるべし、との厳命が下った。必ず生きて捕らえよ、と。
「じゃあ、最初に迷宮でアイシャ達を襲ったのは――」
「あ、あたしは参加してませんよぉ。地上で、連絡係でしたんで」
ドナホゥは慌てて言い添える。……十分参加してるじゃねぇか。
「――それに、計画は途中で邪魔が入って、失敗しちゃったんです。黒ずくめの奴らに襲われたとかで。多分、マタハットなんでしょうけど」
そして、アイシャの証言に繋がる訳か。一家は逃げ延びたものの母親は1人はぐれ、父親はアイシャを地上へ逃がすと単独で助けに戻った、と。
「……アイシャちゃんが迷宮に戻りたいっていうのを幸い、もう一度拉致計画を立てたんですけどねぇ。まさか、ネジドさんがあんなに強いとは。――なんかよくわかんない奴も絡んで来るし、もう組織はボロボロですよ」
ドナホゥはため息をつく。ご愁傷様だな。
ギルド、隣国、マタハット。皆がアイシャを狙っている。殺すつもりで無いにしても、行き着く先は同じ事だ。タリスカの件はイレギュラーだったのだろうが、今後もいつ同じような輩が発生するか分からない。隣国にしたって、ドナホゥの知らない別の組織が動いている可能性だってある。
……のんびりは、していられないな。
立ち上がった俺を、ドナホゥの視線が追う。
「――どうするんですかぁ?」
「まずは、マタハットに話を訊きたい」
迷宮内では最も力のある組織だ。アイシャの行方は勿論、両親についても何か知っている可能性はある。奴らも、俺に話を訊きたがっていたようだしな。
「でもこの部屋から出ないと――って、うぇっ!? ちょっ、えぇっ!」
俺の足元に落ちた外された手枷を見て、ドナホゥは目を丸くする。
「ど、どうやって?」
「コツを知ってりゃあ、簡単だよ」
俺は不器用なウインクをドナホゥにくれてやると、改めて自分の身を確認する。話を訊きに行く為には、武器が必要だ。しかし双剣や背嚢は勿論、身に着けていた収納袋の類は全て取られてしまっている。マントの裏に仕込んでおいた魔符は無事だったが、この状況では役に立たない。
「無駄ですよ。奴ら、あたしの体もさんざまさぐって、荷物持って行ったくらいですからねぇ。かなり徹底してますよぉ」
ドナホゥが何故か自慢げにのたまう。――ま、やりようはあるさ。
俺はベルトのバックルの突起を押した。金属部分の一部が外れて、それを摘んでゆっくりと引き出していく。
「それって――」
俺がズボンを脱ごうとしているとでも思ったのか、じりじりと遠ざかっていたドナホゥが身を乗り出した。「鞭、ですか?」
ベルトの皮の中に仕込んでいた、銀色に光る薄っぺらのもの。
「いや、短刀だよ」
魔力を流せば固定化も出来るが、本来は遠心力を利用して敵を切り裂く、暗殺用の武器だ。マントに仕込んでいた柄に固定して、準備は完了。
「ネ、ネジドさん、ネジドさぁん」
ドナホゥがすがる目つきでにじり寄り、手枷を嵌められた腕を差し出してくる。「あのぉ――これ、外して貰えません? その、ついででいいので」
「断る」
「そんなぁ! 目の前で美少女が虐待されてるんですよ! 可哀想とか思わないんですかぁっ!」
「少女って歳じゃあないだろ、お前」
すげなく返した言葉に、ひぃ〜と嗚咽が漏れる。
「酷いですぅっ! 鬼! 悪魔! ネジド!」
「大体お前スパイなんだろ。枷抜け位教わってないのか」
「スパイだって、できることの向き不向きがあるんですよぉっ! もういいですぅ! ネジドさんが出て行った後、あたしはその腹いせにマタハット達の慰み者にされるんですぅっ! アングラのエロ雑誌みたいに! 何人もの男に、代わるがわる――」
想像力の逞しい奴だ。そもそも俺がこの部屋を脱出できる時はドアが開く訳で、ドナホゥだって脱出できる筈なのだが。
「――じゃあ、協力しろ。するんだったら、外してやる」
「します、します。何でもします。一生ついていきますぅ」
俯いてよよ、とやっていた首がばね仕掛けのように跳ね上がり、表情が一気に明るくなる。現金な奴だ。
「この部屋を出るまででいい。それじゃあ――」
俺はドナホゥを正面に見ながら、ゆっくりと告げた。「脱いでもらおうか」
その表情が、凍り付いた。




