20.「俺に、魔力を流し込め」
タリスカの攻撃は止まらない。何とか剣でさばいているが、体に届くものが徐々に増えている。と、違和感を感じて俺はアイシャを固定するロープを確認し、戦慄した。
――切れかかっている!
あくまで目的はアイシャという事か。
「『爆裂』、使う?」
「――直接、奴には当てるなよ」
……アイシャに、人殺しはさせたくない。俺の勝手な思いだが、何度も伝えていた。タリスカの周囲に連続して爆発が起こる。が、それを意に介する事なくタリスカは凄まじい勢いで移動を続ける。見透かされているのか。
――どうする? どうすればいい?
気ばかりが焦り、考えがまとまらない。
「――情けねぇなァ、ネジド。手も足も出ないってか!」
タリスカの声が風に巻かれて俺の周囲を回る。
「俺はな、前からお前が気に入らなかったんだよ! ぼっちはぼっちはらしく、1人でいじけて、1人で死んでりゃあ良かったんだ!」
……何を言っている?
「それが仲間だ? 10層だァ? トントン拍子にいきやがって! ――信じるのは、信じられるのは己のみ。そうじゃなかったのかよ、えぇ?」
タリスカ、お前――。
「そんなんだから、仲間を見殺しにして逃げたって言われるんだぜ? けどな、俺は否定しねぇよ。自分が生きる為に他人を犠牲にする。それの何が悪いってな!」
生きる為? 儲ける為、の間違いだろう、お前の場合。俺は――違う。違う。決めたんだ。今度は守る。守り通すと。
「アイシャ。まだ魔素はもつか」
「う、うん」
「俺に、魔力を流し込め。ドナホゥにやったみたいにだ」
「え? で、でも――」
「何だ?」
「魔力を流し込み過ぎると体に良くないって、お父さんが……」
そうだ。階層の移動時に時折起こる事と同じ。体内魔素量の急激な変化は、害悪でしかない。だが――。
「俺を信じろ、やれ」
「でも――」
「早く!」
ここまで強い語気でアイシャに言ったのは初めてだ。俺の両肩に小さな手が置かれる。その手が震えているのを感じた次の瞬間、心臓をハンマーで叩かれたような衝撃が走った。体の中心に走ったそれは瞬時に全身の末端まで隈無く広がる。
俺は、目を見開いた。
◇ ◇ ◇
……何だ?
タリスカは突進を一旦保留する。ネジドの体が金色に光り、回転を始めた。左右に広げた双剣の先から金色の光が広がり、渦を巻く。気付いた時は遅かった。三本の竜巻の中心に発生した金色の渦は、全ての竜巻を巻き込み、巨大な一本の渦となってタリスカを襲った。翼竜の制御が効かない。一瞬目の前がぼやけた。何かが垂れる感覚に鼻を拭うと、そこには赤い染みが付いている。
この金色、魔素か!
「〜〜冗談じゃねぇぞっ!」
魔素の渦に囲まれ、濃度がどんどん上がって行く。マントをマスク代わりにして下を覗いたその時、ネジドが自分に向かって突進して来るのが見えた。金色のオーラのようなものに包まれたその姿はまるで、
「魔物じゃねぇかっ!」
4本の腕を伸ばした影が迫る。
「うおぉっ!」
両手で剣を振り下ろす。交錯した瞬間、タリスカは見た。4つの金色の瞳が、自分を見ているのを。それがタリスカの、最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
静かだ。
一切の音がしない。俺は仰向けに宙に浮かび、金色の粒子が舞い散る様をぼんやりと眺めていた。何故か、眼に見えるもの全てがゆっくりと動いている。
――何が、起こった? 俺は、何をやった?
アイシャに魔力を流し込まれてからの詳細が、思い出せない。……いや、違うな。それは正確じゃあない。起こった事は、わかる。理解できるし、憶えている。だがそれを俺がやった、という感覚が無い。他人の行動を外から眺めていた、という感じだ。現実感が無い。
血が小さな玉になって、上へ流れていく。鼻血だ。俺から、流れているのか。体は、動かない。動かせない。切れたロープの端が、生き物のように揺れている。背中にあったアイシャの体がゆっくりとズレて、脇から俺の上に移動する。気を失っているのか、眼を閉じて、ピクリとも動こうとしない。うつ伏せに回転したその体を、頭から外れた俺の帽子が包み込む。俺達の距離が、徐々に離れていく。手を伸ばさなければ。だが、動かない、俺は動けない。アイシャ、目を覚ませ。手を伸ばすんだ。――アイシャ、
「アイシャ!」
その瞬間、現実が俺を襲った。俺は落ちている。落ち続けている。風が凄まじい音を立てながら俺の周囲を巻いている。ロープが完全に外れ、上空に舞い上がる。それがアイシャの体に引っかかって――俺は目を見張った。
……浮いている?
引っかかったロープは上にたなびく事無く、アイシャの周囲を漂うように動いていた。金色の粒子が、集まってくる。それらの姿が、急速に小さくなっていく。
「ネジドさんっ!」
気が付くと腰にロープが巻かれ、俺は翼竜の上に引き上げられていた。
「大丈夫ですかっ?」
「〜〜ドナホゥ、上がれっ!」
口だけは、何とか動いた。「アイシャが、上に――」
「やってますっ! でも、なんかこの子怯えちゃって、言う事聞いてくれないんですよぅっ!」
その言葉通り、翼竜の首が一瞬上を向くが、すぐにイヤイヤをするように首を振ると、下に向かう。
「ネジドさん! あれって――浮いてるというか、上に行ってませんか?」
そんな馬鹿な。気絶していてもまだ、『飛翔』が効いているとでもいうのか? いや――違う。
「……俺達が、落ちてるんだ!」
ドナホゥが悲鳴を上げて手綱を操るが、翼竜の首が目に見えて不自然にガクンと落ちる。
「何でっ!? どうして急にっ?」
金色の粒子が、俺達の周りにも広がっていた。……これを吸いすぎたのか?
ドナホゥのおかげか翼竜の体勢は保たれていて、真っ逆さまに落下はしていない。だが垂れ下がった首がバランスを崩しているのか、その場で回転が始まる。
「メーデー、メーデー、あたし達、回転しながら落ちていきますぅっ!」
もはや俺達に出来る事は、振り落とされないよう祈るしか無かった。腰に巻かれたロープが、正に命綱だ。上空のアイシャの姿が一気に小さくなって――霞んで、見えなくなった。
「〜〜ネジドさんっ! 下っ! 地面ですぅ!」
このままの勢いで地面に激突したらひとたまりもない。何かしなくては。今、まだ死ぬわけにはいかない。だが、体が言う事をきかない。……これじゃあ、同じじゃないか。5年前の、あの時と。また、繰り返すのか、俺は――。
その時、ドン、という衝撃と同時に体が浮いた。土くれが雨あられと降り注ぐ。――飛び出た崖に、ぶつかった?
跳ね飛ばされたドナホゥが、手綱から引き剥がされて宙を舞う。こちらに向かって手を伸ばす。俺も――と思うが、まだ体がいう事を聞かなかった。ロープに繋がれたままの俺は、ドナホゥを置いて落下する。ぶつかって軌道が変わったのか、回転したまま斜め下に落ちる。地面が近づくのが分かる。
運が良ければ、奇跡が起これば、翼竜の体がクッションになって助かるかもしれない。運頼み、神頼み、俺がこれまでずっと、背を向け続けた行為だ。今更アテにするのは失礼極まりないのは分かっている。だがそれでも――南無三!
凄まじい衝撃。それと同時に、翼竜が跳ねた。細かい水飛沫が広がる。……水だと? 衝撃は二度、三度と続いた。やがてその間隔が短く、揺れが細かくなり――何かに衝突して、地震のような振動と音が轟く。ロープが外れて、俺は転がる。そう、転がったのだ――地面に!
息も絶え絶えになった俺の目に飛び込んできたのは、水面に切り裂いたような跡を残しながら、大きな波をたてる湖だった。
……水面を、跳ねたのか。
子供の頃にやった記憶がある。川に向かって、石を投げる遊び。
俺は、助かった。だがアイシャは? ――捜しに行かなければ。しかし俺の今のこの状況。怪我等ではない。おそらく、急激に体内の魔素濃度を上げた事による副作用。回復薬でも、効果があるのだろうか。腰の袋に入っていた筈だ。俺は体に力を込め、何とか腹ばいからうつ伏せになる事に成功する。よし、次は腰に手を――。
「動くな」
上を向いた俺の目に、フードを被った男の姿が入りこんできた。ロープの隙間から出した剣の先が、俺の心臓に向けられている。顔は影になっていて、表情はわからない。が、こちらを見下ろしているのが金色の瞳だというのは分かった。
「……迷宮の民、か」
一人ではない。周囲に複数の気配を感じる。
「――隊長、来てください」
剣を突きつけていた男が、その内の一人を呼んだ。「これを」
これ、とは酷い言われようだな。隊長と呼ばれたフードが、その金色の瞳で俺の顔を覗き込む。
「魔素中毒、でしょうか」
「……何だろうな。違う気もする。僅かだが、色が薄まってきてる感じもするしな」
よくわからない会話をした後で、隊長は言った。
「誰も、魔素抜きの水は持ってないだろう? 手遅れになる前に連れて行け。こいつには、色々と話を聞かなきゃならんからな」
また別の奴らがやってきて、俺を抱えあげて何かの上に乗せる。担架のようなものか。そのまま、俺はどこかへと運ばれていく。俺はなすすべなく、されるままになるしかない。その時の俺には、自分の瞳の色がどうなっているかなど、知るよしもなかったのだ。




