17.「何者だ?」
4層。ここの特徴は、フロアが縦に伸びている事だ。地面に巨大な穴が空いていて、底は霞んで見えない程に深い。5層への階段はその底にある。
穴の周囲は樹の年輪のように空間が積み重なっているが、それぞれは独立していて階段などで繋がってはいない。つまり5層に至るには、この大穴を降りていくしかない。『飛翔』の魔法が使えるならば容易いのでは、と思う向きもいるかも知れないが、そうは問屋が卸さない。この穴は、翼竜型の魔物の巣窟なのだ。奴らは動くものならば何でも捕食しようとする。
『飛翔』といっても余程の手練でなければ自由に宙を舞ったりはできない。凄まじい空間機動力を持つ翼竜にとってはエサが空から降ってくるようなものだ。だから殆どの冒険者は大穴の縁をロープを使って、イモムシのようにソロソロと降りていく事を強いられる。
「――まいったな」
道具を点検していた俺はため息をついた。
「どうしたの?」
「いや――ちょっと手を見せてくれ」
「手?」
差し出された小さな手に、昇降機を当ててみる。
「やっぱり、握れないよな」
この階層の為に用意した昇降機。ロープにかけて使用するのだが、ブレーキをかける為のレバーが付いており、それを握る必要がある。が、どう見てもアイシャの手にはサイズが合わない。そもそも子供用など存在しないだろう。無駄な買い物をした、というわけだ。それはそれとして、アイシャをどうやって下ろすか、だ。この娘なら『飛翔』を使いこなしている可能性はあるが、それでも翼竜に見つかる事は確実で、それはできれば避けたい。他の冒険者が下の方にいる可能性だってある。
「そんなの、簡単じゃない」
頭を抱えていた俺に向かって、アイシャはあっさりと言った。
「――こうすれば、何の問題もないでしょ? 念の為『身体強化』もかけてるからさ。重くないよね?」
肩車をされて笑うアイシャを見上げて、俺は1つため息をついた。
「脚をバタつかせないでくれ、バランスが崩れる。――下がるぞ」
レバーを握る力を緩めると、アイシャが慌てて俺の頭にしがみつく。
「……目を塞がれると、困るんだが」
「大丈夫だよ、私が見張ってるから」
穴の縁を降りるにも油断はできない。途中の空間には翼竜が休んでいたり、巣をつくっている事もある。突然、空間から飛び出してきた翼竜に一呑みにされる事もあるのだ。アイシャの力が頼りになるのは確かで、翼竜がいないとわかれば恐れることなく下ることができ、ペースがかなり上がる。翼竜の存在を感知した場合は一旦降下を中断して、手前の空間に降りる。
「どうするの?」
「こいつを使う」
俺は背嚢から直径5cm程の黒い玉を取り出した。
「何それ? 何かの糞?」
「……そんなんじゃあない。4層での翼竜対策に、ギルドが作ったものさ」
俺は顔をしかめつつ答えると、それを地面に軽く叩きつける。「見てろ」
力いっぱい、上空に向けて放り投げた。それは放物線を描いて落ちて――俺達がいる空間の直下辺りでパン、と軽い爆発音と同時に弾けた。黒い煙が広がり、そこからシュワッと火花と共に何本かの筋を描いて煙が下へ飛んでいく。と、次の瞬間咆哮と共に空間から翼竜が飛び出して、煙を追って下方へ向かった。
「音で注意を引いて、動くものを追う奴らの習性を利用するとまぁ、こうなるわけだ。しばらくは安全に下れる」
「……でもさ、結局下に行けばまた会うんじゃない?」
「まぁ、そうなんだが――見てみろ」
再び下を覗き込んだアイシャの目が大きく見開かれる。下では先程飛び出した翼竜と、別の翼竜とが空中で激しく争っていた。
「奴らは縄張り意識が強いんだ。同族同士での争いは日常茶飯事。勝った方も傷ついて倒しやすくなるし、共倒れも期待できる。争っている最中は人間みたいな小物には見向きもしないしな。ま、モノは使いようって事だ。――それじゃあ、出発するぞ」
回収したロープを岩に結びつけると、再び降下を開始する。過去この階層はほぼ2日で踏破していた。だがそれはファティの魔力あっての話で――全員に『飛翔』をかけてほぼ自由落下に等しい速度で穴を落ちていったのだ。笑顔で寄ってくる翼竜を爆破しながら落下するファティの姿に、少し恐怖を感じた事を憶えている――今の俺達のペースが良いといってもおそらく4、5日はかかるだろう、と読んでいた。
――そして、2日目の夜の事だ。
「……来たか?」
俺は傍らに用意していた剣を取った。寝ていたと思っていたアイシャが跳ねるように起き上がる。
「上の方から、いくつかの魔力反応! ――人だよ」
「分かってる。すぐ動けるようにしておけ」
アイシャは傍らの背嚢を掴んで背負う。それで準備は完了だ。俺はアイシャを背後に隠しつつ、焚き火の後ろで待ち構える。空間の奥から見ると、穴の部分は何故か明るく浮き上がって見えて、そこに上から数本のロープが落ちてきたかと思うと、それに沿って人影が降りてきた。シルエットになっていてどういう人物なのかは分からない。3本のロープから2人ずつ、合計6人。よく見ると皆マタハットのように黒いフードを被り、マントを羽織っている。……いや、本当にマタハットなのか?
「……何者だ?」
当然ながら、返答は無い。代わりに、それぞれのマントの下から剣が突き出される。……まぁいい。ならば、無理やり聞き出すまでだ。襲撃者は半円状になって距離を詰めてくる。俺達の後ろは岩壁。後ろから襲われる心配だけはない。その為に選んだ場所だからだ。
襲撃者達が脚を止めた。――来る。
「離れるなよ」
俺とアイシャの体は、既にロープで結びつけてある。アイシャが頷くのを確認するより先に相手が動く気配を感じた俺は、焚き火を思い切り蹴り上げた。火の付いた木っ端と火花が散る。こんなもので怯むような相手ではあるまい。一瞬でも目眩ましになればそれでいいのだ。
突貫してきた襲撃者達は、振り下ろした剣に手応えが無い事に戸惑う。
「――上だ!」
気付いた時には遅い。天井に固定されたロープから振り子の要領で飛び込んだ俺は、1人の背中を両足で突き飛ばした。不意を突かれた相手は大の字で岩壁に叩きつけられる。
「戻るぞ!」
そんな間抜けな行動はしない。ロープを握る手に魔力を込めると、ロープが伸びて俺は勢いそのまま岩壁に達する。叩きつけた相手を踏みつけながら壁を走って横に移動。
――2人目!
横合いから蹴りつけ、その反動を利用して後方へ。このロープは魔力を流す事である程度伸縮させる事が可能。さらに短時間であれば結ばずども吸盤のようにどこでも固定できる。冒険者にとっては珍しくないものだが、戦闘で使う事はまずない。が、
「……曲芸は、ここまでだな」
俺は長剣を構える。もう片方の手は、アイシャの腰紐を掴んでいる。本来のスタイルである双剣は使えないが、何とかするしかない。
「肩車、する?」
アイシャが囁く。
「気にするな。目を閉じてろ」
俺は自分のアイシャをマントの中に入れる。物理的なものに加えて、対魔法の防御効果も付与してある。――そういえば、相手は魔法を使って来ないな。目的がアイシャを生かしたまま捕える事ならば、巻き添えの可能性がある魔法は使えない、という事か。
「……なら、何とかなる、か」
いや、何とかするのだ。アイシャが俺の腕を抱え込むように掴まる。同時に、力が漲るのを感じる。『身体強化』をかけてくれたのか。――ならば!
相手に合わせる必要は無い。俺は正面に向かって飛び出した。口元しか見えないが、相手が驚愕しているのが分かる。俺自身も驚いているのだから無理もない。いつもとはスピードが違う。倍、いやそれ以上かもしれない。おかげで剣を振るタイミングを逸してしまった。近づきすぎだ! 咄嗟に肘を出し、相手の鳩尾を突く。背中まで突き抜けんばかりにめり込む肘先。肉だけでなく、骨まで砕ける感触。相手が口から何か生臭いものが吹き出しつつ、後方に吹き飛ぶ。その勢いに目を見張るが、見とれている余裕はない。残り3人――復活していなければ。『治癒』の魔法が使える者は多い。そうでなくとも、魔符の用意位はしているだろう。
――ならば3人については、気を遣う必要はないな。
「……終わり?」
「とりあえずな」
マントからおずおずと顔を出したアイシャの頭を軽く叩き、外に出す。
俺は最初に岩壁に叩きつけた奴に近づき、うつ伏せに倒れていたのをひっくり返した。……まだ息がある。『治癒』をかける必要はなさそうだ。俺は顔に垂れているフードを引っ剥がした。瞑っている目を指で開く。……金色ではない。
その時、アイシャが俺の手を掴んで、後ろに隠れた。
――新手か。
下がったままのロープから、数人の人影が降りてきた。




