16.「……おやすみ」
昔むかし、ある王国の王様を一人の魔女が訪ねてきました。王は大層喜びました。魔女はその名の通り魔法が使え、他国との戦争にはかかせない存在だったからです。しかし王の期待に反して、魔女はこう告げました。――戦争の道具にはなりたくない、と。
「私はもう、数え切れない程の人を殺めてきました。もうこれ以上、殺したくありません。私に残された寿命もそう長くは無いのです。この国を、最後の安住の地にさせてください。その代わり――この国に、永遠の繁栄を与えましょう」
そう言うと魔女は懐から蒼い石を取り出して、王様は目を見張りました。それは魔力の結晶――魔石だったのです。
「私の安寧を約束して下さるのであれば、これを定期的に差し上げましょう。――戦争の為に使わない、という条件は付きますが」
魔女は魔石を創造する力を持っていたのです。王は魔女にその安寧を約束し、王都のほど近くにある半島の土地を魔女に与えました。
魔女は半島の森の中に小さな家を建てて住み、定期的に王へ魔石を献上しました。王は魔石を国民に広く配布し、そのおかげで王国は繁栄し、魔女は安らぎを得て、皆が幸せになりました。
でも、その幸せは長くは続きませんでした。王様は献上される魔石の量を増やすよう、魔女に要求してきたのです。国民が増えたのだから仕方ない、と魔女はそれを受け入れましたが、要求は増大していきました。もっと多くの量を、もっと短期間で。
王様は隣国へ攻め入る為の、戦争の準備を始めていたのです。それを知った魔女は、魔石の献上を止め、王様の呼びかけに一切応じなくなりました。怒った王様は、軍隊を差し向けました。魔石で強化した、魔法部隊を。兵隊は魔女の家を取り囲みましたが、待ち構えていた魔女は笑って言いました。
「馬鹿な奴らだ。魔法で、あたしに敵うとでも思ってるのかい」
魔女の言う通りでした。彼女が一言呪文を唱えた次の瞬間地面が海のようにうねり、兵隊たちを飲み込んだのです。何度も兵隊を送りましたが、結果は同じでした。でも魔女は憂鬱でした。いつまで、こんな争いを続けなければならないのか。元々は安寧を求めていたはずなのに。
地面に飲み込まれた兵隊の数が百をゆうに超えた頃、やってきた兵隊達は目を疑いました。魔女の家がなくなり、その場所には地下へと伸びる階段が出来ていたのです。
◇ ◇ ◇
「――それが、この迷宮の始まりって話だ」
「要は、戦いが嫌になった魔女が、迷宮を作って引き籠もったって事?」
「まあ一言で言うと、そういう事だな」
遠慮の無い言葉に苦笑しつつ俺は続けた。
迷宮の中は地上とは全く異なる環境となり、魔物が跳梁跋扈する異空間となっていたが、放置という選択肢は無かった。魔石の存在だ。もはや日常生活にも不可欠な存在になっていたそれの供給が断たれる事は、国家の破綻も同義だった。しかし探索が進むにつれて、一つの事が判明する。確実でないにせよ、魔物を倒した際に魔石を回収できるという事実だ。強い魔物程、大きな魔石を得られる。その結果、『魔女を王の下へ引きずり出す為』だった迷宮探索の目的が、次第に『魔物を倒して魔石を得る為』に変化していった。王が代替わりするともはや迷宮は『魔石の産地』としてしか認識されなくなっていた。
「でも、変な魔女だよね」
アイシャは首を傾げた。「迷宮の魔物を倒すと、魔石が手に入る。それも、魔女がそうなるようにしたって事でしょ? 魔石をあげたくないなら、何でそんなようにしたんだろ」
「……さあな」
真実は魔女のみぞ知る、という所だが、理由はいくつか考えられる。魔石を核としなければ魔物を生み出せないとか、あるいは――。
「……人間を、憐れんだのかもしれないな」
アイシャがきょとんとした目で俺を見る。
この国がここまで魔石に依存するようになった原因の一端が、魔女にあるのは間違いないだろう。約束を破った王へはともかく、その他一般大衆に恨みを持つ理由はあるまい。だからこんな仕組みを作った――というのは、根拠の無い俺の妄想以外の何者でもないのだが。
俺は一つ、咳払いをする。
「……どうする。続けるか?」
アイシャの眼が先を促しているのが分かったが、俺は迷った。話を続けるなら『魔女の落し子』に触れざるを得ない。この娘は頭が良い。間接的に言い回しても、気付くだろう。自身の生まれの不自然さに。
「魔女は、迷宮を作ると同時にこの国に『呪い』をかけたんだ」
「……どういう呪い?」
「生まれてくる赤ん坊の内何人かが、『魔女の落とし子』になるというものだ。……『魔女の落とし子』って、聞いたことはあるか」
少し表情を硬くして、アイシャは首を横に振る。
俺は腕輪を外して、左の手首をアイシャに向けて差し出す。彼女の目が少し広がった。
「『魔女の落とし子』は、5歳になるとこれが浮き出る。どういう仕組みかは分からんがな」
アイシャは自分の手首を眺めていた。そこに線は無い。まさか5歳になっていないという事は無いだろうから、やはりこの娘は特別なのだ。少し迷ったが、俺は口を開く。
「お前さんの両親には、無かったのか」
アイシャは無言で思い出そうとしているようだったが、
「よく憶えてないけど……お母さんの手首に傷跡があったのは、憶えてる」
「そうか」
マタハットとして認められる為の通過儀礼がある、と聞いた事がある。手首を切り落とすのだ。当然、その後治癒魔法で繋げるのだが、傷跡が残り、左腕が少し短くなる。差別の対象である2本線を切り落とし、世俗と決別して一生迷宮の中で生きる。マタハットとして生きる意思を証明する為の儀式。やはりこの娘の両親は、間違いなく『魔女の落とし子』。
「それが出ると、どうなるの?」
「……どうも、しないさ」
『魔女の落とし子』が差別される事になった最大の理由は、男は種無し女は石女だという事。かつて王家に生まれた世継ぎが連続して『魔女の落とし子』であり、存続の危機を迎えた。それ以降国から公式に忌み子として、差別されるようになったのだ。
――アイシャが両親を『魔女の落とし子』とわかっていないのであれば、この事は伏せておく方がいいだろう。遠からずわかってしまうだろうが、今知る必要はない、と思う。だから俺は、もう一つの特徴の方を口に出す。
「……『魔女の落とし子』には普通の人とは違う特徴があるんだ」
「何?」
「迷宮の中でなら、魔石無しで魔法が使える」
俺は指先に小さな炎を灯して見せる。
きっかけは、奴隷兵士として送り込まれた『魔女の落し子』の存在だったという。増え続ける『魔女の落し子』の存在と、〈魔石を得るために魔石を使う〉という悪循環に悩んでいた国には朗報だっただろう。それから『魔女の落し子』のみを迷宮へ送り込む為のシステムが一気に整えられた。
半島の入口に巨大な壁を築き、『魔女の落とし子』を隔離する。入ったら、二度と出ることは叶わない。彼らはそこで迷宮探索の為の教育を受け、『冒険者』という名を与えられて迷宮へと送り込まれていく。魔石の回収量でランクが付けられ、同じ立場であった者達に優劣の意識を芽生えさせて、競争させる。冒険者には見せかけのやりがいを、王国民には実利としての魔石を。
それが、ヘブロンという街の正体だ。
「……どうだ、あまり気持ちいい話しじゃあないだろう」
気が付くと、小さな寝息が聞こえていた。俺は苦笑しつつも少しホッとして、新たな薪を焚べる。
だが俺はまだ、マシな時代に生まれたのかもしれない。時代が進むに連れて、ヘブロン内の経済を目当てに『魔女の落し子』でない人間も移り住むようになった。それにより差別撤廃の動きも出てきたのである。勿論住む場所や仕事内容等、区別と言う名の差別は残っているが、それでも壁の外に比べると、差別意識には雲泥の差があるという。
アイシャが寝返りをうち、ズレた毛布を直してやる。
――あの娘は、『供物』だ。そのつもりで、丁重に扱え。
ミルサークが言った言葉を思い出す。俺は――どうするべきだろうか。かつての仲間の顔が、焚き火の中に浮かぶ。それは最後に見た、助けを求める、苦しみに歪んだ表情。もう、見捨てる事はしない。そう決めた筈だ。しかし――。
アイシャの寝顔を見る。……俺は今、間違いなく酷い事をしている。
「……おやすみ」
無意識に、前に言ったのがいつなのか思い出せないような言葉を口に出していた。せめてもの、謝罪のつもりだったのかもしれない。その意図が伝わる事は決してないだろうが。
俺は強壮薬を取り出して一口飲む。油断はできない。ここまでの襲撃は無かった。5層にはマタハットの街がある。襲撃を受けるならここから4層の可能性が高い。鞘から抜いて脇に置いた剣の位置を手で確かめつつ、俺はもう一本、薪を炎へ放り込んだ。




