13.「お、お見事、です」
第1層は、森林地帯。5層までは時間も地表とほぼ連動しているので、深夜の森だ。獣道のようなうっすらとした道が先に続いている。階段を降りると、俺は直ぐそれから外れるルートを選択した。
獣道を辿って行くのが、2層への最短ルートなのは間違い無い。だが1層は特に冒険者の数が多い。夜ともなれば尚更だ。その理由は魔素濃度だ。下層に行くほど濃くなる為、夜はほぼ外界と変わらない魔素濃度の1層まで戻ってキャンプをする、という冒険者が多いのである。既に木陰から漏れる明かりが道に沿ってちらほらと見られた。
アイシャのような子供が迷宮に居る事自体があり得ない事で、見付かったら好奇心の的になるのは確実だ。それは避けなければならない。さりとて、夜は魔物の行動が活発になる時間だ。1層に出没する魔物など知れているが、戦闘になればお節介な冒険者に気付かれる可能性も高まる。
魔物だけでなく、他の冒険者も避けて行動しなければならない。ミルサークは『隠密行動』と一言で済ませたが、考える程無理ゲーって奴だ。
――とは言え、嘆いていても状況が良くなる訳ではない。やれる事をやる、それだけだ。
アイシャは俺の後を黙って付いて来る。驚いたのは、その足の運び方だ。音を立てずに、かつ素早く、細かく動かしている。完全に気配を消した歩き方で、かつそれが継続している。つまり無意識にそれができている、という事だ。……どこかで、彼女の能力を確かめておかねばなるまい。何も知らない無力な少女、という訳ではなさそうだ。俺の勘ではあるが。
「待って」
アイシャがマントの裾を掴んだ。
「どうした?」
何かいるのか――と続けようとした俺を、ピンと伸びた人指し指が制する。彼女に倣って立ち止まり、木の陰に身を隠す。俺の探知スキルには特に反応は無い。……5年のブランクで鈍っている、という可能性も否定できないが。だがそれにしても――。アイシャが掴んだままのマントを揺すり、人指し指を正面に向ける。……何だ? 目を凝らすが、特に変わった所は見当たらない。木々の間に、暗闇が広がっているだけだ。
と――、突然何かの唸り声がした。ぎょっとして視線をやると、闇の中にそれまでは無かった、小さい二つの光。魔物の眼! それは徐々に大きくなり、ついにはその全身が現れた。
……ボーンボア。猪型の魔物。外皮の一部が硬質化しており、まるで骨が露出しているように見える外観から名付けられた。かなりの大物である。
「あそこに、巣穴の入口が、あったの」
マジか。全く、単なる暗闇にしか見えなかったぞ。俺は内心冷や汗をかく。フードの先がこちらを向いた。表情は見えなかったが、察しはつく。どうするか――やり過ごすか、戦うか。
……やるか。
俺は唇を舐め、剣の柄を擦る。ボーンボア自体は大した魔物ではない。唯一の注意点は頭全体を覆っている頭蓋骨――のような、頭皮。武器としても使われるこいつの硬さは、まともに喰らうと骨折だけでは済まない場合もある。が、リハビリ相手としては格好の獲物と言っていい。
緊張? してるさ。当たり前だ。だが、表には出していないつもりだ。緊張している自分を認めて、その上でどうするか、だ。
俺はアイシャを手で制しつつ、ゆっくり立ち上がる。二刀は必要あるまい。長剣を握る掌の汗をズボンで拭う。……体内の魔素量は十分。脚に軽く『身体強化』の魔法をかけて、突進する。これまで何度もやってきた、魔物退治のルーチンワーク。
ゆっくり息を吐き出し、魔素の流れを意識する。獲物は俺達に気付く事なく、地面を掘り返したりしている。問題はタイミングだ。今はまだダメだ。奴がもう少し動いたら――。
ヒョイ、と獲物が動いた。全く緊張感の感じられない、緩慢な動作。俺は飛び出した。狙うは外骨格の隙間――首筋! 獲物がこちらを向いた。目が合った、ような気がしたが、奴が俺を認識できたかは分からない。次の瞬間には首が胴体から切り離されていたからだ。2つに分かれたそれが軽い音と鈍い音をそれぞれたてて、地面に転がる。
「お、お見事、です」
アイシャは言ってくれたが、今回は完全なる不意打ちだ。安心感を与える程の成果とは言えまい。それでも、内心ほっとしている自分がいたが。
「……解体、手伝う?」
「出来るのか?」
「お父さんに、教えて貰ったから」
剣を収めて、俺は顎を撫でて少し考える。
「……じゃあ、魔石の回収と、背側の肉を一塊、分けておいてくれ」
アイシャは頷くと、躊躇することなく首を失った胴体へ向う。俺が頭の方を担当したのは子供には刺激が強かろうという気遣いのつもりだったが、それは不要だったかもしれない。小刀を取り出すと脇腹から切り裂いて皮を剥ぎ、肉に切れ込みを入れると血と脂で汚れるのを気にする事なく腕を突っ込む。魔石の位置を正確に把握していないと出来ない、迷い無く、無駄の無い動き。
あっという間に作業を終えて、俺に回収した魔石を差し出した。1層の魔物にしては、上等なサイズだ。
「持っておくか?」
訊ねると、首を横に振った。
「……ネ、ネジドさんが、倒したんだし。それに――私、魔石使った事が無いから」
魔石を使った事が無い? という事は――。
「魔法が、使えるのか」
今度は首が縦に揺れた。
「お母さんと、お父さんに教わったものだけ、だけど」
言い終えるとアイシャは手を伸ばして俺のマントに振れる。その手が一瞬光ったかと思うと、マントに散っていた返り血が綺麗に無くなっていた。『清浄』の魔法。……たまげたな。普通、この位の年でまともに魔法が使える子などいない。できてロウソク程度の火を灯すか、滴る程度の水を出せるか、だ。それが出来ただけでも、才能アリと見込まれる。
……シビルの子、か。
もはや、疑うまでもないのではなかろうか。
◇ ◇ ◇
深夜の出発とはいえ、夜通し動くつもりは無い。獣道からある程度外れた所で適当な場所を見つけると、明け方まで休息を取ることにした。眼の前では先程狩ったばかりのボーンボアの背肉が白い煙に燻されている。アイシャがいつの間にやら摘んできたという薬草の葉を切り刻んだものを時折火に焚べる度に派手な煙が立ち上がる。
「薬草、じゃない。傷が回復とかはしないから」
アイシャは小刀でリズミカルに葉を刻む。汁が出て、より煙が立ちやすくなるという。
「……変わった匂いだな」
俺は鼻をひくつかせる。
「この匂いのする煙が、役に立つの。肉を長持ちさせて、味も良くしてくれる。虫だけじゃなく、魔物除けにもなる」
フードは被ったままで相変わらずその表情は見えないが、何となく自慢気な口調だ。――少しは、砕けてきてくれているのだろうか。
アイシャの事を知りたくはあったが、受けている依頼はあくまで両親の両親の捜索だ。それを無視して彼女自身の事ばかり訊ねるのは不自然だろう。アイシャはそういう違和感に気付くに違いない。何となくだが、そんな気がした。今は少しずつでも彼女の信用を得つつ、会話の中から情報を探るしかないだろう。
「――それも、父親に教わったのか」
アイシャは首を横に振る。
「これは、お母さんから。お母さんは薬草とか、食べられる草の事に詳しいの」
そう言って、今度は別の平たい大きな葉を取り出した。「肉が乾いたら、これに包んで」
「……それは?」
「ソルシダスの葉。しょっぱいの。料理の味付けに使うんだけど、肉を長持ちさせてくれる」
渡されたそれの端を千切って口に入れてみると、ほんのりとした塩味が広がる。
「ここはいっぱい葉っぱが生えてるのね。ついつい、取っちゃう」
少し見えた口元が少し、微笑んでいるようにみえた。
俺は塩の味がする唾を飲み込んで考える。……おそらくマタハットの知識なのだろう。迷宮の中で自給自足を行うには必要――なのかもしれない。
だが、こんな小さな子にここまでの知識を教える必要があるのだろうか? 両親はアイシャが1人でも生きていけるように、知識を授けていたのではないか。……勿論、俺の穿った見方かもしれないが。
「……眠れそうか? 夜が明けたら、出発だ。少しでも体を休めておけ。見張りは、こちらの仕事だ。心配するな」
フードが揺れて、膝を抱えて座ったその間に顔が埋まる。
俺はソルシダスの葉をもうひとつまみ口に入れる。冒険者は薬草の知識には明るい。学校の授業にも科目があるからだ。しかしこういった生活の為に役立つ植物の知識は殆ど持ち合わせていない。俺が塩や香辛料を準備したように、基本的に地上から持ち込むもの、と教えられてきた。
――5年振りの迷宮、か。
昔の知識はアテにしない方が良いかもしれない。俺は奥歯で塩味を噛み締めながら、改めて気を引き締めた。




