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シビルの子  作者: 健人


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11.「……分かっているよ」

 用心しろ、と言われたがこちとら生粋の鼻つまみ者だ。自慢じゃあないが以前から出禁になっている店も多い。仕入れが出来る店といえばワケアリの客が利用するものばかりで、そういう意味では情報が漏れる心配は無いだろう。


 何は無くとも魔符だ。こいつが揃わなくては話にならない。5年の間にコツコツ買い溜めてはいたが、どうやっても手が届かなかったものを手に入れる。通常よりさらに割高だが、仕方ない。

 食糧は基本現地調達だ。調理器具は昔の物が使える――と思うし、かさばらない塩や香辛料といったものだけを調達する。味は重要だ。栄養的にどうだかは知らないが、少なくとも旨いと感じるものを腹に入れれば気持ちは晴れるし、体も動く。


 武器は良いとして、問題は防具だ。迷宮に潜れない俺に必要がある筈がなく、昔のものはとうに売払っている。皮袋の中を確認すると、全て注ぎ込めばそこそこの物は買えそうではあった。元々入っていた、決して少なくはないが多くもない微妙な数の硬貨。仕入ルート的にどうしても割高になる事もあって、残りは潤沢とは言えない。

 途中で素材を手に入れる事を前提に、中古で割安な物を選んだ。元より俺は素早さで回避するタイプの前衛なので、急所さえカバーできれば何とかなる――筈だ。以前の俺ならば。5年のブランク。それがどこまで俺を衰えさせているのか。行って試してみるしかない。


 ――あとは勇気だけ、か。


 昔思い浮かべた言葉を思い出して、内心苦笑いする。


 一旦部屋に戻り、埃だらけになった背嚢に買った物を詰め込む。ついでに滞納していた家賃――の一部――を払うと、皮袋は思った以上に軽くなっていた。まぁ、仕方ない。俺はそれ以外に残っていた硬貨をまとめて突っ込むと部屋を出た。日はかなり傾いていたが、まだ宵の口という程ではない。

 俺が向かったのは色街――アブラのいる店だ。建物に入ると、甘ったるい香の匂いが鼻につく。そこは待合室になっていて、客は受付で相手を選んで金を払い、呼ばれた者から部屋に向かうシステムだ。当然ながらまだ客は一人もいない。俺が受付に向かうと、顔見知りだが名前は知らない年増の女がこちらに胡散臭そうな視線を向ける。


「……まだ準備中だよ。そこで待ってな」

「知ってるさ。アブラを、呼んで欲しいんだが」

「……金はあんのかい。指名料に時間外同伴も付けるとなると、結構いくよ」


 そういうつもりで来たわけではないのだが……ここで揉めたくはない。俺は皮袋を取り出し、掌の上で踊らせる。


「いつもよりは」


 女の片眉が上がった――と思った瞬間、


「なんだい、急に景気が良くなったみたいじゃあないかえ、ネジド」


 大声で声をかけられたのは真後ろからで、完全に油断していた俺は仰天して飛び上がりそうになった。


「よ、よう、サマル・マム。お出かけだったのかい」

「フン、クソ面白くもない色街の会合さね」


 この店の女主人、サマル・マムは俺の近くまで来ると、目にも止まらぬ早さで皮袋をかっさらった。


「……ふん、全部が金貨ってわけじゃあないね。これまでの分だけならともかく、今日遊ぶのを含めるとちいと足らなそうだよ?」


 袋を開けずに重さだけでほぼ的確に中身の総額を言い当てるこのババアの特技は、一種の超能力と言ってもいいと思う。


「今日は、遊びにきたんじゃないんでね」

「なんだい、ツケを払いにだけ来たって? どういう風に吹き回しかね」


 サマル・マムは受付の女に向かって呼んできてやんな、と指を鳴らすと、そのまま待合所のソファを指した。そこで待て、という事だろう。俺はサマル・マムから皮袋を取り戻す。


「少しくらい、カッコつけさせてくれたっていいだろ」


 一瞬、眉間に深い皺を寄せた彼女だったがその言葉にフン、と鼻息を鳴らす。


「昨日の借りは、これでチャラだからね」


 昨日の――アブラに、店に戻るよう言った事か。


「相変わらずなのかい、外の連中は」


 サマル・マムは自らソファに腰掛けると、葉巻を取り出して端をカッターで切り落とす。俺は指先に炎を灯すと、それに素早く火をつける。年長者を敬うこと。この店のルールの1つだ。


「酷いもんさ。最近は特に酷い。縄で縛ったり鞭で叩いたり。中には、トイレに一緒に入りたいなんて奴もいるのさ。ウチは基本、ノーマルな店なのに」

「トイレに……?」

「女の花摘みに、価値を感じる男も居るって事さ。別に憶えなくていいよ」


 ……まぁ、人の趣味はそれぞれではあるが。


「また、ギルドに依頼を出してくれりゃあいいのに」

「あんたを悪く言う訳じゃあないが、ギルドだって結局お役所じゃあないかね。外の連中に対して、どうこうはできないだろ。……奴らが来なきゃ来ないで、商売あがったりだしね。今に始まった話じゃないから、尚更厄介なんさ」


 そう言うと彼女は深々と吸い込んだ煙を一気に吐き出した。香と葉巻の匂いが合わさり、頭がくらくらしそうだ。


「――ネジド!」


 その時ようやく、救いの女神が現れた。下着の上に透け透けのシュミーズを羽織っただけのあられもない姿だったが、絵で見る女神様の殆どは素っ裸なのでこの場合はむしろ節度がある方と言ってもいいのかもしれない。……俺にとっては裸よりも破壊力があったが。

 正面から見ていられなくて、思わず帽子のつばを下げた。そんな俺をからかうようにサマル・マムは立ち上がって葉巻をくゆらしながら肩を叩く。


「店が開くまでだよ」

「ああ、恩に着る」

「――どうしたの? 突然」


 ソファに向かい合って腰掛けると、あちこちから視線を感じる。だからこそサマル・マムもここを指定したのだろうし、アブラも昨日のように俺に身を寄せようとはしない。


「……金が出来たら店に来て、と言ってただろ」

「開店前なのに?」


 アブラは――少なくとも表面上は――屈託なく笑う。昨日のその後の事を訊ねる程、俺も無神経じゃあない、つもりだ。


「この後、仕事があってね。――終わったらアタマから抜けちまいそうだから、憶えている内にと思って」


 テーブルに置かれた皮袋に彼女は一瞬だけ視線をくれる。


「チップの分を好きに取って、残りは店に渡してくれ。……何なら、全部がチップでも構わない」


 それで、俺の用事は終わってしまった。一瞬無言で向かい合った後、それじゃあ、と立ち上がろうとした時アブラが口を開いた。


「ネジドってさぁ……マザコン?」

「……何だよ、突然」

「ほら、前に言ったじゃない。あたしの方が、割と年上だって。だから、こんな親切にしてくれるのかなぁって」

「……そういう事じゃあない、と思う。単純に、感謝の気持ちさ」


 以前寝物語に聞いた記憶がある。全くそうは見えないが、アブラは結構な年増なのだと。


「いいのよ、別に。皆、小さい頃に捨てられてここに来てるんだから。母親の愛情なんて、受けてないものね。あたしが人気あるのも、そういう理由があるんじゃないかなぁって、思うんだ。……でもねネジド。感謝なんて、しなくていいんだよ。お互い様なんだから、さ。あたしだってあんたの事を勝手にお父さんとか弟とかに重ねて、勝手に救われてる。そういう事なんだから」

「……分かっているよ」

 俺は立ち上がった。外から数人の男の声が聞こえる。「……それでも、さ」


 サマル・マムが受付の横で葉巻を押し潰したのを横目で確認し、時間だということを再認識する。


「ねえ」

 アブラが皮袋を両手で包みながら言った。「前にも、同じような話、しなかったっけ?」


「……かもしれないな」


 正直、憶えてはいなかったが。


「じゃあ、行くよ」

「うん。――また、お金ができたら、お店に来てよね」


 それは娼婦が皆使う、別れ際の決め台詞だった。


 片手を少し上げて店を出るネジドを見ながら、サマル・マムは呟いていた。


「……何だい、まるでこれから戦争にでも行くみたいな雰囲気じゃあないかい」


 アブラを見たが、彼女は皮袋を開けもせずに自分に手渡すと、無言で部屋に戻っていった。


「……まさか、今更迷宮に潜ろうってわけでもあるまいし、ねぇ」


 外の賑わいが、彼女の意識を商売へと引き戻す。カウンター上のベルを連打する。それが、開店の合図だった。


 既にかなり伸びていた店の前の行列に驚きつつ歩き始めた俺の頭に、突然昔の記憶が蘇った。前にもしたかもしれない、同じような会話。5年前、俺が全てを失った直後だ。




「別に、感謝なんてしなくてもいいんだよ」

 彼女はその豊満な胸を揺らして笑った。「あたしがあんたを救ってるんじゃあないの。あんたが、勝手に救われているだけなんだから」


「……分かっているよ」

 俺は心のどこかで失望を感じつつ、それを抑え込みながら言った。「それでも、言わせて欲しいのさ」


「ま、言うのはそちらの勝手だからね」


 アブラが笑顔を絶やす事は無い。それが俺だけのもので無く、これからもそうならない事は理解して、受け入れなければならない。


「あんたは、精一杯、やれる事をやったんだよ。生き残ったのは、そうしたからさ。『生かされた』なんて傲慢な考えは、やめときなさいな」


 急に変わった声のトーンに驚いて顔を上げるが、変わらぬ笑顔がそこにあった。


「あたしにできるのは、慰めてあげる事だけ。――だから、さ。お金ができたらまた来てよ。待ってるから」


 アブラは俺の顔に胸を押し付ける。そうしながら両腕でふわりと俺の頭を包んだ。柔らかく張のある肌のぬくもりと、甘い香り。


 のめり込みたい欲望を、後ろめたさが押しとどめた。




 ――そうだ。俺は、アブラに謝りたかったのだ、と今になってようやく気付いた。いや、本当は前から気付いていたのだ。俺がアブラに求めていたのは、母性などではない。求めていたのは――ファティなのだ。


 ……我ながら、最低だよな。


 俺は自嘲の笑みを浮かべつつ、出発までに一眠りしようと足を速めた。

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