神凪の里 〜ユキの決意〜
16話です!
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ある夜、里長から古文書の整理を命じられたときのことだった。
書庫の奥、埃をかぶった一冊の本が彼女の手に落ちた。
そこに記されていた名
《グレイシア》。
ページを繰るたび、乾いた音が響く。
そしてふと、目が止まった。
『本来、神凪の秘宝は──《グレイシア》なり』
少女の手が震えた。
そこにはこう続いていた。
『数百年前、剣神アレクに従いし旅路にて、我ら一族の代表はこれを喪失す。
秘宝を失うは一族の恥。よって似たる力を持つ《氷羽雪晶》を代わりとした』
秘宝を、失った?
自分が長年苦しみを背負わされたものが、ただの「代用品」だったと?
胸の奥で、氷のような痛みが広がった。
続きには、さらに驚くべきことが記されていた。
『《グレイシア》はいま、ヒュベルにある。』
ヒュベル。
男が外の話をする中で幾度となく出てきたものだ。
確か、タルマカ王国に存在する。願いを叶えると噂される大遺跡。
震える指で、別の頁を開く。
そこには古い伝承の断片が記されていた。
『ヒュベルを制した者の願いは、すべて叶う』
言葉を目にした瞬間、少女の胸に熱が走った。
願いが、叶う。
ならば。
男を、その家族を──あの日失われた命すら、取り戻せるのではないか。
「……ヒュベルに、行かなくちゃ」
声は震えていた。
けれど、その瞳には確かな決意が宿っていた。
禁忌を破ることになろうとも、構わない。
器としてではなく、自分自身の意志で。
少女は、氷羽雪晶を手に立ち上がった。
目指すはヒュベル。
ヒュベルに向かうため里から抜ける方法を探し、一年くらいたった。
少女はついに決行する。
里は静まり返り、ただ虫の声と風の音だけが響いていた。
秘宝を受け継いだ者は、里を出てはならない。
それが絶対の掟。
幼いころから耳にたこができるほど聞かされ、骨の髄まで刷り込まれてきた。
理由はただひとつ。
──より多くの子を残すため。
それが「器」としての役割だと。
血を繋ぎ、一族を高めるための存在だと。
少女は拳を強く握った。
そんなもののために、自分は生きてきたわけじゃない。
あの日芽生えた“願い”を果たすために、ここを出る。
氷羽雪晶を胸に抱き、足音を忍ばせて歩く。
夜更けの里は、驚くほど脆い。
焚き火の見張りを避け、裏道を抜けやがて里の結界にたどり着いた。
そこは外と内を隔てる透明な壁のようなものだった。
触れれば、ぴたりと冷たい圧が返ってくる。
氷羽雪晶を握りしめる。
ひび割れる音とともに、結界の表面が凍りつき、やがて小さな隙間が生まれた。
そのとき、背後から声がした。
「……行くのですね」
振り返れば、世話係がいた。
涙をこらえた顔で、それでも微笑みながら。
「お嬢様が“器”のままで終わるのは、あまりにも悲しいこと……」
言葉に、胸が痛んだ。
けれどもう迷わない。
少女は短く頷き、結界の裂け目を抜ける。
夜風が頬を撫でた。
里の中で感じることのなかった、自由な風。
その瞬間、胸の奥で確信した。
もう後戻りはできない。
けれど、構わない。
願いを果たすために──ボクは、ヒュベルへ行く。
……場の空気が重く沈んでいた。
ボクが語り終えた神凪一族の真実と、ヒュベル、そして《グレイシア》。
仲間たちの表情は硬く、言葉を失っていた。
そんな中、ミノリちゃんが小さな声を上げた。
「ねえ……その魔法使いって、どんな人だったの?」
ぱっと、皆の視線が彼女に集まる。
けれど彼女は怯まずに続けた。
「私ね、ずっと剣神アレクの物語が好きなの。アレクと一緒に旅をした魔法使いも、本で読んで……ずっと憧れてたんだ」
……ふふ。やっぱりミノリちゃんだ。
彼女は真っ直ぐに、暗闇に光を差し込むみたいに、問いを投げかけてくる。
「本で読む限りだと、その魔法使いって……すごく真面目で合理的で、アレクを支える存在って感じだよね」
ミノリちゃんが身を乗り出すようにして言った。
「そうなんだ。世に出回っている物語ではそう描かれているんだね。……でもね、里で教えられたのは全く逆だった。“秘宝を失った愚か者”。上層部は、そう呼んでいたよ」
ミノリちゃんの目が見開かれる。
「えっ……じゃあ、神凪一族だと本にあるのとは全然違うんだ。」
ボクはゆっくりと首を横に振る。
「違うのは、もっと別のところだ。ボクの家に残っていた日記に、彼女自身の旅の記録があったんだ。そこに書かれていた彼女は……真面目なんかじゃなかった。アレクと馬鹿騒ぎして、仲間と笑い合って……ただ“楽しく冒険していた人”だった」
思い返すだけで、胸の奥が温かくなる。
里の価値観では許されない、けれど心から羨ましい姿。
「物語に描かれる“賢者”。里の中で囁かれる“愚か者”。そしてボクが知った、アレクと同じ目線で笑っていた“旅人”としての彼女を。彼女のことは好きに解釈していいよ。ボクは最後の日記の内容の方が好みだね。」
私が言葉を締めた瞬間、しんとした沈黙が訪れた。
けれど、それは重苦しいものじゃない。
「……やっぱり、その魔法使いリナ、素敵だなぁ」
ミノリちゃんが、ぽつりとこぼした。
その声音には、迷いがなくて。
まるで、彼女の心から真っ直ぐに出てきたもののようだった。
「私、アレクの話を読むたびにね……“仲間と一緒に旅をするのって、きっとこんなに楽しいんだろうな”って思ってたの。だからその魔法使いリナが本当にそんな風に笑ってたって聞けて、すごく嬉しい」
気づけばボクは、小さく笑っていた。
「ふふ、ミノリちゃんは本当に……いい読者だね。魔法使いリナも喜んでいるんじゃないかな?。」
「え、えっと……そうかな?」
ミノリちゃんは頬を赤らめて、俯いた。
その様子に、ルシアン君がわずかに口角を上げる。
「……お前らしいな。ま、でも……事情はわかったよ」
今度はバレットちゃんが言葉を差し挟む。
「ユキが何を背負っていて、何を目的にしているか大体わかった。あとは私たちが、どう関わるかだ」
その声には、いつものように無駄がなくて。
けれど不思議と、柔らかさも混じっていた。
「そうやねぇ」
メノウ姐さんが、微笑みながら手を合わせる。
「堅い話ばっかりやったし、ちょっと一息つくんもええかもしれへんな。……な?」
ああ、そうだ。
ミノリちゃんのおかげで、場の空気はすっかり変わっていた。
ボクは外に一度出る。
まだ追ってはきているものの何故か焦りなどはない。
信頼できる仲間のおかげだろうか?
外の空気を吸い込みながら、空を見上げた。
「……話を聞かせてもらいました」
背後から、きりりとした声が落ちてきた。
白い長い髪で白い和装をした女性が背筋を伸ばし、真剣な眼差しでこちらを見据えている。
「私は不滅ノ翼、五隊隊長、神凪ミレーナ。盗み聞きのような形になってしまったこと、まずは謝罪いたします」
彼女は深々と頭を下げた。
生真面目すぎる態度に、思わず苦笑する。
「ふふ、気にしなくていいよ。どうせ隠すような話でもないでしょ?」
「……寛大な心に感謝いたします」
顔を上げたミレーナの瞳は、どこか鋭さを増していた。
「ただ一つ、どうしても確認したいことがあるのです」
その視線が宿舎の中、仲間のもとに向けられる。
「……あの少女。ミノリ・テンドウのことです」
低く抑えた声が続く。
「彼女のオーラを見た瞬間……私は恐怖を覚えました。禍々しいほど黒く、飲み込まれるようで……。あれほどの色は、今まで一度も目にしたことがありません」
ああ、なるほど。
やはり“完璧な目”を持つ者には、そう見えるんだろうね。
「……ボクはただ色でしか判別できないから、確信を持っては言えないよ」
静かに答える。
「でもね、ミノリちゃんと一緒に過ごしてきた時間がある。そこでボクが知った彼女は……優しくて、仲間思いで、少し恥ずかしがり屋だけど、とても楽しい子だった。少なくとも、ボクはそう信じている」
ミレーナはじっとボクを見据え、やがて小さく息を吐いた。
「……そうですか。ならば、私は貴方の言葉を信じるとしましょう」
ほんの僅かに口元を緩めると、敬礼をして背を向ける。
去り際に、彼女は呟いた。
「これは1人ごとです。ヒュベル第2階層。もし次に追われることがあれば、そこへ行きなさい。……ヒュベルでなら、多少は足止めをしてくれる者がいるはずです」
そう言い残しミレーナは去っていく。
*
「ほな、この男はうちが本部まで届けときますえ。」
メノウ姐さんは、ぐったりとしたローブの男を肩に担ぎ上げた。
その口調はおっとりしているのに、扱い方は容赦がない。
「ほな、みなさん。気ぃつけてな。」
短く言うと、メノウ姐さんは軽く手を振って出ていった。
それから少し時間がたったとき。
窓が砕け散る音。
冷たい風と共に、黒い影がいくつも舞い込んでくる。
神凪一族。
そして、その先頭に立つのは神凪イサリ。
ああ、やっぱり来たか。
「……逃げるよ」
ボクは躊躇わず言った。
「どこに?」と、ミノリちゃんが目を見開く。
「ヒュベルだ。あそこなら、時間を稼げる」
一瞬の沈黙。だが次に声を上げたのはルシアン君だった。
「奴らはヒュベルを突破してきていない。となれば、第二階層のボス部屋に俺たちが転移すれば奴らは第1階層のボスから挑戦するしかない。そして俺たちが第2階層を攻略すれば……最低でも二層分足止めはできるというわけか。」
「えっ……そんなこと、できるの?」
ミノリちゃんが不安げに問いかける。
「できるとも。ボクたちが第二階層ボス《グレイシア》を攻略できれば、だけどね」
口元に笑みを浮かべ、ボクは外の気配を振り切るように言った。
そして全員が、頷いた。
ボクたちはヒュベルの深淵に飛び込む。
視界が揺れ、冷気が襲う。
転移が完了した先、そこは、氷に閉ざされた空間。
一面が白銀に輝く巨大な城が立ち、その最も高い塔の上に。
翼を広げ、氷の王が待ち受けていた。
「……氷晶の王鳥、グレイシア」
名を呼んだ瞬間、世界そのものが震えた
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