閑話:ある男の記憶【四】
邪神に体を明け渡した後――気付けば、私は四年前の春に回帰していた。
しかし、私の知る過去とは、少し異なっていた。
ファビウス卿に婚約者ができたという噂を聞いたのだ。
さらに驚いたことに、二人は恋愛結婚らしい。
ファビウス卿はその婚約者を大層愛しており、行く先々で惚気話をしているそうだ。
その噂が気になった私は、さほど仲の良くない義姉を伴ってまで気の進まない舞踏会に参加し、それが真実であるのかを確かめた。
驚くことに、噂は本当だった。
ファビウス卿は心から幸せそうに婚約者と寄り添い、彼らに話しかけてきた貴族の男に婚約者の自慢話をしていたのだ。
奇しくも、婚約者である伯爵家の令嬢は、ペルグラン公爵家が代々理事長を務めているオリア魔法学園の教師だ。
回帰前の人生では、二人が恋仲である噂も、二人に縁談があるといった噂も無かった。
もしかすると、私は過去に回帰したのではなく、夢でも見ているのだろうか。
そうであるのならば、今より昔に――私の愛するあの人が生きている頃に回帰させてほしかったと、私を回帰させた存在を恨めしく思う。
とはいえ、これは好機だ。
今度こそファビウス卿が命を落とさないよう、回帰前の人生とは異なる行動を起こそう。
そのためにも、後継者となる子どもを迎え、オリア魔法学園に入学させる。
子どもを通して、ファビウス卿たちを見守ることにした。
私は、これまでずっと遠ざけていた、ペルグラン公爵家の養子問題に着手した。
周囲からは、早く結婚をして跡継ぎをと言われてきたが、養父から「後継者はペルグラン公爵家の血筋から選べ」と密かに命じられていたのだ。
言われずとも、私は誰とも結婚するつもりも、子を設けるつもりもなかった。
この世で唯一愛したあの人以外の誰かを好きになることなんて、なかったのだ。
傍系の貴族たちはこぞって、我が子を次の当主にと目論んでいる。
だから、私が後継者を選ぶと宣言すれば、他者を蹴落としてまで自分の子どもを後継者にしようとするだろう。そのような事態は避けたい。
私は、生みの親より私に忠実な子どもを求めているのだ。
万が一、私が命を落としてしまった時に、ファビウス卿たちを守ってくれる子に育てるために。
私はまず、執事に命じて傍系の貴族家に生まれた子どもの情報を集めさせた。
その中で目を引いた子どもが――サミュエルだった。
子爵家の子どもであるサミュエルは、父親と継母から虐待されていた。
政略結婚した前子爵夫人との間に生まれたサミュエルを、二人は疎んでいたのだ。
実は継母となった人物は父親と不倫関係にあり、前子爵夫人が死んだ後、すぐに後妻として迎えたそうだ。
彼女にはサミュエルの義兄と義妹となる連れ子がいたが、どちらも子爵との間に生まれた子どもだった。
サミュエルは彼らからも嫌がらせを受けていたようだ。
もともと体が弱かったサミュエルは屋根裏の物置のような場所に閉じ込められ、食事を満足に与えられないこともあった。
(サミュエルの性格は……臆病か。公爵家の次期当主を担うには向いていないな)
貴族の世界では隙を見せてはならない。
臆病であることが露見すれば、たちまち権力の頂点を狙う者たちに屠られるだろう。
私に忠誠を誓う可能性が高いが、彼が臆病さを克服できない可能性を考慮すると、選ぶべきではない。
それなのに、私はサミュエルに関する報告書から目が離せなかった。
(もしも、レジーヌさんがサミュエルの存在を知れば、すぐに食べ物と薬を持って、助けに行くかもしれないな)
幼い頃に私を助けてくれた、愛する人の姿が脳裏に浮かぶのだ。
その間に、私は自分でも気づかないうちに、他の候補者の資料を捨てていた。
私は‶クレメント・ペルグラン〟となってから初めて、己の中にある冷静な判断を無視した。
「……この子の父親と継母について、情報を集めてくれ」
私が指示を出すと、執事はすぐに動き出す。
集めた情報によると、サミュエルの父親と継母はどちらも見栄のために浪費していたため、彼らの家は財政が思わしくない。
だから、二人は他国から違法薬物を輸入して国内で売り、その利益を密かに得ようとしていた。
私はペルグラン公爵家の騎士団を引き連れてサミュエルの家に押しかけ、サミュエルの父親と継母とその子どもたちを拘束する。
また、騎士たちに屋敷を捜索させ、屋根裏部屋に放置されて衰弱していたサミュエルを連れてこさせた。
私はサミュエルを屋敷に連れて帰り、すぐに治癒師を呼んで治療を受けさせたが――治癒師によると、サミュエルはすでに手の施しようがないほど弱っており、長くて余命半年と言われた。
それでは後継者にはなり得ないが、だからといって、サミュエルを養子から外すつもりはなかった。
もしも本当に余命半年であるのならば、別の子どもを養子に向かえればいい。
だが、それはサミュエルが命を落とした場合の話だ。
私はサミュエルを養子に迎える手続きを進める傍ら、彼の父親と継母とその子どもたちの貴族の身分と財産を剥奪した後、密かに彼らを殺した。
父親と継母に怯える一方で親からの愛情に飢えていたサミュエルは、すぐに私に懐いた。
私の期待に応えたいのか、「早く後継者教育を受けたい」と言い、家庭教師をつけてやると、懸命に勉学に励んだ。
サミュエルの成績は良く、家庭教師らは口を揃えて彼を誉めていた。
余命僅かな彼が当主になる可能性は限りなく低いが、私は止めなかった。
今まで苦しい思いをしてきた彼には、好きなことを思う存分させてあげたかったのだ。
それは、彼を通して、子どもの頃の自分の惨めさを払拭したいという、極めて利己的な願望から起こした行動だった。
「サミュエル、私に願い事はあるか?」
「……父上と、旅行に行きたいです。父上はよく、オリヘンに行っていると執事から聞きました。オリヘンは、海が綺麗な街なんですよね? 僕も見てみたいです」
サミュエルは私の顔色を窺いながら、少し緊張した表情で答えた。
「わかった。明日にでも、オリヘンに行こう」
「お仕事で忙しいのに、いいのですか?」
「善は急げだ。それに、私には優秀な家臣がいるから、少し仕事を休んだところで問題ない」
サミュエルに残された時間は少ない。
だから、待たせたくなかった。
そうして、私はもうすぐで命の灯が消えてしまうサミュエルと共に、グリフォンの馬車に乗り、オリヘンへ向かった。
「父上がいつも行く場所に、行きたいです」
「……いいだろう」
私は従者をつけず、自分でサミュエルを抱きかかえ、レジーヌさんの墓まで行った。
オリヘンの温かな気候のおかげか、サミュエルの体調は少しばかり良くなったが、無理をさせられない。
なんせ、オリヘンは坂が多く、健康な人でも移動に苦労する場所だ。
「ここが、私の大切な人の墓だよ」
レジーヌさんの墓に辿り着いた私は、道すがらにあった花屋で買った花を供える。
サミュエルは私の腕から降りたいと言った。
降ろしてやると、サミュエルは地面に膝を突き、レジーヌさんに祈りを捧げた。
そして立ち上がると、眉尻を下げて私を見上げてきた。
「僕が死んでしまったら、父上はまた、ひとりぼっちになってしまうのですよね。その事がとても心配なんです」
「……っ」
気付くと、自分の頬を涙が滑り落ちていた。
私はサミュエルを利用しようとしていたのに、サミュエルは私を想ってくれていたのだ。
久しぶりに触れた純粋な好意が、私の心を揺さぶった。
そのせいで、私は彼にかける言葉がすぐには浮かばなかった。
喜びの中に、罪悪感が滲み、広がってゆく。
「……父上、向こうから、悲しそうな声が聞こえてきます」
立ち上がったサミュエルが指差した先にあるのは遺跡である神殿だった。
回帰前の人生で、私が封印を解いた邪神が眠る場所だ。
今の私の耳には、全く聞こえていない。
まさか、邪神の声が聞こえているのだろうか。
死期が近いと、人ならざる者の声が聞こえるのだろうか。
様々な憶測を巡らせながらもサミュエルに手を引かれて向かうと、辿り着いた先は 神殿の離れだ。
ここは、邪神が眠っている場所。
サミュエルは邪神が封印されている祭壇に手で触れる。
「この中にいる子が、『自分が入るための体が欲しいから、君の体をちょうだい』と言ってきています。だから、僕の体をあげてもいいですか?」
「……っ!」
なぜ、と聞くよりも先に、サミュエルが言葉を続けた。
「僕は、もうすぐで死んでしまうのでしょう? それなら、ちょうどいい気がするんです。この中にいる子どもがとても悲しそうだから、助けてあげたくて……それに、父上と一緒に居たら、この子も幸せな気持ちになると思います」
――そうか。サミュエルは私と一緒に居て、幸せだったのか。
込み上げてくる様々な思いに呑まれた私は、茫然と立ち尽くした。
そうしている間に、サミュエルは祭壇の上にある、邪神を封印するための聖遺物の小さな女神の彫像を床に叩きつけた。
ガシャンと割れた音がすると同時に、辺りに風が吹き荒れ、建物の中をめちゃくちゃにする。
「この子を僕だと思って、大切にしてください」
サミュエルは私に抱き着いてくる。私も体を屈めて抱きしめ返した。
「父上、世界で一番、大好きです」
サミュエルは子どもらしく無邪気に微笑むと、目を閉じた。
「……っ、私もだ。――おやすみ、サミュエル」
私は一人目の息子に別れの挨拶を告げた。
それから間を置かず、サミュエルの瞼は再び、ゆっくりと開く――。
「初めまして、父上。今日からよろしくお願いします」
邪神が私の二人目の息子となって、目を覚ました。
いつもの時間に更新できなくて申し訳ございません…!
理事長の話を書くことが好きすぎて時間をかけてしまいました…。




