805.青白き剣
鍛冶場の外まで響く、槌の音色。
恐らく見習いであろう青年達が、せっせと荷を運ぶ光景が、目の前で何度となく繰り返されていた。
今、俺とガル兄は、待ちぼうけを食っていた。
外で立ったまま待つのも何なので、少し離れた位置に魔力の椅子を作り、スミス兄弟が来るのを待つ。
幸い、鍛冶場が火を扱う施設ゆえか、周囲の建物との間は広く空けてあり、俺達二人が座って寛ぐだけの場所は悠々とあった。
まぁ、椅子と言っても、ただの四角い魔力の塊なんだけど。
その上で背筋を伸ばしたままのガル兄が、鍛冶場の入口を見ながら口を開いた。
「マルク。待たせて悪い」
「偉い人は忙しいものでしょ。ゆっくり待つよ」
魔法学派『フクロウの瞳』の副学派長であるミュール様に、よく訓練をつけてもらっているから忘れがちだが、本来はミュール様も忙しい身なんだよな。
王都での用事とやらが、面倒事でないことを、ここから祈っておこう。
無駄口なく暫し待つと、鍛冶場から待ち人が姿を現した。
立ち上がった俺達の元へ、二つの筋肉の塊が歩み、迫って来る。
大男であるスミス兄弟が並んでやって来ると、視界の圧が凄まじい。
丸太の如き太い手足。
無駄な肉など感じない盛り上がった胸筋。
そして太い首の上に乗る彫刻の如き彫りの深い顔は、兄弟揃って同じであった。
違いがあるとすれば、兄ノック氏は、きちんと服を着て真面目な面持ちをしており、弟マグナ氏は、上半身裸のまま、頭髪無き頭の下で明るい笑みを浮かべている点であろう。
その大きな体躯に目を奪われ気付かなかったが、ノック氏は、鞘に納められた一本の剣を右手に握っていた。
普通の直剣と同じ長さであろうが、ノック氏が持つと小さく見えてしまう。
俺達に近づきながら、マグナ氏が大きな笑い声を発した。
「ハッハッハ。坊主、ガランサ。待たせたな」
「いいえ。仕事は大事ですので。初めましてマグナ様。マルクと申します。以後お見知りおきを」
差し出されたマグナ氏の右手に右手を重ね、握り――瞬間、握り返された俺の右手が、潰れんばかりに悲鳴を上げる。
痛い、痛い、痛い。
駆け抜ける痛みが、マグナ氏の筋肉に対する警戒を脳へと促す。
俺の右手に走る痛みなど知らぬとばかりに、マグナ氏は満面の笑みを浮かべながら俺の手を離した。
こんな事で、その筋肉が伊達ではない事を教えてくれなくてもいいのに……。
解放された右手を動かし、異常を確認する。
すると、少しだけ右手が動かし難かった……って、それは月の女神との戦いで負った怪我が原因だな。
うん、大丈夫だ。何ともなってない。
「聞いていた通りの硬い坊主だ。俺の名はマグナ。鍛冶師をやっている」
「御高名は、かねがね」
「調子が狂うな。兄上、ガランサ、マルク坊主はいつもこうなのか?」
胸筋をピクリと動かすマグナ氏が、ノック氏、そしてガル兄へと視線を向けた。
ノック氏は、上腕を躍動させながら、短く答える。
「そうらしい」
「マグナさん。マルクはこういう男ですので、お気になさらずに」
「そうか、そうか。ならば気にせずにいよう」
そう言うとマグナ氏は「ハッハッハ」と豪快に笑い出した。
笑う声に合わせ、半裸の筋肉がピクピクと動いている。
マグナ氏は、どう判断すればいいのか、分からない人だな……。
困惑する俺を見てか、鼻から息を零したノック氏が、微かに笑っていた。
その僅かに弧を描く口を開いたノック氏が、辺り一面に大声が響き渡らせる。
「マルク少年。態々足を運んでもらって、悪いな」
「いいえ。お気になさらずに」
「助かる。ところで少年。理由は、ガランサから聞いているか?」
「それが、だんまりでして」
「ハッハッハ。坊主に言わんよう、俺が口止めしておいたからな」
なる程。
ガル兄が何の用事か言わなかったのは、上司の命令って訳か。
まぁ元よりガル兄経由での頼み事ならば、受けるつもりだから良いんだけど。
勿論、碌な事でないならば、断らせてもらう。
「マグナ……要らぬ事を。すまないな、少年」
「お構いなく。それでノック様、俺への用事とは?」
聞く前から、少しは予想がついている。
俺の問いに頷いたノック氏は、予想通り、握っていた剣を俺へと差し出した。
「この剣を、試してもらいたい」
「試し斬りならば、俺よりも腕の立つガル兄に任せた方が良いかと」
俺は差し出された剣を受け取らずに、そう進言した。
試し斬りは、信頼の置け、そして達者な人に行わせるべき大事だ。
少なくとも俺がやるべき事ではない。
だが、ノック氏の目は真剣そのものであり、真っ直ぐに俺を見据え続ける。
「ガランサでは駄目だ。俺は、いや俺達は、この剣の試しを少年に頼みたい」
「右手の不調は、御存じですか?」
「知っている」
知って尚、俺に剣を振るえと言っているのか。
期待に応えられるか分からないが……そこまで言うなら、受けよう。
了承の言葉の代わりに鞘と柄を掴み、俺は、剣を受け取った。
ノック氏が手を離すと、重さが俺の手に伝わって来る。
普通の鉄の直剣よりも、軽いな。
先端と口を金属で保護した鞘には、女性の横顔の意匠が施されていた。
鞘に比べれば質素に見える鍔や柄であるが、柄は握りやすく、そこからは質実剛健さが窺えた。
鞘から剣を抜き、右手に握る柄を立て、切っ先を天へと向ける。
日の光を浴びる刃が、眼前にて青白く輝く。
幅が細い両刃の剣身は、鏡の様に世界を反射し、俺の姿を映し出していた。
剣に映る父譲りの鋭い目が、剣の傾斜に合わせ、歪んで見える。
特別な趣向は感じないな……俺は、こういう剣が好きだ。
それに、飾り気のない剣ではあるが、剣自体が宝石の様にも思える美しさを持っているので、きっとこれでいいのだろう。
この剣は恐らく、ダンジョンで発見された未知の鉱石を使ったものだな。
銅でも、鉄でも、銀でも、金でも、精霊銀でもない。
「試しは、何で?」
「鉄の鎧を。お前達」
「「ハッ!」」
ノック氏とマグナ氏が巨体を横へずらすと同時に、スミス兄弟の後方に二人の青年が現れ、全身に鎧を纏った木製人形を設置し始めた。
木製人形は、成人男性程の大きさをしており、庇を上げた兜の下から、のっぺらな顔を覗かせている。
試し斬りに、人や動物を斬るという話を聞いたことがあるが、今回は違う様だ。
正直、相手が木製人形で良かった。
いきなり鉄の鎧を斬れというのは、難度が高すぎる気もしなくはないが、生物を斬る事に比べれば遥かに気が楽だ。
もう剣を握った以上、やるしかない。
俺に手を伸ばすガル兄へ鞘を預け、両手で柄を握り直す。
剣を前に構えたまま、鎧の正面へと移動し、俺は足を止めた。
あと二歩踏み込めば、剣の距離だ。
念の為、周囲が安全かどうかを確認する。
青年らは遠くへ離れ、スミス兄弟は既にガル兄の近くへと移動していた。
よし、大丈夫だな。
「では、いきます」
「ああ。頼んだ」
「我らスミス兄弟の久しき合作。存分に振るって魅せてくれ」
息を吐き、体の力を抜く。
なぜだろう……鉄の鎧を切れないなんて想像は、一欠片すら浮かばなかった。
出来る。
俺は確信と共に、前へと進む。
一つ、二つと地を踏み締め、青白い剣を、鉄の鎧の肩口へと振り下ろす。
抵抗を感じたのは、ごく、ごく僅かでしかなかった。
弧を描く剣の輝きは、鉄の鎧の左肩へと侵入すると、そのまま胸を裂き、腹を裂き、右横腹から脱し、再び太陽の元へと姿を現した。
すぐさま手首を返し、左から右へ切り払う。
剣は、木製人形を守る筈の鉄の鎧を、呆気なく両断した。
まるで、宙を舞う落ち葉でも切ったかのような手応えの無さ。
二撃を終え、再び剣を正面に戻した時、ようやく木製人形が動き始めた。
切断した二つの線に沿う様に、鉄の鎧と木製人形の上体がずれ、落下した。
鎧と体が、地面を叩き、大きな音を鳴らす。
残った下半身は、鎧を身につけたまま直立していた。
その鉄と木の断面の鋭利さが、剣の鋭さを如実に表している。
これは、俺の技術ではない。
この剣の、力だ。
正面に構えた剣には、傷一つ無く、変わらぬ剣身を青白く輝かせていた。




