804.そのお茶の価値
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スミス兄弟に会う約束の時間よりも少し前。
合流の為にガル兄の工房を訪れた俺は、人差し指の先の先から冷たい茶を放ち、ティーポットに注いでいた。
「へぇ。これがアラクネの糸を織り込んだ織物か……肌触りも良いじゃねぇーか」
「ゆっくりお確かめ下さい」
この応接室の卓で顔を突き合わせる二人の声が、自然と聞こえてくる。
はてさて……何故、俺が茶を用意しているのだろうか?
魔法を止め、二つのカップへ向け、ティーポットを傾けると、注ぎ口から鮮やかな茶が流れ始めた。
流れる茶から、茶で満ち行くカップへと、視線が移る。
この縁飾りの美しいカップは、ガル兄の工房に置いてある中でも上品な物だな。
それだけの茶器を用意する程の、大事な客人なのだろう。
「おまたせしました」
卓に付き、顔を突き合わせる二人の側へ、茶で満ちたカップをそっと置く。
先に客人へ。そしてガル兄が雇う使用人であるカエデさんへ。
椅子から俺を見上げるカエデさんは、今日もスラッとした長身を執事服で包み込んでいた。執事服を着ているのは、単なる彼女の趣味だ。
軽い会釈と共に、後ろで一纏めにした、長く、艶やかな黒髪が揺れる。
「ありがとうございます、マルク様。嗚呼、そのお優しさを、外道の極みたるガランサ様にも分けて頂きたいものです」
「外道か? まっ、あいつは、あれで良いんだよ。あれで」
そう答えたのは、カエデさんの対面に座る二十前半程の女性であった。
紫がかった髪を極端に短く切り揃えた彼女は、勝気な性格を表すかの如く、力強い目でカエデさんを見つめている。
勝気な目だけでなく、戦士と言われても違和感のない鍛え上げられた肉体と、健康的に焼けた小麦色の肌もまた、彼女の性格の一部を示していた。
彼女の名は……何と言うのか、忘れてしまったな。
何処かで一度会った憶えがあるのだが、思い出せない。
まぁ、俺にはあまり関係のない事だろうし、気にしなくても良いか。
茶を用意し終えた俺は、客人へ一礼し、退室を告げる事にした。
「それでは、失礼します」
「ちょっと待ちな」
座ったままの彼女は、手に触れていた美しい布地を卓上へ戻しながら、睨むような目で俺を見上げる。
特に、彼女に何かをした憶えは無いのだが……。
「はい。何でしょう?」
「お前、それで良いのかよ?」
「……それで、とは?」
「カエデに良いように使われて、情けなくはないのか、お前」
「全く。茶を振る舞うのは趣味みたいなものですから」
俺の返答に対し、彼女はポカンと口を開けたまま、点となった目を俺へ向けた。
固まってしまった彼女の表情は、呆れを隠そうともしていない。
それにしても、変な事を聞く人だな。
まぁ、俺自身、何故茶を淹れる事になったのか、分かっていないのだけれど。
彼女は、固まった表情を解しながらカエデさんへ向き直り、呟いた。
「ったく、こんな気の抜けた野郎に……親父もおじ様も、正気か?」
それは、俺へ向けた言葉ではなかったらしい。
どうやら呼び止めた理由は、さっきの質問だけみたいだな。
「では改めて、失礼します」
「ああ。茶、ありがとよ」
カップへ手を伸ばす彼女と、口元を抑え、笑うカエデさんを残し、俺は応接室を後にした。
そのまま作業場に居るガル兄の所へ向かっていると、ふと、俺が茶を淹れる事になった理由が思い浮んだ。
カエデさん、お茶を淹れるのが面倒だったんだな……きっと。
カエデは、紫髪の女性ブリジットがお茶を飲む姿を、楽し気に観察していた。
女性としては少々太い首の内側で、静かに喉が動く。
口元からカップを離した顔には、先程までの力強い表情は残っていなかった。
緩んだ顔に似た、柔らかな息が、ブリジットの鼻から抜けて行く。
だが、ブリジットの気の抜けた表情は瞬く間に変化し、すぐに元の勝気な表情へと戻ってしまった。
「まあまあってとこだな」
「ブリジット様は、もう少々渋いお茶の方がお好きでしたね」
「男も茶も、一本筋が通ってる方が良いに決まってんだろ」
そう言いながらも茶を呷り、ティーポットへと手を伸ばすブリジットを見て、カエデは己のカップへと視線を落とした。
マルクの用意した魔法のお茶を見つめながら、カエデは思考を巡らせる。
このお茶を、どうにか商品化出来ないものかと。
だが、幾ら真剣に考えようとも、答えは見つからない。
このお茶で金を儲ける算段は幾らでも思いつくカエデであったが、それがただの皮算用でしかない事を重々承知していた。
儲けが如何に莫大であろうとも、分け前が如何に多かろうとも、マルク本人が首を縦に振らないと、理解してたからである。
決して……。
だが、その想像もまた、カエデにとっては愉快なものであった。
カエデは笑みを浮かべると、静かにカップを口へ運んだ。
口に広がる薄い酸味と渋み。
そして喉を通り抜ける清涼感。
お茶の通った道を戻るかの様に、豊かな香りが体の内から沸き上がり、カエデの鼻の奥をくすぐる。
体の中に広がる温かな魔力もまた、カエデの心に癒しを与えていた。
「やはり、マルク様のお茶は、良い」
我が儘を言って正解だったと、カエデは心の中で頷いていた。
飲みかけのカップを卓へと置いたカエデは、自分を興味深げに見るブリジットへと視線を戻した。
「なぁ? カエデから見て、あいつ、どうなんだ?」
「そうですね……マルク様は面白い方ですよ」
「面白いねぇ。ピュテルの騎士があんなんで良いのか、俺には分からねぇな。もっと頼りになりそうな奴なら、親父達の行動も理解出来るんだけど」
「フフフッ。ブリジット様は、面白い事を仰いますね」
笑うカエデの言葉に、ブリジットの口元がニヤリと歪む。
そこに挑発的な色は見えず、ただただ楽しそうに曲がっていた。
「どう面白いってんだ?」
「ことモンスターに対して、この町で最も頼りになる男をさして『もっと頼りになりそうな奴なら』だなんて可笑しなことを。フフフ」
「俺だって、あの男が強いって事ぐらい知ってるよ」
「恐らく、その想像では足りぬ程に。でなければマグナ様とノック様も、マルク様の為に力を尽くす事は無かったでしょう」
「カエデが言うなら、そうなんだろうな……ふぅ。やっぱ、まあまあだな」
視線を逸らし三杯目を注ぐブリジットを、カエデは微笑み、見つめていた。
上がるお茶の評価に引きずられ、織物の評価も上がる事を、密かに願いながら。




