803.アムとガランサの用事
朝食後、俺はガル兄とアムに魔法の茶を振る舞いながら、残したドライフルーツを噛み締めていた。
噛む度に杏子の凝縮された甘さと酸味が口に広がり、甘いのにスッ通る爽やかな香りが鼻を抜けて行く。
味を堪能した後は、茶を一口……口に残る風味と茶が、良く合う。
果実と茶は、やはり良い組み合わせである。
このドライフルーツは全部食べずに、シャーリー達にも残しておこう。
ふと、視線が台所へと向いてしまった。
今、シャーリーとテラさんは、朝食の後片付けの真っ最中である。
俺も一緒に手伝いたかったのだが……残念ながら二人に追い出されてしまったので、手伝いようがない。
仕方が無いので、ガル兄達の用件を聞くとしよう。
「ふぅ……で、二人は何の用で来たのさ?」
「その前に、僕も一つ貰っていいかい?」
「別に良いけど。アム、自分の分はさっき食べただろ」
「それとこれとは、話が別さ」
「俺も一つ」
左右から伸びた手が、俺の正面の小皿からドライフルーツを掠め取る。
アムとガル兄は、揃って口に放り込み、先程の俺の真似をする様にドライフルーツをゆっくりと噛み始めた。
まぁ、俺が食べる分が無くなっただけだから、別に良いけどさ……。
暫く待つと、俺の両耳に、気の抜けた吐息が届いた。
「これも中々いいな」
「少し味の軽いマルクのお茶に、アプリコットの香りがピッタリと合っているね」
ガル兄もアムの堪能したようで、結構、結構。
そうだ。
今度、自分でドライフルーツを買ってみるか……何処で売っているのだろう?
「なぁ、アム――」
「急かさなくても、用件は言うよ」
視線の先のアムは、俺の言葉を遮りながら、その整った顔を軽く崩した。
いや、俺が聞きたいのは、ドライフルーツの入手先――アムに教えて貰うよりも後でシャーリーに聞いた方が良いな。
それに、アムの話の腰をいきなり折るのも気が引ける。
口を挿まぬ俺を見て、アムは両手でカップを包み込みながら言葉を続けた。
「僕のは用件と言うよりも、お知らせかな。ちょっとした用で王都に行くから、知らせておこうと思ってね。黙って行くと、君は不安がるだろう?」
「ならないって……とは言えないな。最近、外がちょっと物騒だし」
不敵な笑みを浮かべていたアムの目が、虚を突かれたように点へと変化した。
そのままアムは、パチパチと瞬きをしながら、俺と視線を交わし続ける。
何も変な事は言ってないのに、可笑しな奴だな。
「冗談で言ったけど、僕のこと心配してくれるのかい?」
「当たり前だろ。便利な御者は要らんかねー。お安くしとくよ」
「是非一緒に、と言いたい所だけど、今回はミネルヴァ様の用事のついでに連れて行ってもらうから、護衛は必要ないよ」
「そっか」
俺の素っ気ない返事を聞き、アムは爽やかな美男子顔を取り戻した。
その内側の感情は、美男子の仮面を張り付けたアムからは伝わってこない。
こいつの考えと感性は、俺には理解できない所が多い……って、それは誰に対しても同じだな。
「君との二人旅も良いけど、それはまた今度にでもとっておくとしよう」
「今度ねぇ……いつになるやら」
まぁ、アムも社交辞令で言っているのだろうから、その『いつ』が訪れる事はないのだろう。
少し、残念だな。
王都からの帰り道……二頭の馬が奏でる軽快な蹄の音を聞きながら、御者台で穏やかに語らう一日……休憩のため立ち寄った村での昼食……。
アムとの唯一の二人旅を思い返す俺の代わりに、ガル兄が口を開いた。
「アム。出発は、いつなんだ?」
「今日の昼食前。ガランサも一緒に来るかい?」
「王都か……最近行ってないな。まっ、遠慮しとくよ。ミネルヴァ様に睨まれたくないしな」
ガル兄の中の『ミネルヴァ様』像が気になるが、それよりも、アムの出発時間を聞いて納得する気持ちの方が強かった。
『明日の訓練はお休みです』とだけ俺に告げた昨日のミュール様の涼やかな声が、頭の中で響き渡る……王都に行く用事があったんだな。
今日は大人しく、屋敷で訓練に勤しむとしよう。
「フッ、ガランサも僕みたいに、巻き添えで目を付けられてしまえば面白いのに」
「おいおい、アム。俺までマルクの巻き添えにする気か? 冗談はやめてくれ」
アムよ。
お前の望み通り、ガル兄はもう、ミュール様に目を付けられている筈だぞ。
あの不味い赤色ポーションの所為で……まっ、これは言わない方が良いよな。
「ガル兄の王都行きは置いておくとして――」
「行かないぞ」
うん。態々遮らなくても分かってるよ、ガル兄。
俺はガル兄の声に頷きだけを返し、アムへ向け言葉を続けた。
「アム、気を付けてな」
「お土産は期待しないでおくれよ」
「要らないって。仕事だろう?」
「前と同じく、騎士団にスクロールをね」
納品と実演と、恐らく要望を直接聞く為だろうな。
茶を呷り、口を潤したアムが、小さく息を吐き出す。
俺は空になったアムのカップを指差し、茶を注ぎ入れながら、労う事にした。
「研究室を持つってのも、大変だな」
「皆を飢えさせる訳にはいかないからね。取引先は大事にしないと」
「分かるぞ、アム……」
二度、三度と頷くガル兄が、しみじみとした声で共感を表していた。
魔法学派『フクロウの瞳』に若くして研究室を持つアムと、工房ギルド『精霊銀の槌』に同じく若くして工房を持つガル兄。
二人には、背負いこんだ苦労と言う共通点があったみたいだ。
そんな責任を背負うなんて、俺には土台無理な話だな……。
だがしかし、アムは兎も角、ガル兄の工房で雇っているのって、カエデさんだけだよな……まぁ、突っ込むのは野暮か。
俺は無言を貫きながら、スッと横から差し出されたガル兄のカップを指差し、茶を注ぎ入れた。
時として、沈黙も必要なのである。
「フフッ、精霊銀の出世頭がよく言う。僕の話は終わりとして、ガランサは何かマルクに用があったんだろう? その話は良いのかい?」
「おっと。そうだった。なぁ、マルク。今日って暇か?」
「うん。何もやる事ないから、一日魔法訓練でもしてようかと」
まぁ、何事も、無ければ……なんだけどね。
突如ガル兄が、扉を叩くかの様に、手の甲で俺の肩をコンッと叩いた。
「お前、偶には遊んで、ゆっくり休めよ。ってそうじゃなかった。ちょっと昼前に俺と一緒に行って欲しい所があってな」
「見送りは要らないよ」
ガル兄に合わせ、アムが俺へ先手を打つ。
そんなこと言わなくても逃げないし、見送りよりも用事を優先するって。
「どっちも了解。で、どこに? 正装で行った方が良い場所?」
「お前は普段着のままで良いよ。行くのは、スミス兄弟の所さ」
「あー、なる程。だから今日のガル兄,ちゃんとしてるのか」
「ハハッ、普段のガランサは、もっとだらけているのかい?」
「マルク。人聞きの悪い事を言うな」
「格好ね、格好」
兄ノック・スミスと、弟マグナ・スミス。
今現在、精霊銀一の鍛冶師と謳われているスミス兄弟……だった筈。
特に兄のノック・スミス氏は、精霊銀のギルドマスターを務める方である。
所属する組織の長の元へ俺を連れて行くのが、今日のガル兄の役目って訳か。
髪型がいつもよりビシッと決まっているのも、頷ける。
「アム、楽しそうだね」
「笑い話なら、わしらも混ぜてくりゃれ」
片付けの終わったシャーリーとテラさんが、それぞれ自分のカップを持って、俺とアムの正面に座った。
俺は、その二つのカップの上に茶を出現させ、注ぎ入れる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「カカッ。相変わらず器用じゃのぅ」
「どういたしまして。ちなみにガル兄の格好の話だよ」
二人は、得心が行ったように笑みを浮かべ、その柔らかな口を動かした。
「ガランサさん、いつもよりビシッ! ってしてるもんね」
「うむ。普段は首元を開け、だらしなくしておるのにのぅ」
「へぇ。ガランサは、もっとしっかり者だと思っていたけど、意外だね」
「シャーリーにテラさんまで……誤解を解けるのはマルク、お前しかいない」
「あっ、ドライフルーツを一緒にどうぞ」
俺はガル兄の言葉をあえて無視しながら、ドライフルーツの小皿を押し、二人の元へと届けた。
シャーリーとテラさんは、俺のやって欲しい事をすぐに理解してくれたらしく、茶を飲む前に杏子を一つまみし、口へ運んでくれた。
嗚呼、二人が喜ぶ顔が、もう頭の中に浮かんでしまっている。
隣で何かガル兄が騒がしいけど、誤解を解くのは後でいいだろう……。




