794.別れと空
文章修正
トーマス少年とメリィディーア様、そして俺の三人で朝食を頂いた。
王族貴族だからと、何か特別なメニューである訳ではなく、用意されたのは至って普通の朝食であった。
焼きたての白パン。砕いたナッツの香ばしい色鮮やかな温野菜達。体を温めてくれるしょうがの効いたスープ。そして小皿に盛られた果実。
メニューそのものは普通であっても、一品一品美味しく堪能させてもらった。
特にしょうがのスープが、朝に良い。
朝食を味わう中、トーマス少年からピュテル滞在中の思い出を聞く事となった。
各ギルドの視察をした話と、メリィディーア様と回った町の観光。
町の話を振られても苦笑いを浮かべる事しか出来ない俺よりも、むしろトーマス少年の方が、ピュテルの町に詳しいのではないだろうか……。
そうとすら思えてしまう程に、トーマス少年は自身の体験を語ってくれる。
舌を楽しませてくれる料理と、耳を楽しませてくれるトーマス少年の明るい声。
うん、良い朝だ。
朝食が終わり、語らいの時間は茶の一杯を以て終わりを迎えてしまった。
そう……旅の出発は、早いものだ。
護衛騎士達も、使用人の方々も、既に準備は終わっている。
後はトーマス少年とメリィディーア様が馬車に乗れば、もう出発するだけだ。
不満を露わにしながらも、それを飲み込むトーマス少年と、共に外へ向かう。
屋敷の扉を開くと、そこには聖騎士が列をなしていた。
護衛騎士ではなく、彼らは太陽教の聖騎士達だ。
彼らは、門の外に止めてある馬車まで続くよう左右にずらりと並んでいる。
聖騎士達は一様に、少々横に長い肩当てが特徴的な鎧を着こみ、右手に太陽の紋章が入った中型の盾を身につけ、右腰に直剣を携えている。
そして聖騎士の列の先、屋敷の門の前に一人の可憐な少女が立っていた。
長いスカートがふわりと広がる、薄桃色をしたパーティードレスの様な格好をした小さな少女。
それは、俺の数少ない友人であるエルであった。
今日も金糸の如き長い髪は二つに分けられ、エルの左右に流れている。
エルの姿を見たトーマス少年は、独り、足早にエルの元へと向かう。
これは一緒に行かずに、見送るのが正しい判断だろう。
その判断は正解だったらしく、メリィディーア様や隊長さん、そしてバッツさんも俺と同じく歩を緩め、トーマス少年を見送っていた。
トーマス少年が近づくと、エルはふわりと広がるスカートを摘まみ、膝を曲げ、可愛らしくお辞儀をした――瞬間、左右に並ぶ聖騎士の中の幾人かの顔が緩む。
彼らエル親衛隊の事は……うん、放っておこう。
聖騎士からトーマス少年へ目を移すと、エルの前で足を止めたトーマス少年が、折り目正しく返礼をしていた。
「見送り、感謝致します」
「勿体ない御言葉、痛み入ります。太陽教を代表し、僭越ながらわたくしエールフリエールが、トーマス様とメリィディーア様の旅の安全を祈る事をお許し下さい」
「はい。共に祈りましょう」
二人は目を瞑り、胸の前で自身の手を絡ませ、僅かに首を前に倒した。
トーマス少年を追っていた俺達は、祈りの邪魔をせぬよう少し後ろで止まる。
沈黙が、辺りを包み込んだ。
祈りを終え目を空けたエルが、ゆっくりと右手を前に差し出し、口を開いた。
「トーマス様。是非また、ピュテルの町にお越し下さいませ」
「ありがとう。エールフリエール嬢。再び会える日を楽しみにしています」
聖騎士達に見守られる中、エルとトーマス少年が手を重ね、互いに笑みを浮かべ合っていた。
十つの少女と八つの少年。
二人の交流は本来微笑ましい筈なのだが、どこか政治めいて見えてしまう。
トーマス少年一行の出発前の、この式典めいたやり取りは、恐らく太陽伯の差し金だろう。改めて王家と太陽教の友好関係を示すと共に、彼らの出立時の警護も合わせて行う為、かな?
とは言え観客などいないので『大司教の孫であるエールフリエール様が、王の孫のトーマス様を見送った』という事実だけで十分、という判断なのだろう。
さてと、俺もそろそろ別れの挨拶をしないと。
トーマス少年らから目を離し、隣に立つメリィディーア様へと向き直った俺よりも早く、彼女の翠玉の如く透き通った瞳が俺を捉えていた。
「マルク様。見送りはここまでで構いません。長くなれば名残惜しくなってしまいますもの」
「では、ここで。メリィディーア様、再び会える日を楽しみにしています」
「うふふ……トーマス様とは王都での再会を約束したのに、わたくしには約束して下さらないのですか?」
緑色の目をキョトンとさせながら小首を傾げているが、この仕草は狙ってやっているな……何となく、そう思ってしまった。
まぁメリィディーア様の真意はともあれ、会う約束くらいならば別に良いか。
「私が王都へ出向いた際には、是非……問題はどうすれば会えるのか、ですけど」
「マルク様ならば、自由に王城へ出入りしても問題ありませんよ」
「あはは。ご冗談を……冗談ですよね? メリィディーア様」
朗らかに笑うメリィディーア様を見ても、それが冗談なのか否か分からない。
困惑する俺を見かねてか、隊長さんが助け舟を出してくれた。
「マルク殿。出来るならば警備の者に確認の上、可否の判断を」
「はい、そうします。隊長さんもお元気で」
「マルク殿も無理をなさらぬよう。再び肩を並べ戦場に立てる事を願っています」
そんな日が来ない方が良い。
並んで、共に戦わねばならぬ程の強敵が現れる日なんて。
そう思っても、口にはしない。
隊長さんは、誇りを持って戦う人なのだから。
俺が口にするのは、承諾の言葉で、十分だ。
「はい。再びナイト・クラウスの剣技を、この目にしたいものです」
「それは正面からですかな?」
「それは勘弁願います。是非、隣で」
渋みの効いた隊長さんの顔に、皺が増えてしまった。
眉間や鼻筋ではなく、目元と口元に、柔らかな皺が。
差し出された隊長さんの右手に己の右手を重ね、ゆっくりと握る。
精霊銀の小手は硬く冷たいものの、その友好の意思は十分に伝わって来た。
また会いたいものだ。
今度は、襲撃も何もない、平穏な時に。
「日々の武運を」
「日々の安全を」
隊長さんの言葉に願いを返し、俺達は手を離す。
なぜだろう……メリィディーア様からの視線が、不思議と厳しく感じた。
表情も柔らかく、朗らかな雰囲気を変わらないのだが……なぜだろう?
俺が緑の瞳の真意を知ろうとメリィディーア様を見つめていると、俺の服の右袖を摘まんだ誰かが、クイクイと引っ張り始めた。
それが誰の仕業かは、聞こえた足音で分かっている。
トーマス少年だ。
見下ろすと、トーマス少年が、その利発そうな顔で俺を見上げていた。
トーマス少年の目もまた、何かを訴えかけている……うん、分からん。
こういう時は聞く方が早い。
俺はしゃがみ、トーマス少年に目線を合わせ、素直に聞いてみる事にした。
「トーマス様。どうかしましたか?」
「あ、あの。マルクさん……一つお願いしても良いでしょうか?」
「ええ。なんなりと」
はて? 何だろう?
俺の承諾の言葉を聞いたトーマス少年が、目を輝かせながら言う。
「町を、空から見てみたいんです」
「空から……」
俺は別に構わないが、果たして警護の観点からすれば大丈夫なのだろうか?
確認の為に隊長さんへ視線を送ると、隊長さんは渋い顔を大きく頷かせ、それを俺への返答とした。これは問題ないという事か。
不用心にも程があるが……トーマス少年きっての願いならば、叶えよう。
「分かりました。≪風の羽≫」
「おっ! おおぉ……」
俺の魔力が風の力へと変わり、俺とトーマス少年の体を包み込んだ。
風の羽は、空へ跳び上がる時には必要な魔法である。
安全第一、だな。
「さぁ、私に掴まって下さい」
「はい」
トーマス少年の腕が俺の胸をギュッと締め付ける。
うん。空に飛ぶのだから、そのくらいしっかりしていた方が良い。
まぁ、トーマス少年の掴みが甘くとも、落とすつもりはないけど。
俺はトーマス少年を両手で抱え、立ち上がった。
流石にまだ八歳。
鍛えていても体は軽い。
遠くから視線を感じ、そちらを一瞥すると、エルが俺を睨みつけていた。
あれはきっと『狡いですわよ』と言っているのだろうな……後で、エルにも同じことする羽目になりそうだ。
まぁ今は良いか。
出発が遅れぬ様に、急ごう。
俺は軽く真上に跳び、足元に魔力の足場を作り出した。
「では、舌を噛まぬ様に」
「はい」
「行きます。≪獣王の跳躍≫」
足元へと放たれた魔力が足場を破壊し、それとは真反対の上方へと魔法が俺を跳び上がらせる。
素早く空へと昇った俺とトーマス少年。
屋敷の前には、護衛と馬車の列が出来ていた。
使用人らが乗る馬車。トーマス少年達の乗る馬車。護衛騎士らの乗る馬車。そして馬上から皆を守る多数の護衛騎士達。
この一団に喧嘩を売る者がいたら、それはかなりの愚か者だな。
「マルクさん。もっと、上へ」
「はい。≪獣王の跳躍≫」
呪文を言い終わる前に、一度魔力の足場を生み出し、即座に魔法で破壊する。
そして代わりに、俺とトーマス少年は更に上空へと跳ぶ。
トーマス少年の望み通りに、二度、三度と跳んだ俺達の眼下には、ピュテルの町が広がっていた。
町の中央に聳える白い大聖堂すら、少し小さく見える。
石の防壁に守られた町を見下ろしながら、俺は風の羽に魔力を込めて落下速度を大幅に落とし、静かに降下を始めた。
そして更に風の羽を操り、全周囲を見回す様にゆっくりと回転を始める。
「わぁー。これがピュテルの町……マルクさんが守った町なんですね」
「皆で守った……いえ。いつでも、誰かが守り続けている町です」
「モルス教の襲撃だけじゃなく……ですか?」
「はい。悪人からも、モンスターからも。いつだって、誰かが命懸けて守ってくれている。この町も、村も、国も、きっとそうだと、俺は思っています」
俺は、その一助でしかない。
冒険者だった頃も、そして今も。
俺の言葉に声を返すことなく、トーマス少年は目を輝かせていた。
どうやら空からの景色は、お気に召したらしい。
「マルクさんは、この町……いえ。王国の事、好きですか?」
「正直に?」
「はい、正直に」
トーマス少年は、あえて俺に目を合わせずに、そう尋ねる。
正直に、か……なら答えは一つだ。
「この町は好きじゃないですし、この国の事は、どうでもいいです」
「それでも、マルクさんは守るんですね」
「はい。ここピュテルには……王都には……王国には、大事な人達が居ますから」
景色を眺めていたトーマス少年が、俺に真っ直ぐな視線を向け、言った。
迷いのない、ハッキリとした声で。
「マルクさん。やっぱり僕は、マルクさんは凄い人だと思います」
「俺は、トーマス様に『凄い』と言って貰えるほど、上等な人間じゃないですよ」
ただ、戦い続けていただけの男だ。
凄いと言うべき人達は他に居る……いや、俺の周りにいる人達は、皆そうだ。
だが、俺の言葉を否定する様にトーマス少年が笑った。
「アハハ。マルクさんマルクさん。それを決めるのはマルクさんじゃ無いですよ。大事なのは、周りにいる皆さんがマルクさんの事をどう思っているか……僕はマルクさんの事、尊敬しています」
「ありがとう、トーマス様。その言葉は、しっかりと受け取っておきます」
「はい!」
力強く返事をするトーマス少年は、ニカリと笑いながら俺から視線を外し、再び景色を眺め始めた。
本当に立派なのは、トーマス少年の方だ。
空から町を眺め楽しむ姿は、きっと孤児院の子供達と何も変わらない、普通の子供にしか見えない。
まだ八つ。されど八つの立派な少年。
俺は景色よりも、抱えるトーマス少年を見ながら、ゆっくりと落ち続けた。
暫し待ち……そして、残念な提案をしなければならなかった。
「さぁ、そろそろ降りましょう」
「……マルクさん。この魔法って僕が使っても?」
「駄目です。跳ぶという事は、落ちるという事ですから……下を」
言葉に従い下を見たトーマス少年の腕が、俺の胸を更に強く締め付ける。
そのまま落ちる想像をしたのだろう。
その恐怖と想像は、人としても魔術師としても大事なものだ。
好奇心は魔術師の力の源である……だが、その恐れと好奇心の天秤を崩さぬように、無理せず頑張って欲しいな……。
魔術師としてのトーマス少年を心配する気持ちを隠しながら、俺は風の羽の力を緩め、落下速度を上げた。
落下と共に、別れの時も近づく。
トーマス少年には、元気でいて欲しいな。
王都を、王国を守りたい理由が、また一つ増えてしまった。
だけど、こんな気分なら、悪くない。




