576.まずは怪我人を
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アルケーの里は生い茂った森の中にあるが、見た目は普通の村と変わらない。
里は、獣除けであろう木の柵に囲まれ、木製の家々が立ち並んでいる。
里に戻れたからか、少し垂れていた青年二人の長い耳に張りが戻っていた。
テラさんもそうだが、彼らの耳は表現豊かで少し羨ましくなる。
しかし今、俺に長い耳がついていたら、少し垂れ下がってしまっていただろう。
正直、少し疲れた。
モンスター一体すら出会わずに里へ到着出来たのは、大変喜ばしい事である。
減ったのは、勝手が違う中、後方の警戒を続けていた俺の神経だけだ……。
だがそれは、怪我人二人の無事で十分釣り合いの取れた疲れであるから、まぁ、良しとしておこう。
「では、我々は報告へ――」
「この戯け! まずはドーンの所じゃろうが」
「す、すみません」
頭に癒しの水をつけた青年の言葉に、テラさんが怒りを露わにした。
怪我人でなければ、臀部にキツい一撃が飛んでいた事は容易に想像がつく。
恐らく、その『ドーン』という人が里にいる回復術士なのだろう。
耳をピンッと張りながら歩くテラさんを先頭にして進む。
里の人々の視線は……変わってないな。
恐らくこの里で、テラさんに対する悪感情が少ないのは、里を守る戦士達、そして共に地竜と戦った面々だろう。
では? ドーンという人は、どうなのだろうか?
少し心配になったので、俺はテラさんの隣へ移動した。
隣を歩くテラさんが、小さく首を傾げながら俺の顔を見上げた。
「ん? どうしたのじゃ?」
「ただ、テラさんの隣を歩きたかったので」
「フッ、そうか……本に、お主は優しいのぅ」
「そういうのじゃ無いですよ」
この心配性は、優しさとは違うと思う。
その大部分は、俺の独りよがりだ。
「カッカッカ。ならば、ただの甘えん坊さんじゃな」
「ええ。偶には、男も甘えたくなるものなんです……手を握っても?」
「うむ。良い良い」
差し出す手に、テラさんの少し小さな手が重なる。
本当に……こんな優しくて暖かい手を、なぜ皆、嫌えるのだろうな……。
事情は知らない。聞くつもりもない。
もしこの里がテラさんと敵対するならば、俺はテラさんを守るだけだ。
自分の意思が決まっていれば、何も迷う心配は無い。
所々で出会う里の人達の表情が『不快』から『不可解』に変わっている。
まぁ、血で染まった怪我人二人を後ろに連れながら、手を繋ぎ歩く姿は……確かに不可解かもしれない。
だが、これで良い。
テラさんにも、このまま俺の我が儘に付き合って貰おう。
手を繋ぎ、暫く歩くと、テラさんから声が掛かった。
「目的地はあそこじゃ。マルクや、もう大丈夫じゃぞ」
「そうか……残念」
俺が少し冗談っぽく言うと、テラさんは笑いながら俺の手を離した。
近づきながら目的地を眺めてみるが、極々普通の家だ。
木造の素朴な平屋である。
少し薄そうな扉に近づいたテラさんは、来訪を知らせる合図無く、勢い良く扉を開き、中へと入った。
「ドーン。怪我人じゃ」
飛び込んでいったテラさんを追うように、先に怪我人二人を室内へ通し、俺も「失礼します」と扉を潜る。
扉の先は、既に部屋であった。
奥の壁には棚がずらりと並び、左側の窓の前に机が一つ。
入って右側には、寝台が二つ並んでいた。
生活空間というよりは、仕事部屋――いや診察室なのだろう。
そして、机の前の椅子に座る女性が一人。
背もたれの無い椅子に座る彼女は、組んだ長い足と鋭い視線を、突然の来訪者である俺達へ向けた。
彼女は、左目を隠すように髪を流した三十程の女性であった。
銀髪に長い耳、そして整った顔も、里の人々と変わらない。
美形ばかりで、見分けがつかなくなりそうだ……目が痛い。
俺達一人一人へ視線を向けた女性は、少しかすれた声で言った。
「唐突だな、テッラリッカ……お前らは、こっちへ来い」
「「はい。ドーン先生」」
怪我人であるにも関わらず、二人の青年は背筋をピンッと伸ばし、覇気のある声で返事をした。肩を裂かれた青年は、痛みからか体がビクッと跳ねている……何やってるんだこの人?
青年二人は、色気のある声に導かれ、ドーン氏に近づいていく。
その奥から、ドーン氏の視線が俺へと突き刺さった。
「それとお前がマルク・バンディウスだな。その水は邪魔だ。消して出ていけ」
「はい。それでは失礼します」
「全く……」
テラさんの呆れた様な声を聞きながら、俺は、怪我人二人に纏わせた癒しの水を解除した。
癒しの水がスッと彼らの体の中へと吸収されると共に、彼らが呻き声を上げる。
痛みを抑えていた魔法が解けたのだから、当然だ。
さて、治療の邪魔になるし、俺は退散するとしよう。
退室の言葉も伝えたので、一度、ドーン氏に頭を下げ、俺は再び扉を潜った。
俺の後ろから共に出てきたテラさんが、ゆっくりと扉を閉める。
「マルクや、すまぬのぅ。あ奴は悪い奴では無いのじゃ。許してやっておくれ」
「気にしてませんから。それに良い人なのは、何となく分かりましたし」
ドーン氏の視線は鋭かったが、そこに嫌悪や侮蔑を感じなかった。
テラさんにも、怪我をした青年達にも、俺にも。
不愛想な言葉も、別に印象は悪くない。
癒しの水が、他の方法を使った治癒にとって邪魔なのは本当の事だし、治癒に魔法や法力、特別な技術を使うのならば、部外者に見せられないのも当然だ。
それに、テラさんを見たときにピョコッと跳ねた耳を、俺は見逃さなかった。
「フフッ。マルクもついに、色香に惑わされたかのぅ」
「違いますって……さてと、これから何処へ行きましょう?」
本来の目的は、テラさんが背負う弓を返却する事。
それに付随した目的が、俺から礼を伝える事。
そして森に来て増えた目的が、あの木製人形の事。
行くべき場所は二か所。
アルケーの里の長であるユーディアナ様の元か、戦士達を指揮するケルンさんの元か……結局の所、両方行くことになるだろうが、テラさんの意見も聞きたい。
「ふぅむ……まずはユーディアナの家じゃな。弓を返さねば自由に動けぬ」
「では、ユーディアナ様の元へ」
「出発じゃー」
テラさんの掛け声に合わせ、歩き出す――その時、年齢三十中ほどに見える短髪の男性が、遠くからこちらへ向かって歩く姿が見えた。
厳しそうな顔に少々の皺を浮かべた男性は、目的の人物、ケルンさんであった。
ケルンさんの服、その襟と長袖の袖から、巻かれた包帯が見えた。
互いに歩み寄り、近づく。
小さく手を振るケルンさんに対し、俺は軽く腰を曲げ、頭を下げた。
「ケルンや。お主、怪我を――」
「テッラリッカ、後で話す。マルクも、来てくれたんだな」
「はい。弓のお礼をしたくて」
「その事は気にするな。俺達の勝手だ。だがしかし……出来ればお前たちが来る前に、問題を片付けておきたかったんだがな……」
ケルンさんは眉を顰めながら、その顔に皺を増やした。
ケルンさんを見るテラさんの顔も、渋い。
「ケルンや、何があったのじゃ。あれほどパラサイトの種が動き回っておるなど……それにこの森の魔力の事も、ちゃんと聞かせて貰うからのぅ」
「分かっている。共に長の所へ」
「もちろんじゃ」「はい」
「助かる」
少し表情を緩め、そう言ったケルンさんは、顔を隠すように先を歩き始めた。
俺とテラさんも、その後ろを歩く。
しかし『パラサイトの種』とは何だろうか?
あの木製人形を指しているのは、分かるのだが……いや、聞くが早いな。
けど、まずはユーディアナ様の元へ。
聞くのは、その後でも良い。




