508.初めてのお茶は
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細く伸びる右手を包む白い長手袋が、調理台の上に乗ったカップへ伸びた。
「毒見を――」
「必要ありませんよ」
ミュール様は、表情一つ変えずにカップを口へ運び、魔法の茶を口に含んだ。
少し間を置き、白い喉が波打った。
そして、ゆっくりとカップを調理台へと置き、一言。
「薄い」
「ですよね。俺も一口」
「はい。どうぞ」
ミュール様がカップを半回転させ、俺が取り易いように取っ手を向けてくれた。
左手で取っ手を掴み、口へ……運ぶ途中で気付く。
ミュール様は、気遣い上手だな、と。
ミュール様の唇が触れていない側に、自然と口が触れた。
温かな液体が口の中へと流れる。
同時に、薄っすらと、本当に薄っすらとした香りを感じ、そして、薄めに薄めた茶の仄かな味が、口に広がった。
ミュール様は『薄い』と表現したが、俺にとっては『不味い』だ。
味な無いなら無い方が美味しい。水は、美味い。
味があるなら確りと有る方が美味しい。茶は、美味い。
これは……これでは、濁った水だ。
健康を害さないだけの、不味い水だ。
それでもゴクリと、カップを空にする。
自分の失敗作は、自分で処理をすべきだ。
「うぇ……失敗。水に茶を少し混ぜたような薄さ……」
屋敷で何度も練習した時と、同じ結果である。
しかし、どう改善すれば良いのだろうか?
根本の組み立てから間違っている可能性もある。
だが薄っすらとだが、茶の味と香りはするのだ。全て失敗でない所が、ある意味悩み所である。
「マルク。呪文を唱えずにもう一度、魔法を想像してみせて。三人分を」
そう言ってミュール様は、俺の頭に左手を伸ばした。
俺は避けずに、ポンッと乗る長手袋に包まれた手を受け入れる。
「はい。では……」
俺は、魔力を用意しながら、頭の中で再び茶を淹れる。量は多めに。
このまま呪文を唱えれば、先程と同じものが出来上がるだろう。
「マルク。そのまま維持を……そう、ゆっくり、ゆっくりと」
「はい」
ミュール様の涼し気で心地良い声に従いながら、茶の抽出を続ける。
躍る茶葉を想像しながら、ゆっくり、ゆっくりと。
溢れる香りを、心に感じながら。
「今の魔法の使い方ならば、普通にお茶を淹れる時と同じ時間を待つべきです」
「時間を短くするのは後で、と言う事でしょうか?」
「はい。マルクは、魔法を構築する際に急く癖がありますね。戦いに使う魔法では無いのですから、ゆっくり、一歩ずつで良いの」
「それには、私も同意見だね」
モーリアンさんが頷きながら、食堂から顔を出した。
きっと、独り待つのが暇だったのだろう。
「魔法は、一つ一つ組み立て、磨き、鍛えていく物だよ。我が弟子も一足飛びで覚えたがって、困ったものさ」
「耳に痛いです……」
つい先日、炎帝竜の炎を覚えたばかりの俺には、心に突き刺さる一言だ。
それを知るからだろう。
ミュール様は、口を手で隠しながら、クスクスと笑っている。
「モーリアンさん。マルクの集中が削がれるので、お手柔らかに」
「それは失敬」
「いえ、大丈夫ですよ」
魔法を組み立てながら会話くらい出来なければ、戦闘中に魔法なんて使えない。
戦闘中は、もっと集中を阻害する要素に満ちている。
モンスターの位置も、数も、動きも、魔力も。
だが、ミュール様の言葉も一理あるか……今は、魔法の事に集中しよう。
まだ、成功したことのない魔法なのだから、特に。
静けさは、集中を生み出してくれる。
生み出す美味しさを、溢れる香りを、閉じ込める様に、ゆっくりと……。
頭の中に、笑顔が浮かび上がり、声が聞こえてくる。
『えへへ。美味しいね』
『マルクの茶は美味いのぅ』
『ああ、出来れば毎日飲みたいね』
前を向けばシャーリーとテラさんが居て、隣を向けばアムが居る。
三人だけじゃない。
ガル兄も、カエデさんも、パック先生も、バルザックさんも、ノワールも……。
そう多くない親しき人達の笑みが見え、声が聞こえる。
ミュール様の微笑みと声も。
モーリアンさんは、どうなのだろうか?
もし笑顔になったのならば、嬉しいものだな。
体と意識が、自然と茶の出来上がる時間を知らせてくれた。
それと同時に、現実のミュール様の声が聞こえる。
「マルク」
「はい。≪自然の息吹≫よ」
頭の中で作り上げた茶が、呪文を唱えると共に、指の先から流れ出る。
鮮やかに色付く液体が、カップの中を満たしていく。
おぉ……甘い匂いが、俺の鼻をくすぐった。
立ち昇る香りが、この液体が茶であると教えてくれている。
三つのカップへ、想像の茶を最後の一滴まで注ぎ入れ、魔法を解除した。
ミュール様が、乗せた手で一撫でし、俺の頭から手を離した。
頭から飛び立つフクロウの様に、少しの寂しさを感じる。
だが、今はそれよりも――
「ふぅー。完成」
「ウフフ。では、あちらへ」
「マルク少年のお茶か……楽しみだね」
ミュール様とモーリアンさんは、茶の揺れるカップを取り、食堂へと向かう。
俺の前に残ったのは、先程失敗作を飲んだカップ……間違えぬ様に、左手で取っ手を持ち、俺は二人の後を追った。
俺はミュール様の隣に座り、モーリアンさんの眠たい目を正面に受ける。
「では、いただこうかな」
「ええ。温かい内に」
「さて、出来栄えは……」
左手でカップを持ち、口へと近付ける。
果実の様な甘い香りを、鼻で楽しみ、温かな茶を口へ含む。
舌に薄い渋みと酸味が、味わいとして広がる。
甘い香りは、外から嗅ぐよりも強く感じず、ふわりとしていた。
猫の日向の茶葉に比べれば、一段、味が落ちるが……美味しい茶だ。
それに、この茶が、今俺が出せる最高の茶だろう。
茶を飲み込んだ自分の口から、自然と、長く、長い息が流れた。
「ふぅー」
「暖かい……ミネルヴァが、飲ませたいと思う訳だ」
「美味しい。とても良い出来ですよ、マルク」
モーリアンさんの顔が、より眠そうに見えた。
解け、ゆったりとした表情は、柔らかで綺麗な微笑みであった。
それは、隣に目を向けても、そうである。
ミュール様も、茶に目を落としながら、穏やかな笑みを浮かべていた。
俺は、これでも魔術師の端くれだ。
だから、新しい魔法の成功こそ、最も喜ぶべき事なのだろうが……。
俺には、この光景を見た事の方が、嬉しい事であった。
「ミュール様、モーリアンさん。ありがとうございます」
「ウフフ。対価は既に」
「なぜ、私にも礼を?」
「お陰様で、良い茶が出来ましたから」
もう一口、茶を飲む。
美味しい茶と、二人の笑顔は格別の癒しであった。
あれ? 本当に俺は、何をしに王都へやって来たんだっけ?
まぁ、別に何でも良いか……ふぅ……。




