507.母の振る舞うお茶
なぜか礼を言う王に別れを告げ、ミュール様の転移によって、モーリアンさんの店まで戻って来た。
王城よりも、この外の光の入らない店内の方が、落ち着く。
カウンターの上には、黒猫が居るのだが、今は丸くなっていた。
本当に寝ている様子なので、そっとしておこう。
そしてカウンター内側の椅子には、十一歳程度の青髪の少年が座っていた。
彼は、モーリアンさんの二番弟子であるカミュ少年だ。
足をぶらぶらとさせ、暇そうにしているカミュ少年と、目が合った。
「よぉ、兄ちゃん。ミネルヴァ様も、いらっしゃい」
「こんにちは、カミュ」「ええ、お邪魔しますね」
突如現れた俺達に驚くことなく、カミュ少年は、気さくに声を掛けてくれた。
初めて会った時の不審者扱いが、嘘のようである。
いや、あの時は、誰がどう見ても俺が不審者だっただけか……。
「師匠から話は聞いてるよ。呼んでくるから、ちょっと店番頼むぜ、兄ちゃん」
「ああ。任せろ」
カミュ少年は椅子から飛び降りると、店の奥へと続く扉を開け、モーリアンさんを呼びに向かった。暫し店番をしながら待とう。
俺は、カウンター内へ入り、開けっ放しの扉へ魔力を流してみる事にした。
モーリアンさんの真似をして。
すると扉がゆっくりと動き出し、音を立て、閉まった。
「慣れたものですね」
「いえ。初めてやってみました」
俺は椅子に腰かけ、ミュール様と向き合った。
立つミュール様と、座る俺というのも落ち着かないが、仕方が無いか。
いや、ここに座るミュール様も見てみたい気もする。
「ミュール様、座りますか?」
「フフ。そこに私が座っても似合いませんよ」
「残念です」
黒猫を膝に抱きながら座るミュール様も、可愛らしいと思うのに……残念だ。
今は、黒猫もカウンターの上で寝ているから、どちらにしろ駄目か。
「それに店番を少年に頼まれたのは、マルクですよ」
「店番と言っても、俺の場合座ってるだけですけどね。客が来たら、どうすればよいのやら」
「この店には、滅多に客は来ませんので。モーリアンさんへの用件は、正式に白蛇から連絡が行く手筈になっていますから」
「普通に買い物に来る人は?」
「そもそも、ごく普通の魔術師は、店の入り方を知りませんので。副学派長ほどになれば形式として入店を許されますが。実際足を踏み入れても、モーリアンさんの機嫌を損ねるだけですから。この店に訪れるのは、余程の愚か者でしょう」
「ミュール様も初めは?」
「ええ、睨まれましたよ。それは今も変わりないですが」
ミュール様が、奥の扉へ目を向ける。
モーリアンさんとカミュ少年が戻って来たからだ。
俺は椅子に座ったまま振り向き、魔力により開く扉を見た。
モーリアンさんの姿は、髪はサラリと綺麗に整っているが、目は、眠そうに細まっていた。
恐らく、力強い目は、王への礼儀だったのだろう。
「こんにちは、モーちゃん」「お邪魔しています」
「ああ、こんにちはマルク少年、ミネルヴァ。少し奥で話そうか」
「って、また俺だけ店番ですか、師匠」
「今日と明日は忙しい。我が弟子よ、店は任せるぞ」
「むぅ、分かりました。ほら、兄ちゃん。交代だ」
「おう、カミュ。任せた」
椅子から降りた俺は、カミュ少年と互いの手をぶつけ合い、打ち鳴らした。
別に不要な行動だ。が、その方が気分が良い。
カミュ少年も「へへへ」と笑い、跳ぶように椅子へと腰を下ろした。
「ああいうのは、冒険者の流儀なのかな?」
「いえ、何となくでやってるだけですから」
モーリアンさんと、いつの間にか移動していたミュール様を追って、店の奥へ続く扉を通り、普通に扉を閉める。何でもかんでも魔力でやる必要は無い。
二人を追って食堂へと向かうと、四人掛けの卓に二人がつく所であった。
なぜか、正面でも隣同士でもなく、斜めに。
あれ? ミュール様とモーリアンさんって仲はあまり良くない?
いやいや、座る位置だけで決め付けるのは、早計というもの。
だが、俺はどちらへ座るべきなのだろうか?
正面にミュール様か、モーリアンさんか……。
収まりのよい方で良いだろう。
よし。ミュール様の隣に座る事にしよう。
だが、腰を下ろそうと椅子を引いた所で、ミュール様から声が掛かった。
「マルク。お茶を淹れて頂けますか?」
「ミネルヴァ。残念だが、うちにはカップは有るが、茶を淹れる道具が無い」
「あらあら」「分かります」
ウフフと笑うミュール様には悪いが、茶を淹れる道具が無いのは、分かる。
今、我が家にあるティーポットは、シャーリーが屋敷用に態々用意してくれたものだ。それまでは、屋敷で茶を飲むという発想すら無かったからな……。
我が屋敷には、無駄にそろえたカップだけが、使われる事なく虚しく置いてあった……茶葉も無く、魔法も無く。
「しかし困りましたね。マルクのお茶をモーリアンさんにも飲んで貰える良い機会だと思ったのですが……」
「こういう時、ミュール様や母のように、魔法で茶を振る舞えれば良いのですが。あの魔法は、まだ覚えていないので」
椅子に座り、正面を見ると、モーリアンさんが目を瞑り、表情を緩めていた。
「マリアのお茶は、美味しかったね……嗚呼、懐かしい」
「はい。マリア様のお茶は、温かで、華やかで……」
記憶の海に潜ったのは、モーリアンさんだけでは無かったらしい。
ミュール様もまた、瞳を閉じ、優しい笑みを浮かべている。
少しだけ、二人に嫉妬してしまうな……。
俺は、母の振る舞う魔法のお茶の味を、憶えていない。
何度も、何度も飲んだはずなのに。
「フフ。良い事を思い付きました。モーリアンさん、少々お時間を頂けますか?」
「ん? 構わないが、何を?」
「マルクの魔法の助けを。さぁマルク。台所へと行きましょうか」
「え? あっ、はい」
俺の返事を聞く前に、ミュール様は動き始めていた。
俺は、ミュール様と共に、台所へと向かう。
ミュール様が何をするつもりなのか? それは簡単だろう。
魔法の訓練だ。
お茶を出す魔法『自然の息吹』の訓練を。
俺は棚からカップを見つけ、三つ取り出した。
幸い綺麗に保管されており、軽く水で流すだけで、使用には問題ない。
恐らくこのカップは、母が振る舞うお茶を楽しむ為だけに用意された物だ。
有難く、使わせて貰おう。
「では、マルク。今のあなたの魔法を見せて」
「はい。ミュール様」
茶を生み出す為に、俺は魔法の準備を始めた。
想像の中で茶葉を用意し、一杯分の湯を入れ、その中で茶葉を躍らせる。
魔力を込め、抽出を、抽出を。
頭の中で用意した茶を、指の先の先から流すように、想像し、呪文を唱える。
「≪自然の息吹≫よ」
魔法は、俺の指先の触れぬ、さらに先から、少し色の付いた液体を生み出した。
そして、それは、一つのカップを満たしていく。
魔法を止め、カップを見ると、それは茶にも見える飲み物であった。
成功か失敗か……それは、飲んでみないと分からない。




