熟年夫婦と呼ばないで
次々と賛同の声が上がる中、浩和が笑う。
「それだけ息がぴったりって事か。そういう人間が身近にいるのは幸運だぞ」
嬉しそうに笑顔を見せながら祥順の肩に腕を回す。酒気を帯びて体温が上がっているのか、やけどしそうなほどに熱く感じた。猛烈な浩和の熱で彼の香水もふわりと広がっていく。
今日は爽やかなミントを思わせるような柑橘系だった。レモン系の何かが祥順の鼻をくすぐってくる。
「伊高さんの両親がどれくらい仲の良い夫婦かは知りませんが……」
香水と体温にあてられながら、無難そうな言葉を紡ぎ出す。
「すんげーラブラブっすよ!」
「やだ、誰も伊高さんのご両親の状態を聞こうとしてたわけじゃないわよー」
最後まで言う前に寛茂が絶妙な合いの手を打った。女性陣が笑いながら寛茂に茶々を入れながら盛り上がる。祥順は恥ずかしくなってきた。
逃げ場のないこの気持ちをどうすれば良いのだろうか。
もう無礼講状態で、さっきまではお互いに敬語を使っていたはずなのに、女性陣も浩和もほとんど敬語を外し始めていた。
「伊高さんのご両親に似てるかは別として、お二人ともエスコートには慣れてますよね。その連携の良さが熟年夫婦を連想させるんじゃないかな」
「痒いところに手が届くって言ったら失礼かもしれないですけど……一緒に飲んでてすごく楽」
エスコートに慣れているのは浩和で、そのフォローに慣れているのが祥順なのだろう。その二人が対する相手は、相乗効果で二人ともすごい人間のように感じてしまうという事か。
祥順は現在の状況を視界の角に追いやって、女性陣の言葉に耳を傾ける。
「会社の飲み会とか、普通に私達がお酒注ぎに行ったり、花を添える為とか変な理由で座席が絶対にばらばらになったり、そういうの経験してると……ねぇ?」
「そんな事があるんですか」
「今はなくなったわよ」
意外だと思って聞き返したら、けらけらと笑いながら由香が答えた。みんなで楽しく過ごす、に彼女達は含まれているようではずされていたのだろうか。恐らくそういう意識ではなかったと思うが、そういう環境だったとは知らなかった。
バレンタインの行事が未だに残っている事から察しておくべきだったか。自分も酒が回ってきたかもしれない。最初に話していたのが何だったのかよく分からなくなってきた。
そんな時、周囲のテンションとは違った声が響く。
「でもそうね……私にはただのできる男達に見えてたけど」
一番外側に座っている遠藤美紀が首を傾げている。自然と祥順は斜め左を向く為に首を傾けた。こつんと浩和の頭が当たり、恥ずかしさがぶり返してくる。
顔の筋肉に力を入れてこれ以上表情が変に動かないようにした。状況が恥ずかしい。しかしこの状況を照れていると勘違いされたらもっと恥ずかしい。
「一緒に生活しているように見えるわ。確かに夫婦って表現が合ってる気がしてきた」
またそれか!
祥順はいい加減にしてくれと言いたくなる気持ちを押さえ込んだ。
「そんなに? 俺達良いコンビに見える?」
浩和の嬉しそうな声が左耳に入ってくる。近い。近すぎる。心なしかさっきよりも肩を押さえる力が増している気がする。酒を取る動きで隙間ができないだろうか。ぎこちなくなりそうな体を意識的にうまく動かしてグラスを取る。
元の位置に戻ったら、浩和と祥順の距離も元に戻った。
やはり近すぎる。
「滝川さん、俺もそういうパートナーが欲しいっす」
「お前ね……もう少し事務処理できるようになってからそれは言えって」
左耳がおかしくなりそうだった。グラスをあおろうとしたが、頭が固定されていてちびちびとしか飲めない。
「でも何でそんなに仲が良いの?」
「俺が滝川さんを尊敬しているからです」
これ以上耳元で話されるのが嫌で、浩和が何かを言い出す前に発言した。
「滝川さんは何でも完璧ですごいんです」
「いや、ちょっと」
隣で焦った声が聞こえる。
耳元がぞわりとし、思わずシャツの背中を引っ張った。びくりと浩和が反応した気がしたが、彼の声が止まったのを良い事に話を続ける。
「友人であるのと同時に、俺の先生なんです」
浩和の肩を抱く力が弱まった所で、祥順は手に持っていたグラスを一気に傾けた。そこそこ度数のある液体が口内に広がる。
恥ずかしさも何もかもアルコールの熱さに紛れていく。小さく口角を上げた祥順はグラスをテーブルに置いて縁を撫でた。
「滝川さんみたいな良い男、そうそういないですよ。そんな人と良いコンビと言われる程度には、俺も成長したって思うと嬉しいですね」
今夜は祥順の会という名目になっているものの、その実浩和とお近づきになる会である。
祥順は浩和を立てて熟年夫婦問題から離れてもらおうと必死だった。
ついでに肩を押さえている手もどうにかなったら良いなと思いながら、浩和についてまくし立てる。
「料理はできるだけじゃなくて、盛りつけだってすごくきれいです。教えるのも上手だから、滝川さんのお陰で俺も見られるぐらいにはなりました」
「何それ、ずるーい!」
「掃除洗濯だって効率がいいし、本当に為になります。時間を有意義に使えるようになりますよ」
浩和の手が肩から離れた。ちょっとした開放感を味わったのも束の間、今度は腕が首に絡みつき、口を押さえつけてくる。
「ちょっと黙ろう。な?」
「んぐー、ほが」
結構強い力で口を塞がれて言葉にならない。目だけで抗議をするしかないが、睨んだところで力を緩めてはくれなかった。
「ごめん。カジくん酔うと止まらないんだ」
人を酔っぱらいのように笑うとは。文句を言いたくても全てもがもがとした意味の分からない音になる。
「梶川さんって、冷徹鬼クールな感じだとずっと勘違いしてました」
浩和と攻防を繰り返していたのも忘れ、美紀を見た。
「意外にカワイイんだね」
同時に固まる二人の隣で不備のある書類しか出せない男が口を開いた。
「まじで会社では両親代わりだと思ってます! あ、もちろん俺の!!」
呑気な声に女性陣が高らかに笑った。
2023.11.26 一部加筆修正




