悪気のない悪口とスマートな男達
由香のパソコンがブルースクリーンになった以外に起きた問題は、欠勤中の二人の内一人がアデノウイルス感染だったらしく、少なくとも来週の月曜も休むという事が分かったくらいだ。
恐らく月曜日に出勤するであろうもう一人は本調子ではないだろうし、月曜日も祥順がヘルプする事に決まる。
金曜日にお疲れさまをするには早いという話になったが、月曜日から飲むのはどうかという話も出た。祥順が――というよりも女性陣が浩和と飲みたいだけの話だからフライングでも構わないだろうという事になった。
今は定時で上がるべく、資料を整理して帰る準備をしている所だ。
因みにアデノウイルスに感染した社員はさっちゃんこと高遠さちである。寛茂に可愛らしく呼んでもらっている彼女であるが、歴とした二児の母である。一人はそろそろ小学生になろうという年齢で、二人目は幼稚園に通っていたはずだ。
きっと幼稚園でアデノウイルスに感染した子供から伝染されたのだろう。少し早いのではないかと思う一方で、流行する前にかかっておいて結果としては良かったのかもしれないと思う。子供を持たない自分には、損得でしか分からない事かもしれないが、しっかり休んで回復してほしいと心から願った。
これ以上さちの事を考えても仕方がない。ひとまず祥順はこのフロアにいる彼女達のターゲットである浩和を連れていく事だけを考えたのだった。
祥順は浩和が肉食動物のような彼女達にどんな反応をするのか、全く気にならないと言ったら嘘になる。浮き足立っている彼女達の所に浩和と寛茂が現れた。
待っていましたと言わんばかりに血色を良くした女性陣が群がった。ピラニアの池に肉を突っ込んだ気持ちになる。
新鮮な肉――フリーになったいい男――にピラニア――いい男と近付きたい女性達――が食いついている。その隣にある新鮮な肉の方はあまり人気がないようだ。
そこまで想像して、かなり失礼な事を考えていたと気が付いた。ピラニアと肉という構図を頭の中から削除して、その群に加わった。
向かった先はいつもの鶏肉がおいしい飲食店である。祥順は飲み物を聞いて回り、浩和は寛茂と共に料理を選ぶ。ひとまず注文したものが一通り届くと、女性陣を代表して祥順の目の前に座っていた今野梨絵が口を開いた。
「梶川さん、二日間お疲れさまでしたと言いたいところですが、来週もよろしくお願いします。
かんぱーい」
全員が笑いながら乾杯と言う中、一人だけが違う表情で乾杯と言った。寛茂である。
気持ちは分かる。来週も祥順が営業事務の中に混ざるのだ。さぞかし居心地が悪い事だろう。
「伊高さん、景品とかの申請出すなら早めに書類を作った方が良いですよ。
月曜日なら私が書類のチェックできますし」
「えっ」
浩和越しに言えば、びくりと寛茂が体を揺らした。二人の動きに反応したのは浩和である。
「まだ申請してなかったの?」
「あ、いや……はは、すみません」
「伊高さんーちゃんとお仕事してくださーい!」
浩和の言葉に寛茂はごにょごにょと口元で謝る。いつもの事なのか、女性陣に至っては茶化すようなかけ声を上げる。
「月曜日に一緒にやりましょう。
月曜日は午前中空いてますよね?」
「よくお分かりで」
「最近は滝川さんと一緒ですから」
寛茂は恨めしそうな、不安そうな顔色を隠そうとしなかった。営業事務と浩和の視線がある中で言われてしまったからだろう。
人気のない所でしていたら寛茂のメンツは保たれるかもしれない。だがそうしてしまったら、寛茂の為にならない。叱られる時はちゃんと叱られるべきだ。
「……そういや確か、午後は外出だってカジくんに言ってたっけ」
浩和からお叱りの声が上がると思っていた祥順は、その呟きにただ頷いて答えた。
「しっかり間違いのない書類を完成させろよ」
「……はい」
浩和は叱る代わりに逃げないように念を押す方を選んだようだ。既に女性陣の前で祥順に言われて気まずい思いをしている。既に罰は与えられているようにもとれる。
寛茂は反省しているらしく、弱々しい返事をしていた。月曜日に逃げずに来たら優しく教えてやろうと祥順は決めた。
「井高くんって可愛いよね」
「えっ!」
そわそわと腕を動かして挙動不審になったのは寛茂だ。そういう犬のような動作が原因ではないかと思ったものの彼女達の会話には続きがありそうだったから大人しくしておく。
隣では浩和がサラダを綺麗に取り分けていた。祥順は小分けにされたサラダを配り始めながら彼女達の様子を伺った。
「恋人っていう感じではないけど、飼ってみたくなる感じ」
「ええっ!」
がっくりと肩を落とす姿は確かに飼い主に怒られた動物そのものだ。思わず祥順も口元が歪む。
サラダを配り終えた皿を浩和の目の前から奪ってテーブルの端に置いた。
「わかるー」
「なんていうか、弟がいてそれが井高くんだったら面白そうだなって」
「仕事はあまり一緒にやりたいとは思えないけど、一緒にいる分には楽しそう」
好き勝手言っている彼女達は容赦がない。
散々な意見だった。本人が目の前にいるのに言うのは、と気が沈みかける祥順に浩和が目配せをした。
彼は唐揚げをサラダに添えている最中だったが、その近くにあるコップが目に入った。祥順の頭に閃いた。多分浩和が言いたい事はこれだろう。
ぱっと顔を上げた祥順は寛茂を無邪気に弄ぶ女性達に声をかけた。
「何か飲み物頼みますか?」
「カクテル系も豊富だし、なにか頼んじゃって」
祥順に便乗するような形で浩和も話しかける。流れを変えようというのだろう。誰にも違和感を感じさせないような気の使い方に祥順は下を巻いた。
「あっ、じゃあ私はカシオレでお願いします!」
元気よく由香が手を挙げながら答えた。そこから促されるようにして他の面々も飲み物の名を上げていく。
とても自然な流れだった。




