緊張から脱却した酔っ払い
千誠という理想の上司に誘われての飲みに緊張しているのか、祥順はかなりおかしかった。普段は見せないであろう姿ばかりを二人に見せている。
できた人間である千誠の事だ。おそらく今夜しでかす祥順の粗相については全く気にしないだろう。むしろ、「人間味があって良い」ぐらいに思うのではないだろうか。
この調子だと祥順は酔いつぶれるだろう。それは構わない。気になるのはそんな姿を会社で一緒に仕事している千誠に見せてしまう事だ。浩和はとうとう一人だけの秘密ではなくなってしまったと残念に思った。
「カジ君は」
おかわりが届いたとっくりを傾けると千誠がまったりと言った。
「タキ君には頼ってくれるのですね」
とくとくとうまそうな音を立てながら、清酒が注がれていく。三つあるぐい飲み全てに清酒を注ぎ終えた千誠は笑った。
「羨ましいです」
「いえ、俺なんて全然――」
「カジ君が今、心許せる相手はあなただけなのではないでしょうか」
まだまだ力が不足しているのだと言おうとしたが、千誠が言葉を被せてきた為、言えなかった。
普通ならそろそろ祥順がそんな事はないと騒ぎ出す頃合いだが、彼はどうしたのかウーロン茶の入ったコップを両手に抱えてさっきまで飲んでいた液体を睨みつけている。
「人の動きを察して一歩先の行動をするのは一朝一夕じゃできません。息をするようにそれができるあなたは、それだけカジ君の事を見ている」
「……」
浩和は答えなかった。答えなくても、分かりきっている事だ。
「そんなタキ君だからこそ、カジ君も安心できるのですね。どうにも私はカジ君を緊張させてしまうだけのようで……」
千誠は苦笑し、眉を下げていた。やはり気が付いていたのか。祥順も露骨にガチガチだったし、気が付かれても仕方がない。
「栗原さんはカジくん憧れの君だから、仕事外という事でどうして良いのか分からないだけだと思います」
千誠が納得するとは思わないが、浩和はフォローしてみた。相変わらず祥順はコップの中身を睨んでいる。それはそれで気になるものの、今は意識がしっかりとしている千誠の方だ。
「仕事外ではあまり人とつるんだりしないそうなので。カジくんとこうして食事ができているのは奇跡みたいなものですよ」
「……滝川さん、そこまでしょーもない人間じゃないですー」
祥順が隣からぶつくさと小声で不満を漏らす。完全に自分の世界に入っていたわけではなかったようだ。
視線を下げると、じと目でこちらを見上げていた。その目の周りは赤く、大分アルコールが回っているように見えた。
「ほら、緊張してばかりいないで少しは栗原さんと交友を深めたら? 憧れの人とこうしてゆっくり過ごせる機会は滅多にないぞ」
「う……」
千誠はもぞもぞと動き始めた祥順に期待の目を向けた。どうやらこの上司は単に労い目的で自分達を誘ったわけではないらしい。労うとは言葉だけで、祥順と浩和の動きを観察しているようにも見える。
観察したところで何かが出てくる関係ではないし、そもそも何の目的があっての観察か分からない。
「すみません、滝川さんが言う通り……こういう状況は不慣れで」
「そうでしょうね。何を話せば良いか分からない?」
「その通りです」
祥順は恨めしそうな視線を浩和に向け、目を伏せてから正直に告白した。そんな中、本日のメインである水炊きが登場する。
「休みの日に何をしているのか、とか最近興味のある事、とか何でも良いんですよ」
千誠は土鍋にぎっしりと詰められた野菜をほぐしながら、柔らかく言う。彼の動きは自然で、普段から鍋奉行を務めているのだと分かる。
「もちろん仕事の話でも良いですよ。愚痴でも、質問でも、相談でもね」
ウーロン茶が入っているカップを手放し、日本酒をあおった祥順は、覚悟でも決めたかのように眉尻を上げた。
「もう少し提出書類の不備について対策をした方が良いと思います」
浩和はまじめな話題を切り出した祥順を見つめた。
「それはどうしてですか?」
話を促すように聞き返す千誠からは、驚いた様子は見られない。もしかしたら、いつか言われると感じていたのかもしれない。
「最近……添付書類の抜け、必須項目の記入漏れが増えてきています。大きな戦力が削がれる予想の立っている今、早めに対応しておかないと無駄なやり取りが増えて一人当たりの負担が大きくなります」
比奈子の名は出さなかったが、きっと彼女の事を言っているのだろう。彼女が実は身重なのだと祥順からこっそりと聞かされていた浩和は得心した。
実のところ、紗彩から比奈子の事について連絡が来た為、祥順が教えてくれなくとも知る事になっていたのだが。千誠は祥順がこの話題を出す事を読んでいたのだろうか。あまり驚いているようには見えない。
「カジ君、あなたの言う通りです。まずはどのような対策を考えていますか?」
突如、この小さな空間はミーティングスペースへと変貌した。異質なのは鍋の面倒を見る為に動かされる千誠の視線だけだ。
祥順はちらりと鍋の様子を確認し、小さく頷いた。鍋が完成するまで。それが祥順に与えられた時間だと理解したのである。
酔いつぶれるまであと僅かであった事は、どこかへ吹き飛んでしまったらしい。
「まずは書類の不備が増えている状況を可視化し、不備のある書類に関しては程度に限らず全て返却という厳しい処理を下す決定を周知します」
「強気ですね」
「ええ。でも、それくらいしないと修正は厳しいかと思います」
千誠は軽く頷いた。
「次に、提出書類の見本を再配布し、説明する機会を設けます。ちなみに、この対象となる書類は誰でも間違いのない書類が用意できるはずの単純な備品等の購入申請書といった類からです」
「なるほど」
浩和にはむしろ、備品の購入申請で不備のある書類を出すにはどうしたら良いのか分からない。だが祥順がそう言うという事は、実際に不備のある申請書を書いてよこす輩がいるのだろう。
若干一名、頭に顔が浮かんだが、まさかな……とそれを吹き飛ばす。
千誠はつくねを区切りながら鍋に投入していった。
「……それと、不備が多い人で質の悪い人物。つまり、ルールを守る気のない人にはペナルティを課す事も検討した方が良いかと思います」
「さすが、仕事の鬼ですね」
ペナルティという言葉まで飛び出すほどに酷いのか。浩和は真剣な表情で言い切った祥順の横顔を見つめていた。
目元は酔っ払いのそれだが、彼の言葉は刺さるものがあった。
「手抜きして、あとは察しろ、みたいな書類はいつも捨てたくなります。私が本当に捨ててしまう前に、どうにか修正したいものです」
やはり酔っ払いには違いないのかもしれない。……祥順の目は据わっていた。
2023.11.18 一部加筆修正




