仕事の鬼と理想の上司
「納豆は牛乳と相性が良いらしいよ。
納豆パスタを売ってる店がそう掲げてた。
俺は食べなかったけど」
そう付け加え、浩和は目の前にある棒々鶏に手を付けた。祥順は納豆パスタに意識を飛ばし、改めてその絶妙なアイディアに舌を巻いた。
自分では思いつかない料理の数々は、祥順の心を躍らせるどころか気分を萎えさせる。別に納豆を料理の材料として工夫するのが悪いとは思わない。ただ、それを自分が食べたいと思えるかどうかは別だ。
「俺、食べる勇気がないです……」
「食べる勇気か。その通りだね」
祥順の否定的な言葉に肩を震わせながら浩和は笑う。
「……じゃあ、食べるのに勇気のいる食事も避けてもらおうか」
「ふふ、さすがにそれは言いにくいです」
一呼吸置いて真剣な眼差しに切り替えた浩和が、ばかばかしい提案をすれば、祥順は笑ってそれを却下する。二人はふざけた掛け合いをしながら鶏軟骨の唐揚げを摘むのだった。
翌週、日程調整が行われて千誠に誘われ、辿り着いた所は地下だった。
「水炊きのお店……ですか」
「二人以上じゃないと頼めないメニューなので誰かを誘わないと食べられないんです。
私の好みに合わせてしまったのですが、味は保証しますよ」
店内を見回すと、そこは全国チェーン店の居酒屋に似ていた。違うのは、ここの店員が大分落ち着いている事と店内にメニューが貼り出されていない事くらいだろうか。
祥順が店内を見ている間、浩和が口を開いた。
「和食も好きだから、こういうお店好きですよ。
水炊き楽しみです」
「確か料理もお好きでしたよね」
「食べるものは美味しい方が良いじゃないですか」
案内された先はお座敷かと思いきや、半個室に区切られたボックスソファだった。割と洋風である。
千誠の向かいに祥順と浩和が座り、対面する形になった。対面になった途端、サシ飲みのような感覚になる。ここに来るまでも緊張していたが、今更に心拍数が上がった気がした。
「もちろん私も、その意見には賛成です。
……タキ君は舌が肥えていそうですが」
浩和へちらりと視線を向けてから千誠は目の前に置かれた水を口に含む。
「このお店は私も自信があるので味わってくださいね」
そう言って彼はたおやかな笑みを浮かばせた。
「栗原さんのイチオシとあっては、期待しかないですよ。
本当にありがとうございます」
隣から聞こえてくる穏やかな声を聞いている内に、緊張が解れていく。
「カジくん、理想の上司とのご飯は緊張する?」
「えっ、いやっ、そんな、事は……!」
浩和が肩を押し付けてくる。慌てて否定するも、浩和の言う事が正しいのは誰が見ても明らかだろう。
「理想の上司、目指してますからカジ君がそう言ってくれているなら名誉な事ですね。
……ふふ、“仕事の鬼”に言ってもらえるのは本当に嬉しいです」
聞きなれない単語に祥順は恥ずかしい気持ちも忘れて目を見開いた。一体“仕事の鬼”とは誰の事を指しているのか。
浩和は仕事は完璧だが温厚で鬼という響とは無縁だと思う。残るは祥順自身であるが、鬼のようになる事はあれど“仕事の”と付く程に完璧な仕事をしているとは思えない。
それとも、“仕事の事に関わると”という意味だろうか。
「……カジくん、仕事の鬼って君の事だよ」
「――やっぱり」
「悪い意味ではありませんよ」
動きを止めていた祥順に話しかけた浩和は肩を落とす祥順の肩を叩いた。テーブルの向こう側からは千誠がフォローを入れる。
微妙な雰囲気になった所でお通しと飲み物が配られた。お通しは定番の塩キャベツである。軽く乾杯をしてから、浩和がキャベツをつつきながら祥順に説明し始めた。
「カジくんさ、休憩の時でさえ仕事以外の事ってあまり話をしないだろ?
効率重視で、だからといって他者を顎で使ったりはしないし、むしろヘルプに入ったりする。
だから仕事の為に生きているみたいに周りからは見えているんだ」
千誠はビールを口にしながら静かに頷いた。
「しかも仕事が積み上がった時のカジくん、オーラが凄いだろ?
みんなが震え上がっちゃってさ」
「……だから、仕事の鬼……ですか」
祥順は眉を下げた。口角を下げながら言った言葉は、存外に落ち込んだかのようになってしまった。仕事が忙しくても、もう少し余裕でいられるように心掛けよう、とできるかどうか分からない決意をする。
「最近はタキ君がカジ君の清涼剤になってくれているから、あまり鬼の顔はみかけなくなりましたね」
浩和には助けて貰ってばかりだ。隣のお人好しを盗み見すれば、彼ははにかんでいた。
「一部の人から、鬼の顔が見たいから差し入れしないでくれって言われた事がありますよ」
「え」
「人気者ですね」
「えぇ……?」
人気かどうかは別として、その人達は単に変な趣味でも持っているだけなのではないだろうか。変な人に絡まれる原因を生み出していて申し訳ないという気持ちと、悪いが彼らには近付きたくない。
「悪い奴じゃないよ」
「……まあ、分かりますけど」
きっぱりと気持ち悪いと言う訳にもいかず、言葉を濁すしかなかった。
「カジ君が鬼の顔をしていようとも、自慢の部下には変わりありません。
だから、これからもよろしくお願いしますね」
「鬼の顔してても、カジくんはカジくんだしね」
「……もう、鬼の顔鬼の顔言わないでくださいよー」
言われ過ぎて逆に慣れてきた気がする。
祥順が困り顔で二人に文句を言えば、彼らは嬉しそうに笑ったのだった。
2023.11.18 一部加筆修正
2025.5.19 誤字修正




