事後処理と変わったマフィン
昨日の報告書を作成して千誠に提出すると、その場で目を通し始めた。祥順は彼が読み終わるのを待ってから声をかける。
「今回の件で、そろそろサーバーのリプレイスを行ってはどうかと提案を受けました。今のサーバーも購入してから大分経っていて、スペック的にも使用年数的にも限界だと思います」
「……なるほど」
千誠は静かに頷いた。
「リプレイスに関しては一応資料を用意してもらうことにしました。近い内にITサービスから連絡がきます」
祥順の言葉を聞いた千誠が顔を上げた。
「綾瀬さんに?」
「はい。あと私にも送ってもらう手筈になっています」
「それなら良いです」
再び視線を落とした千誠は報告書をめくる。何か変な部分でもあったのか、と祥順は不安になってくる。
「……うん。報告書ありがとうございました。分かりやすくまとまっていて良かったですよ。
サーバーのリプレイスもこの調子でお願いします」
「はい」
問題があったわけではないと分かり、胸をなで下ろす。比奈子がいつ戻るのか分からない今、代役をしっかりと務めようと祥順は改めて決意するのだった。
「あ、カジ君」
通常業務に戻った祥順は、報告書をまとめていてかつかつになった仕事に取りかかっていた。昨日は比奈子だけではなく祥順も抜けており、しかもサーバーの調子がおかしかった。それに比べたら今日の仕事量はまだましのはずだ。
それでも単純に人一人が抜けている状況はきつい。有給で休む人間がいる時もきついが、今回は前日の仕事が滞っていただけに処理量が多かった。祥順もその増えてしまった入力作業を行っていた。
「栗原さん、お疲れ様です」
あいさつする声に顔を上げると、近くに千誠が立っていた。彼は祥順に向かって軽く笑いかける。
「忙しすぎはしませんか? 仕事量が問題なら、調整しますよ」
そう言いながら缶コーヒーを振って見せた。珍しい姿に目を丸めるも、それこそが彼の気遣いなのだと気が付く。コーヒーのかぐわしい香りが鼻に届き、爽やかな気分にさせる。
「いえ、問題ありません。ありがとうございます」
頑張っている君に、と渡されたそれを申し訳なさそうに受け取りながら、祥順はぎこちない笑顔を見せた。
満面の笑みを見せるのも、かと言ってすまなそうな笑みを見せるのも、しっくりこなかった祥順に作れたぎりぎりの笑顔だった。
軽く首を傾けて祥順の事を疑うようなそぶりを見せた千誠だが、信じる事にしたらしく、すぐにその話題を終わらせた。
「それなら良いです。ところで、昨日提案させていただいた件ですが、後でまた話をさせてくださいね。
忙しくしているところ、お邪魔しました」
昨日の件、とはあれか。祥順は遠ざかっていく彼の背中を見送りながら、思いを馳せる。
浩和と共に、夕食に誘われた。その場限りで彼が言うとは思えなかったが、いつ話がでるのかと思ったら。祥順は理想の上司からのお誘いにどう反応して良いのか分からなかった。
急ぎの案件をいくつか終わらせた祥順は、朝見たきりになってしまっていたメールボックスを確認した。少し前にサーバーリプレイスの見積もりと提案が届いていたらしい。
早速確認すれば、具体的な案やサーバーの機体にはどのようなものがあるのかなど、分かりやすくまとめられていた。自分でも分かりそうな内容に、そっと胸を撫で下ろす。
比奈子と祥順、どちらと話を進めれば良いのかとかそういった質問は全くなく、向こう側からの提案だけだったのも、少しだけ気を楽にさせてくれた。
祥順にも分からない、答えようのない質問がなかったのはかなり幸運だったと思うと同時に、具体的な進行をあえて載せない事で余計なプレッシャーを避けられる事を知る。
取り急ぎ検討させていただく旨を書き記したお礼のメールを返信し、とりあえずのやり取りは終了させる。後は、この提案を検討して質問したい事項ができるか決裁が降りたら連絡すれば良い。
「カジくん、お疲れさま。ほら差し入れ」
「あ」
声をかけられて振り向くと、頬に温かなものが当たった。香りからしてコーヒーらしい。礼を言って受け取るとカフェラテのようだった。
「あとはこれ。近くのお店がこの前テレビに映っていたから気になって買ってきたんだ」
がさりと音を立てながら見せられたのは、確かに近くにある店のロゴが入っている袋だった。何の店だっただろうか、と曖昧な記憶を引き出そうと努力する祥順だったが、無駄だった。
「えー……っと……あの、はす向かいの路地を入っていった先の、あそこですよね?」
「そう」
何の店か思い出せないままに、何とか話を進める。浩和は爽やかな笑みで祥順が思い出せない部分を補ってくれた。
「マフィン専門店って最近増えているよね。その中で目立つ為なのか、店名が変だけど」
「マフィンを店名に隠してるんでしたっけ。MAleFFIceNt Specialty shopでしたよね」
「そうそれ」
マレフィセント・スペシャリティー・ショップ――一文字違ってるけど、何となくで“有害専門店”と読める――にあるマレフィセントの大文字部分だけを読むとマフィンになるという変わった店名だ。ちら見しただけでは何の店だか全く分からない。
店の景観は小洒落たカフェであるが、コーヒーなどの飲み物は販売していない。本当にマフィンしか置いていないらしい。
「よく見てみれば、ロゴになっているショップのOはマフィンの形をしているんだ。
おもしろいよね」
言われてみると、確かにマフィンっぽい。ロゴを見つめていると、袋から早速マフィンを取り出して渡してくれる。
「変わったマフィンもいっぱいあったけど、今日はこれにしてみたよ」
スライスオレンジが乗せられた黒いマフィンだった。
「魔女の瞳だよ――って、商品名じゃ分からないな」
「え?」
突然何を言い出したのかと思えば、商品名だったらしい。浩和は苦笑して言い直す。
「ビターチョコオレンジマフィン、だって。オレンジピールの層があるらしいよ」
なるほど、マレフィセントにかけて商品名を工夫しているのか。祥順は納得がいったが、そのセンスはどうなのだろうかと心の中で首を傾げる。
「おもしろいでしょ?」
「ええ、予想外でした」
祥順の言葉に満足そうに頷いて空いている椅子を隣から引き寄せる。視線が同じ高さになった浩和は、「甘いもの補給ー」と笑いながらそのマフィンを頬張った。
2023.11.18 一部加筆修正




