ベラベッカ試食会
リビングに戻ると、浩和がケトルを傾けている所だった。デカンタの中には抽出されたコーヒーが溜まっている。もうすぐ二人分の量だ。
「コーヒーありがとうございます」
「すぐできるからそっちに座って待ってて」
「はい」
浩和はコーヒーを落とし終えると手際よくフィルターを捨てて、ドリッパーを洗う。そんな姿を見つめている内に、両手にマグカップを持った彼がやってきた。
いつもより濃いめに淹れられたらしいブラックコーヒーを渡される。
「じゃ、待ちに待ったベラベッカを食べよう」
一センチ程度の厚さで切られたベラベッカが目の前に一切れ。祥順はそれをじっと見つめた。
キルシュに漬けられた果物はブランデーで漬けたのかと思うほどに濃い色をしている。それがスパイスを加えられた少量のパン生地で一つの固まりになっていた。
所々見えるやや白っぽい色はナッツ類だ。祥順が適当に叩いたクラッシュナッツのいくつかが包丁でうまく切れずにベラベッカの切り口をえぐっていた。
浩和だからこれくらいで済んでいるのだろう。祥順がやったら厚さもばらばらで、ナッツも全く切れなくてぐちゃぐちゃになってしまうかもしれない。
フォークで一口大に切る。ベリー系の洋酒漬けが切れなくて皿の中で転がった。
「んんっ」
切れたそれを口に入れると不思議な食感だった。
「どう?」
しっとりとした、でもナッツがごろごろと入っているからしっかりした歯ごたえがある。そしてその歯ごたえの奥にはセミドライポワールのややねっとりとした感触が。
小麦粉の感じはあまり感じられない。ほとんどドライフルーツで作られているそれは、ドライフルーツの食感とナッツの食感が絶妙に合わさり、不思議なハーモニーを奏でていた。
「なんか、これ、すごい」
何と言えば伝わるのだろうか。祥順にはうまく思い浮かばなかった。ただ、思い浮かんだ言葉をこのまま口にしたら、彼に笑われてしまいそうだという気持ちが祥順の語彙力を奪う。
「何が言いたいのかは具体的には分からないけど」
そう言って浩和は小さく笑ってからコーヒーを飲んだ。祥順は次の言葉も出てこない。
結局浩和を笑わせてしまった。何とも言えない気持ちになる。どっちにしろ笑われるなら、ちゃんと日本語にしていた方が良かった。
「その表情からおいしいって思ってくれている事は分かるよ」
浩和が用意してくれたコーヒーを口に含むと、しっかりとした酸味が祥順の口の中に残る洋酒を洗い流していく。
浩和のコーヒーチョイスは最高だった。
祥順は浩和にただ頷いてみせる。どうせまともな日本語になりやしない。
もう一口食べる。浩和からベラベッカを作る事が決まった時に聞いた話を思い出す。シュトーレンに似た食べ物だが、味は何となく似ていても食感は全く違うらしい。あと、バターの使用量はシュトーレンに比べたらそんなに多くはない。
バターの感じがしないのはそのせいだろう。
バターが好きな祥順は、これにバターたっぷりの味に興味が湧く。今度のクリスマスは、浩和と一緒にシュトーレンを作るのも悪くないな、とまだ半年以上も先の事を考えた。
ぼんやりと先の事を考えながら食べていると、あっという間にベラベッカを一切れ食べてしまった。
「ぺろっと食べたね」
浩和の言葉が未来に行っていた祥順の意識を引き戻す。
「あ、本当に……おかわりしたいくらいです」
「意外に食べるよね」
「別に俺はそんな食べる訳じゃ」
ぶんぶんと音がなりそうなくらいに首を横に振ったが、三往復目くらいで視界がぐわんと歪む。祥順は小さく喘いで、今度は肩を落としながら溜息を吐いた。
「あまり眠ってないんじゃない?」
何かに気がついたらしい浩和の声色が揺れる。はっとして祥順は自分の状態を確認した。睡眠時間は八時間近い。昼直前くらいに目が覚めたのだから、深夜帯に寝てもしっかり眠っていたに違いない。
疲れはあったが、髭を剃り残したのは寝坊したせいで焦ったからだし、今視界が歪んだのはあまりにも強く頭が揺れたからだ。
全くもって、浩和の気遣いは誤解だった。
「違うんです、むしろ寝すぎたって言うか。
確かに俺は深夜まで片付けとかしてましたけど!」
「そうなの?」
「疲れというよりは、ただ動揺してるだけです」
浩和は首を傾げた。そりゃそうだろう。祥順の主張は、結果だけだ。経緯が分からなければ分からない事だって多い。
「動揺って、どうして」
不思議そうに聞いてくる男に、祥順はどう答えたものかと悩む。自分の恥ずかしい話をこれ以上彼に聞かせて良いものか、年上の威厳も何もない状態を続けて良いものか。
目の前に座る男は、心の広い奴だ。今までだって、いやきっとこれからも祥順と交友を続けてくれるに違いない。色んな事を教えてくれたし、これからもそうなるだろう。
自分に返せるものはあるのだろうか。……笑いだけだったら嫌だな、と後ろ向きな思考をする。
「単に、寝坊したけどちゃんと取り繕えたって思った瞬間に滝川さんから指摘されて、恥ずかしすぎて死にたい程に動揺してるんです」
早口にぼそぼそと話せば、浩和は笑顔になった。
「体調が悪いんじゃなければ良いよ。
カジくんがおっちょこちょいなのはもう知ってるし、ね」
おっちょこちょいで済んでしまう問題なのか。祥順は少し脱力した。彼の心の広さを過小評価していたらしい。いや、自分の事を過小評価し過ぎているだけかもしれない。
どちらにしろ、自分の矮小さが招いている事に違いない。
冷静さを取り戻したかのような気持ちになってはそうではない事に気付かされる、というルーチンを繰り返してきた祥順は、少しばかり臆病な気持ちになっていた。
「でも、できれば普通にいい所を見せたいわけですよ」
「……十分だと思うけどね」
ふんわりと笑みを浮かべた浩和の表情は、祥順の強ばった心を少し解していった。
2019.2.14 誤字修正




