頭隠して尻隠さず
曇り一つない鏡を確認するのに満足した祥順は洗濯物の様子を見た。少しばかり湿っている気がした為、室内用の物干し竿を用意する事に決める。
広げるだけである程度の洗濯物が干せるようになる物干し竿は、かなり便利である。浩和から浴室での乾燥方法を教えてもらうまではずっとこの物干し竿に世話になっていた。
もちろん今でも使ってはいるが、頻度は下がっていた。洗濯物を移動したら、あとはもう寝るだけだ。洗濯物は明日の朝、浩和がやってくるまでに畳めば良い。
適当に洗濯物を移動し、風呂に入る。湯船を用意するのも面倒になってしまった祥順はシャワーを浴びた。途中で着替えを用意せずにそのまま入ってしまった事を思い出す。
深夜になり少しばかり伸びてきた気がする髭をなぞりながら溜息を吐いたのだった。
水気をしっかり拭き取ったとは言え、真冬に全裸は寒い。自室へと身を縮み込ませながら急ぐ。自室も寒かった。風呂に入る前にヒーターのスイッチを入れておけば良かったと後悔しながら冷たい下着を身に付ける。
「はぁー……さむっ」
暖房を入れっぱなしにしてしまうと電気代が怖い。そんな理由からリビングだけに暖房を入れていたのだ。小さく震えながら寝間着を取り出した。
もちろん寝間着も冷たいが、フリース素材のものを選んだからすぐに温かくなるだろう。
タオルで軽く拭いただけの髪の毛はまだ濡れている。面倒だが乾かさないと風邪をひいてしまう。祥順はのそのそと脱衣室に移動した。
髪の毛乾かしついでにリビングの暖房を切り、ベッドに潜り込む。布団の中も冷え切っていた。早く温かくならないかなと震えている内に、いつの間にか意識が落ちていった。
翌朝、祥順は大慌てで洗濯物をしまい、大急ぎで適当な朝食を食べた。朝食と言うには遅い時間だったが、起きてから初めての食事だから朝食に違いない。
祥順は目玉焼きとフランスパンという適当メニューにコーヒーを添えたものを数分で平らげ、その痕跡を消すべく急いで後片付けをした。
後片付けが終わって一息付くかどうか、というタイミングで呼び鈴が鳴る。
浩和が来てしまったのだ。寝坊した痕跡は全て消し去ったはず。大丈夫、問題ないと自分に言い聞かせて深呼吸をしてドアを開けた。
「やあ、ベラベッカを持ってきたよ」
「いらっしゃい。
ベラベッカにはコーヒーですか?」
袋を持ち上げてベラベッカの存在をアピールしながら浩和が立っていた。祥順は相変わらず爽やかな笑みを浮かべる浩和に、奥に入るよう促しながら聞いた。
浩和は辺りを見回して部屋の様子を見ている。
「ワインか蒸留酒系の方も合うみたいだけど、今は昼間だし……俺はコーヒーで良いと思う」
視線をキッチンへと向けながらテーブルにベラベッカを置いた。
「ベラベッカだけど、こっちに来る前にカットはしておいたからすぐに食べられるよ」
浩和の言葉を聞いて、早速コーヒーを入れる事にした祥順はありがとうと口にしようとして固まった。
「――ところで、昨日は夜遅くまで掃除がんばったみたいだね」
どうやら祥順の行動は丸見えだったようだ。浩和は身を固まらせた祥順を見て吹き出した。
「いやいや、だってカジくん。髭の剃り残しがあるし。
普段の君なら絶対にそんな事しない」
思わず剃り残しがないか顎のあたりをなぞる。剃り残しがあるとしたら、大体はそこだ。
「うーん、おしい」
「ど、どこですか?」
なかなか見つけられない祥順を不憫に思ったのか、ただ面白がっているのか、浩和が手を伸ばしてきた。自力で剃り残しを見つける事を諦めて顎を上げる。
剃り残しを見つけられたのも恥ずかしいが、触られるのはもっと恥ずかしい。そんな気持ちを封じて触られるのを待つ。
「ここだよ、ここ。
ああ……よく見たらこっちにもあるね」
「んっ」
ざり、と少しだけひんやりとした浩和の指に伸びた髭が引っかかり、くすぐったいような変な感触に鼻から息が漏れる。ぞわりと背中が粟立った気がした。
「ごめん。俺の手冷たかったな。
そんな顔しなくて良いから、早く剃っておいで」
ぱっと手を離した浩和の声に、自分がかなり情けない顔をしているのだと気付く。恥ずかしすぎて浩和の顔も見れない。
弁解する余裕も何もなく、足早に逃げ出した。
洗面台の前に立って鏡に映る自分を見れば、眉尻は下がり、恥ずかしさのあまりに瞳は潤んでいた。浩和が口にするだけあって情けない顔をしている。
剃り残した髭は、唇の横と下顎の二カ所だった。微妙な凹凸で剃り残しやすい場所でもあるそこを、鏡越しに睨みつける。どう考えても自分が悪いのだが、毎日伸びる髭が恨めしかった。
他にも剃り残しがないか念入りに確かめながら髭を剃り直す。この後もう一度指摘されたらいたたまれない。
それこそ自分の家から逃げ出すしかない。
剃り直してさっぱりとした自分の顔を撫で回す。今度こそ大丈夫だ。いや、本当に大丈夫か? 先ほどの事が頭を過ぎる。
過去、汚い部屋を見られたりと恥ずかしい場面も多い。今回のも新しく恥ずかしかった事ランキング入り確定だ。それも上位ランク間違いなし。
ムキになって剃ったせいか、深剃りになってしまった気もする。肌がカミソリ負けしていなければ良いなと思いながらローションをつけていく。
ひんやりとしたローションを、頬の方までつけると火照った頬には気持ち良い。
すうっと熱気が取れていくにつれ、冷静さが戻ってくるのを感じた。祥順はいつもの調子を取り戻しつつある事に、心の底からほっとしていた。
「そろそろコーヒー用意しようと思うけど大丈夫?」
ひょっこりと鏡に小さく映ってみせた浩和はケトルを手にしていた。
「お待たせしてすみません!
今行きます」
「急がなくて良いよ」
浩和の顔を鏡越しに見た祥順は、少し前の動揺を微塵も感じさせない程の笑顔になっていた。




