お預け食らったホワイトデー
結局ベラベッカはおあずけ。文句を言わずに従った祥順はもんもんとした一週間を過ごした。正直に言って、すぐに食べたかった。
でも「焼きたてじゃなくて、少し寝かせた方が良いんだよ」と言われ、更に追い打ちをかけるように「寝かせたら洋酒が馴染んでまろやかになるんだ。シュトーレンと同じでもっとおいしくなるよ?」とくれば、もう頷くしかない。
我慢すればするだけ、満足度が上がる。そんな考えも頭をよぎった。つまり、祥順はどちらにしろ浩和の提案を飲むしかなかったのだ。
その間にあった土日の休日は会社用のホワイトデーの品を買い揃えた。祥順のアドバイス通りに浩和も用意した。気を紛らわせるかのように残業もした。
三十も過ぎて馬鹿馬鹿しいと思う事もなくはないが、とても楽しみだった。週のど真ん中にホワイトデーで、忙しい最中だというのに、気分は上々だ。
紗綾達と仕事上がってから渡すだけの約束をした、と浩和から連絡もあった。バレンタインデーのお返しはもちろん皆に喜ばれた。ヒアリングの甲斐があったというものだ。
ホワイトデーは好きだ。というのも、仕事ばかりでまともな人付き合いというものができていない自分は、こういう所でしか仕事外で関わる事ができないからだが。
仕事の同僚と友人になったり、社内恋愛している人達や、取引先の人間と結婚した同僚とか、どうやって親しくなっていくのか浩和と近づくまで知らなかったくらいだ。だから、こういった誰もが喜んでくれる、自分のコミュニケーション不足を否定する事ができるイベントは元から好きだ。
それに今年は、浩和と一緒に作ったお菓子を食べる約束をしている。今まで以上に「楽しみだ」「好きだ」と感じるのも当然だろう。だめな考え方だって分かっているが、これが祥順の精一杯だった。
待ちに待った定時に、そわそわとしながらもしっかり仕事を終わらせた祥順が立ち上がる。このままコートを羽織り下のフロアへと降りれば、丁度鞄を持ち上げる後ろ姿が見えた。
まっすぐに浩和へと向かって歩いていく内に彼が気が付いて手を挙げる。
「急がなくても大丈夫そうだね」
浩和の声かけに祥順は頷いた。思わぬ残業があるかもしれないと、少し余裕を持たせて時間を設定してくれた。
それが残業なしで会社を出られれば、遅刻の心配はしなくても良い。
「紗綾さん達を待たせたくはないですし、定時で上がれて良かったです」
「何だ、これから美人と逢い引きか!」
近くで会話を聞いていたらしい誰かの揶揄が飛ぶ。祥順は苦笑し、浩和が答える。
「バレンタインにもらったから、お返ししないと殺されるんだ」
「別れてからも大変だなおい」
「私は流れ弾に当たっちゃって」
浩和の後に続いて言えば、あちこちから同情的な声が上がる。営業部は気さくな人間が多いから、ノリも良い。祥順は何とかそれに答えながらエレベーターに乗り込んだ。
先にエレベーターに乗った浩和は、祥順が入ってくるや否やすぐに扉を閉めた。ボタンを連打するくらいだから、急いで閉めたようだ。
祥順が振り返れば、笑いをこらえる男がいた。
「どうしたんです?」
「いや、流れ弾ってなんだよって……くふっ……」
祥順の返答が浩和の笑いのツボをつついてしまったらしい。エレベーターが偶然にもノンストップで一階まで降りていったが、エレベーターが止まるまで浩和の笑いも止まらなかった。
待ち合わせ場所に行くまでの道のり、浩和は笑い上戸にでもなったかのように顔を赤くしてしょっちゅう笑っていた。一瞬、アルコールでも一杯ひっかけてきているのだろうかと頭によぎったくらいである。
上機嫌で笑っている浩和と話をしていくと、単に祥順の返答が面白かった以外に良い事があったらしいと分かる。
遠回しに話を引き出す事が苦手な祥順は、直球で質問する事にした。
「何か良い事あったんですか?」
「え?」
「良い事があったらしいのは分かるんですが、何があったのか分からなかったので」
祥順のまっすぐな言葉に、首を傾げた浩和も納得がいったように「ああ」と良い事を肯定するような呟きを漏らす。
「大した事じゃないんだ。
ただ、ヒロと一緒に詰めていた企画が本会議を通ってから、スムーズに動き始めたから。
もう少ししたら企画が本格的に動き始めるんだよ」
「へえ、すごいじゃないですか」
どんな企画かは知らないが、一生懸命に企画を練っている寛茂の姿を見かけていた祥順は純粋に感心してみせる。
待ち合わせ場所に到着したが、まだ時間には少し早い。紗綾と明寧のどちらもまだ来ていないようだ。
「そうだ。企画が通ってよかったね会みたいなのをやろうと思ったんだけど、カジくんも来ます?」
企画が通ってよかったね会、とは何だろうか。祥順は一瞬考えたが、きっと理由をかこつけて後輩を飲みに連れてねぎらってやろうという話なのだろうと見当をつけた。
「ええ、構いませんよ。伊高さんの他に誰か参加するんですか?」
「いや、とりあえずあいつをねぎらってやりたいだけだ」
今回の企画は、寛茂が発案者だと聞いていた。彼のやる気を維持する為にも、評価している事を実感してもらいたいのかもしれない。
モチベーションの維持はなかなか難しい。きっと、企画が通って本格的に動き出す事が決まり、少し気が抜けている事だろう。そこから企画を成功させなければならないのだから、まだまだ道は長いといえる。
初めて通った企画であれば、その分肩にも無駄に力が入っている事だろう。どこかで気分転換をさせてやるのは先輩の役割だ。
「人数は少な目の方が良いかもしれませんね。
企画が終わった時に、大勢で祝ってあげましょう」
「うん、そうだね――って、来た来た」
いつの間にか待ち合わせ時間になったようだ。慌てて周囲を見回せば、今日も綺麗に着飾った二人組が手を振っていた。
それに応えてから時計を見れば、確かに時間丁度である。話も一区切り付いて丁度良いタイミングだ。祥順はちょっとだけ、浩和が話をする長さもしっかり見越しているんじゃないかと訝しんだ。




