袖まくりテクニックとベラベッカ
キルシュの量を多めにしたせいか、とろみを感じさせる見た目へと変わったセミドライポアールが甘ったるい香りをばらまいている。キルシュの量を多めにした理由は、仕上げにリキュールを使う予定だからである。
ドライフルーツからにじみ出た甘みのあるキルシュをシロップ代わりにするのだ。ドライフルーツ全てを取り出すと、ブランデーのようなカラメル色の液体が残った。匂いをかげばキルシュであるとすぐに分かる。
ドライフルーツの滓を取り除いておけば、シロップ代わりのキルシュ液は完成だ。仕上げまでは時間がある。浩和は蓋をした瓶を少し離れた場所に置いた。
クラッシュナッツを作り終えた祥順がこちらをじっと見つめている。何だろうかと目があった瞬間に首を傾げてみせる。少し照れたように口元をもごもごと動かし、それから余分な水分をとった状態のフルーツを指さした。
「あの、一つ味見してみて良いですか?」
試食しても良いと伝えていたのだと浩和は思い出す。これからちょうど良い大きさに切るアプリコットとセミドライポアールはだめだが、ベリー系ならば問題ない。
「良いよ。この二つはこれから切る奴だからだめだけどね」
「ありがとうございます」
迷いもなくクランベリーを摘み、口元に近づけて「いただきます」と果実に話しかけていた。
暗い赤色の果実が祥順の口の中に吸い込まれていく。咀嚼しながら微妙にかさついている唇を舐めた。ちらりと赤い舌が見える。
何となくその口元から目が離せなくなる。祥順の事である。特に何の意図もないはずだ。
そう分かっていても自分の身体は言う事を聞かず、ひたすら祥順の唇の動きを追っていた。
「ちょっとアルコールが強い気もしますけど美味しいです」
「え、ああ。量を普通よりも多くしたからかな……」
祥順の声に、浩和の体は自由を取り戻した。彼の無邪気な笑みを見ると居心地の悪い気持ちが沸き上がる。悪い事はしていないが、悪い事をしてしまった時のような、後ろめたい気分だ。
ぎこちなくならないように気を付けながら、目の前に広がっている洋酒漬けをひとまとめにする。祥順は満足したらしく、ほんのり色づいた指先を洗っていた。
電子レンジが鳴った。発酵時間が終わったらしい。中を覗けば、膨らんだパンの種が見える。二倍、とまではいかないが大丈夫だろう。レンジを開けて生地の表面を触る。もっちりとした触感に浩和は頷いた。
「混ぜるから手伝って」
「はい!」
浩和がセミドライポワールやアプリコットを切っている内に大きめのガラスボウルを用意した祥順は、そこにドライフルーツを入れていく。
ころころとガラスボウルの中で転がりはねるブルーベリーを、適当な大きさにカットされたセミドライプードルが押さえつけていった。
仕上げとばかりにアプリコットがころころと乗っかっていく。フルーツ達がベラベッカになる準備が整った。
浩和がスパイスの香りを放っているパン生地を小さくちぎってフルーツの中に投げ入れる。祥順はその小さなパン生地をフルーツで押しつぶすようにしていく。
ハンバーグで言えば、フルーツは合い挽き肉とタマネギ。パン生地はパン粉と卵である。パン生地をちぎらずに入れてしまうと綺麗に混ぜるまでに時間がかかってしまう。
だから浩和は混ぜやすくなるようにちぎっているのだ。
根気よく続けていくと、だんだんハンバーグのような弾力が出てくる。ハンバーグよりはごろごろとした具が多いが、それでも似たような感触になっていく。
祥順は楽しそうにベラベッカの種をこねていた。
「見てください、べたべたになってきました」
「本当だ。
……ああ、袖が下がってきてるね」
フルーツとパン生地が馴染み始め、粘着質になった生地が祥順の手にまとわりついていた。そして、その手につきそうな程に下がってきている袖。
パン生地を全てボウルへと投げ込み終えた浩和は手を洗ってから祥順の袖に手を伸ばす。祥順は手をまっすぐに伸ばして袖をまくりやすいようにして待っていた。
妹にしてやるかのように、丁寧に袖を内側に折っていく。こうすればもう落ちてくる事もないだろう。母親の手伝いをしたがる妹に、よくこうして袖をまくってやったのを思い出した。
望まれるがままにもう片方の袖もしっかりとまくる。
「内側の袖まくりなんてあるんですね」
内側に折り込まれていった袖口を不思議そうに眺めている。腕を伸ばしたり、曲げたり、袖が落ちてこないか確認していた。
「はいはい、理由を教えてあげるから手を動かして」
「あっ」
浩和が笑ってそう言えば、祥順は慌ててボウルの中に手を突っ込んだ。そこにクラッシュナッツを追加する。ざらざらと落ちていくナッツは、小さな煙を立てて祥順の手をナッツだらけにした。
「袖は内側にまくっていくと、摩擦係数が大きくなるから、まくった布が落ちてくる事がなくなるんだ。
見た目はあまりおしゃれではないけど、実用的だろ?」
内側にまくられた袖は、もこもこと不自然に膨らんでいる。外にいる時に進んでやりたいとは思えない。乾燥しているナッツを生地に馴染ませていくのに苦戦している祥順は、真剣な表情で答えた。
「でも、これ本当にすごいです。
もっと早く知ってたらって思うくらい」
「そんなに?」
大したことでもないのに、祥順は大きく頭を縦に振った。
「これ、掃除したりする時にすごく便利だと思います」
まじめに言ってのける祥順に、浩和は笑う。ボウルの中のナッツは次第にフルーツとパン生地に馴染んでいった。
ベラベッカの形には、特に決まりはない。パウンドケーキ型に入れて長方形にしたり。ただ楕円系にして焼いたり。パウンドケーキ型は紗彩が持って行ってしまった。
スライスオレンジをトップに乗せようと思っていた浩和は、型なしで長方形に整える事にした。こねるまでは祥順の役目だが、整形からは浩和が引き継ぐ。
ひと塊になった生地を半分に分ける。
それを長方形にしていくのだ。
祥順が強力粉を薄くしいて準備をしてくれた場所に、生地をどんと適当に置く。そこから細長い大体の形を作り、端を押して平らにする。テーブルに押し付けるようにして平面を作っては転がし、四辺を整えていく。
時々祥順の合いの手が入る。ベラベッカの表面は祥順が用意してくれる強力粉でコーティングされ、白っぽく変わっていた。
ベタつく事もなくなり、延べ棒みたいになっていた。




