素直な後輩の育て方
この前から少しずつ進んでいる寛茂との企画について打ち合わせをする。本会議に向けての修正作業である。浩和は寛茂から渡された企画書に目を通していた。
週明けから必死でまとめ上げたのだろうそれは、最初に見た企画書を書いた人物が同じだとは思えない出来映えになっていた。
とはいえ所々指摘しなければならない箇所もある。それを考慮しても寛茂にしては頑張ったと褒めてやらなければならないだろう。
「うん、良くなったね」
「ありがとうございます!」
ぱあ、と華やいだ笑顔を見せられ浩和は苦笑する。喜怒哀楽が分かりやすい男だ。褒める側も悪い気はしない。逆に祥順は喜怒哀楽が分かりにくい方かもしれない。特に仕事中の彼しか知らなかった時は、いつも一定の態度だったように思える。
今ではそうでない事が分かっているが、昔はそんなところもあって雑談を振ったりする相手にはふさわしくないと勝手に思いこんでいた。
それに比べ、目の前にいる男のなんと表情豊かな事か。もちろん悪い事ではない。寛茂の何事にも前向きで、途中で投げ出そうとはしない点に好感が持てる。
しかし、これで営業に行って大丈夫なのだろうかと不安になる。
「この部分、ですます調になってるからである調に変えて。前にも言ったけど、混ぜて使ったらだめだ。
いくつかあったから全部修正しておく事」
「すみません」
きゅっと眉が下がる。
顔に今の気持ちが書いてあるかのようだ。顔に書いてあるという言葉があるが、正にそれである。彼はきっと愛嬌で人の心を掴むのだろう。
営業活動の中心が義理人情のような感情へ重きを置いた精神的な戦い方から、相手の人心掌握をする為にどのような事物が必要かをリサーチしてアプローチ方法等を組み替える――つまりマーケティングだ――知能的な戦い方に変わってきている。いずれにしろ心理戦であることは違いないが、そこに至る考え方は全く異なってきていた。
それでもまだ根強く残っている古いステレオタイプの人間には、こういった愛嬌のある人間の方がウケるのかもしれない。
「後はそうだな……ここはもう少し煮詰めた方が良い」
「はい」
素直に返事をする寛茂は、真面目そのものの表情で頷いた。指摘するだけでは成長しない。浩和は残り時間全てを寛茂と内容を煮詰めるべくディスカッションとロールプレイングを繰り返した。
就業時間ぎりぎりまで粘っていた二人は、時計を見るなり互いに顔を見合わせた。
「滝川さんはこの後にご用事とか……」
遠慮がちに聞いてくる彼に苦笑する。寛茂は浩和が新しい恋人を作ったのか、まだフリーのままなのか知らないらしい。
「今年は入社して初めてのフリーだから、カジくんに社内での立ち回り方を教わる事になってるよ」
「ええっ」
寛茂は小さく驚いてみせる。口調と態度から察するに打ち合わせも兼ねて食事に誘いたいが、恋人との予定があるならば、といったところだろう。
そう思っての発言に浩和のこの返しだ。彼の言いたい事が分かる気がした。しかし本当の事なのだから仕方ない。
「だから打ち合わせはこれでおしまい。後はまとめるだけだから頑張ってみて」
「はい……」
残念そうにしている寛茂には悪いが予定は先着順だ。まだ終業時間外にまで持ち込まなければならないようなスケジュールにはなっていないし、無理してまで急ぐ事はない。
「ヒロ。とりあえず、今日はもうやるなよ?」
「えっ」
寛茂の考えている事は予測済みだった。食事しながら、と考えているならば、断られた先は自主的に仕事を持ち帰るだろうと睨んでいたのだ。
浩和は荷物を纏めながら理由を説く。
「忘れない内に――と思ってても、その実、君の頭の中は大混乱だ。まずは、しっかりと休んで脳味噌をリフレッシュさせなさい。
で、明日の午前中に気を引き締めて作業をすれば良い」
がっくりと肩を落とし、テーブルに伏す。寛茂はそこまで要領の良いタイプではない。事実、簡単な旅費精算などでも毎回のように経理方から怒られている。
そんな彼が、疲れた脳味噌で何ができるというのだろうか。余力を残しているというならば、そのエネルギーは就業時間内に使うべきだと思うし、祥順がそういうタイプの人間ではない事は重々承知だ。
どちらかと言えば、彼はがむしゃらに無理をして結局徒労に終わってしまうタイプの人間だ。
それで潰れてしまうのは勿体ない。浩和はこの企画を二人で進めていく内に彼の可能性を見つけていた。
柔軟な思考は本当に素晴らしい。後はそれを周りに納得させる為の資料などが作れるようになれば、それだけでこの会社の中で必要な人材になっていくだろう。
「焦らなくて大丈夫。本会議まで約一週間あるんだから。この企画は絶対に通るし、絶対に成功する」
「滝川さんに愛想尽かされないように頑張ります」
この企画が動き始める頃に、一度よくがんばったね会を開いてあげよう。浩和は勝手にそう決めて席を立った。
一つ上の階まで階段で上る。帰り支度をしている最中の祥順の背中が視界に入ってきた。
「お疲れさまです」
フロアに入りながら声をかけると、既に何人かを残して帰宅した後らしく返事がちらほらと聞こえてきた。家族や恋人がいる社員の多くが定時ぴったりに帰って行ったようだ。
そういえば、とクリスマスの時も似たような雰囲気だったのを思い出す。
やはりイベント事は大切な人と過ごすのが一番だ。
「カジくん」
「あ、お疲れさまです。そっちの方が早かったんですね」
「そうみたいだ。ああ、急がなくて良いよ」
祥順はいくつかの仕事を並行して行っていたらしく、デスクが散らかっていた。とは言え、仕事別に使う場所を決めているようだ。複数の情報を纏める時以外、書類で机が埋まる事のない浩和には分からない感覚だった。
浩和はマルチタスクが得意ではない。一つ一つ区切ってこなす方が身に合っていた。
「片付ければ終わりなので」
素早く枚数を数え、書類を揃える。どうやら今日はクリスマスの日に頼んだ商品サンプル申請書を元に、動いた商品在庫等の確認作業をしていたようだ。
他にもいくつかの書類があったが、あまりじろじろと見るのもまずいと思い、視線を逸らした。
ごく稀に社外秘ならぬ課外秘の書類があるらしい。だいたいが給料等の金銭がらみだと浩和は思っているが、他にも未発表の特許関連のものもあるだろう。
そういった書類をうっかり見てしまいたくはない。
祥順が隠そうとしていないから、今回は大丈夫なのだろうが、精神衛生に問題を起こしそうなので見るのをやめたのである。
2023.10.29 加筆修正




