少し憂鬱なバレンタインデー
祥順が行っている想定外の対応に、浩和は自分がどうすべきなのかという方向性を見失いそうになる。
「そんなに深く考えない方が良いです。
俺も最初は真剣に悩みましたが結局の所、彼女達はお返しがもらえれば良いんですよ」
こともなく言う祥順は、本当にそう思っているようだった。
「――珍しいですね。こんな簡単な事で悩むなんて」
祥順はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。きゅっと持ち上がった口角が、少しばかり彼を幼く見せる。
「……これに関しては初心者だからね。
まだ貰ってもいないのに自意識過剰かもしれないが、なるべく周りと同じように動こうという気持ちはあるんだ。
貰ってからあたふたしたくなくてさ」
言い訳がましいとは思ったが、浩和は首を竦めながら弁解する。祥順はいつも通り気にしていないようだ。少しは気にして欲しいような気分になってくるが、それはつれない猫程構ってもらいたくなるような気持ちに似ている。
祥順は笑っていた。
「うまくやりたいって気持ちは分かります。
……そうだ。お返しは一緒に選びに行きましょう!」
良い事を思いついたと身を乗りださんばかりに提案する彼に、浩和は苦笑するしかない。普段の差し入れは祥順が浩和にならう形なのに今回は逆である。でも、それはそれで面白い。
折角祥順が乗り気なのだ。一緒に選べると考えれば、この憂鬱なイベントも楽しく乗り越えられるだろう。
「お願いしようかな。
ホワイトデーの準備、よろしくお願いしますよ。先生」
おどけて言えば祥順は嬉しそうに笑う。それからは女性陣からどんなものが貰えたりするのか、今まで貰ったものでインパクトがあったチョコについて、等くだらない話に花を咲かせたのだった。
バレンタインデー当日、特に期待していた訳でも何でもないが、朝起きたら憂鬱なメールが一件入っていた。
{おはよう。フリーになった途端にチョコが貰えるようになるだろうけど、そのチョコは義理であって本命ではない。
私達からもチョコを渡す予定だけど、これっぽっちも恋愛感情はないとだけ言っておく。
因みに、私と紗彩で共同製作した手作り品だから、特別喜ぶといいわ!
勿論カジ君の分もあるけど、彼が勘違いしないようにちゃんと釘を刺しておいてね。}
浩和は家から一歩も出ない内にバレンタインデーに貰えるチョコの件で溜息を吐く事になった。貰える事が確定しても、全く嬉しいとは思えなかった。
それは明寧のメールのせいであって、二人で作ったらしいチョコのせいではない。
いつ、どのタイミングでそのチョコを渡されるのかも分からないが、お知らせと牽制が一緒に届いたら身構えてしまう。明寧は紗彩がいる手前、不用意に動けないのだろう。
紗彩が明寧一筋なのは、空気で分かる。それを疑う気はないはずだし、そのような動きを少しでも見せれば紗彩の笑顔が曇ってしまうに違いない。
よし、受け取る時は明寧の言葉を忘れよう。
浩和はメールの返事を書いたが、この出来事についてはひとまずなかった事にしようと決めた。気にしていれば、それが紗彩に伝わるかもしれない。そして連鎖的に明寧へと矛先が向かっていくようになるかもしれない。
そう思えばこその、選択的忘却であった。
出勤した浩和は、まず祥順に挨拶をした。彼を見ておけば少しは心穏やかに過ごせる気がしたのだ。祥順はやや気まずそうに挨拶をしてきた浩和に対して含み笑いを見せた。
「あれ、ちょっと緊張してます?」
そうではないと祥順は分かっていて言っている。入社後フリーになって初めてのバレンタインデーを迎える自分をからかっているのだと分かる。
「違うよ、ちょっと憂鬱なだけだ」
正確に言ってしまえば、その憂鬱な理由は明寧のメールである。流石にそこまで口に出す事はできず、端的な言葉になった。不十分な日本語を勝手に補足して理解した祥順が大きく頷いてみせる。
恐らく「憂鬱」の前には「バレンタインデーが」とか「今日受け取るかもしれないものが」とかの文章が祥順の脳内で付け加えられた事だろう。
メールの事を言うつもりがない今、その解釈はある意味正しい。会話が食い違う事もないだろう。大きくくくればそういう事だからだ。
「今日、何事もなくスマートに乗り切るからカジくんは心配しなくて良いよ」
「別に心配なんてしてませんから」
浩和の宣言に祥順は笑う。いかにも真地面な表情を繕っての言葉であったが、祥順の笑顔につられて浩和の表情も崩れていく。朝一で祥順と会話ができて良かった。
そう思ったのはつかの間で、自分のデスクに戻ると既にチョコレートの類が配布――だいたいの社員にチョコを渡すのだから配布と言っても構わないだろう――されていた。
基本的には未婚の独身と既婚者に渡しているらしいそれは、可愛いらしくラッピングされている。
大袋のお菓子を小分けにして雑貨屋で売っていそうなお洒落な袋でラッピングしているもの、有名なお菓子屋の一番小さいチョコレート、手作りクッキーを小分けしたもの、バリエーション豊かだった。
大袋を小分けにしたものは安上がりで楽に用意できるだろうが、一番小さいチョコレートとは言え商品一箱はラッピングの手間は省けるものの単価が高くなるのは必須だ。
手作り品はある程度お金は節約できるが一番手間がかかる。彼女達はその手間やお金を費やす事を、どう考えているのだろうか……。
これらの気合いの入った義理チョコを渡されてしまうと、適当にお返しをする事が失礼になるような気さえしてくる。祥順はよくそれを適当にこなせるな、と彼の無神経さを責めたくなる。
それと同時に、これだけの量を配ったからには同等のお返しを貰う事になるはずだから彼女達は受け取った物を消費するのも大変なのではないか、と心配になってくる。
もしかしたら適当に返された方が気が楽なのかもしれない。
浩和はそっと溜息を吐いた。人の心理を読むのは難しい。特に、こういった義理のやりとりは個性を尊重している暇がない。
個々に対応しきれない行事物が少しだけ苦手になりそうだった。
2018.11.16 誤字修正




