そうだとしても俺は悪くない
彼は大丈夫だろうか。千誠は小さく溜息を吐いた。寛茂にしては珍しく――むしろ入社して初めての体調不良である。声は掠れ、熱のせいかとろんとした目つきで眉を下げる姿を初めて見た。
心配だという意識の片隅で「弱っている姿も可愛い」などと思ってしまい、何となく後ろめたい気分になってしまった。そんな千誠のずれた感想はともかく、滅多にない体調不良で本人も戸惑っているかもしれないと思うと、普通に心配である。
すぐに作れるお粥キットを用意しておいたが、もしかしたら食べられないかもしれない。昼休みにでも連絡を入れてみようか。千誠は寛茂の事を考えて半ば上の空で仕事を進めるのだった。
「ヒロが体調不良って大丈夫なんですか?」
昼休みに入るなり、来客があった。浩和と祥順である。寛茂をよく知る二人は彼の取り柄の一つが「健康」である事を理解していたこそ、心配になったのだろう。
「ああ、多分大丈夫だよ。これから確認の連絡を入れようと思っていたところなんだ」
二人を座らせ、そのまま寛茂に電話をかける。六回目のコールでようやく寛茂が出る。
「はい」
「ヒロ? 体調はどうだい?」
応答時の声が掠れていた。やはり数時間横になって休んだくらいでは良くならないようである。
「熱はどうだ」
「えっと、今測ります」
小さく電子音が耳に入る。がさごそと寛茂が熱を測ろうと動く雑音が響き、しばらく無言になった。一分経つか経たないかといったところで測定終了のアラームが鳴り、再び雑音の後に寛茂が口を開いた。
「――七度六分っすね」
「朝よりは下がったな」
三十九度弱もあった今朝に比べたら、だいぶ良くなった方だろう。熱が下がってくれば、体も多少は楽になるはずだ。
「昼食は食べられそうか?」
「一応……」
「なら、計量カップに入れてある水を冷蔵庫に入れてある器に入れて電子レンジで適当に加熱すればお粥になるから。少なめで用意したから、もし見た感じ足りなければ溶き卵を加えて調整して」
喉からくる風邪だろうか。咳をしている風ではないが、声が掠れているのが痛々しい。千誠は寛茂に昼食の指示をしながらそんな感想を抱いた。
「栗原さん」
「うん?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
礼を言われるほどの事だったろうか。千誠は疑問に思いつつも返事をする。祥順がちらちらとこちらに視線をよこし、浩和の方はまっすぐにこちらを見ている。
あまり人を待たせたいとも思わないし、喉を傷めた人間相手に無駄話を続けるつもりもない。
「じゃあ、ゆっくり休めよ」
「はい……」
最低限のやり取りの後、電話を切る。
元気のない返事だった。もう少し優しい言葉でもかけてやった方が良かったか。
「ヒロのやつ、大丈夫そうでした?」
「ああ、少し熱も下がったようだよ。今日一日で復活するかは分からないけれど」
「それにしても珍しいですね。体調不良とは無縁そうなのに……何かあったんでしょうか」
祥順が不思議そうに首を傾げる。浩和は純粋に心配してくれているようだが、どうやら祥順の方は体調不良の原因に興味があるらしい。もちろん全く心配していないというわけではないだろうが、祥順らしい思考だと千誠は思う。
「さあね。私は特に何も聞いていないから」
「そうですか。でも突然そうなったって事は、きっと週末に何かがあったんですよ」
週末は寛茂を甘やかして終わったはずだ。土曜日は一緒に買い出しに行って棒々鶏を作ったし、日曜日はお好み焼きを昼に食べてトマトラーメンもどきを夜に作った。
どれも寛茂はおいしいと喜んでいたし、風邪をひいたりするような無茶な行動を起こした記憶もない。
いや、むしろ今までになく甘やかしたと思う。
「……記憶を遡ってみたが、全く心当たりがないな」
なぜか疑いの眼差しが浩和から送られてくる。千誠は何となく後ろめたさを感じて視線をはずした。後ろめたさを感じた理由は分からないし、浩和が送ってくる視線の意味も分からない。
ただ、千誠にはこの空気が居心地の酷く悪いもののように感じられた。
「ああ、そう言えば私の方にヒロから変なメールが来てました」
「変なメール?」
浩和が端末を操作して表示させた画面には一言{俺に隠れて栗原さんと会うなんてずるいです!}と書かれている。確かに土曜日に似たような言葉を投げつけられはした。だからといってそれが原因だとは思えない。
「ああ……ちょっとご機嫌斜めだったので、週末は甘やかしてあげたよ」
千誠の言葉を聞いた浩和の視線は変わらなかったが、祥順の表情が変わった。この二人は千誠の知らない寛茂を知っている。だからこその変化だろうが、その理由を教えてもらわない限りは一生理解できないだろう。
しかし、この二人の視線と表情が一つの事を示しているのは分かる。寛茂の体調不良は千誠が原因だと言いたいのである。
「――それが原因だとでも?」
二人揃ってゆっくりと頷いた。失礼な。千誠は眉間に皺を寄せた。
千誠は寛茂に優しくしたのであって、決して体調を崩させるような事はしていない。喉に強い刺激を与えるような食事だって出していないし、何の問題もなかったはずだ。
「優しくされ過ぎてパンクしたんじゃないですか?」
「馬鹿な」
「だって、あれだけ栗原さんの事を慕っているんですよ。寛茂の予想以上に優しくされたら舞い上がりすぎてしまうのでは?」
浩和の言葉を否定すれば祥順から追撃がくる。こんな時まで考えが一緒でなくとも良いだろう。むっとしたのを隠さずに出せば、浩和が肩をすくめた。
「ほら、ファンがアイドルと握手したら興奮のあまりに気絶した――とかあるじゃないですか。ああいう感じだと思ったんですよ」
「ヒロはそんな人間じゃ……あり得なくもないか?」
彼の言葉を再び否定しようとしたが、千誠はそれが意外にあり得そうだと思ってしまった。普段からオーバーなくらいに反応を示している男である。オーバーな反応の一つに今回の体調不良が相当するのかもしれない。
祥順がそれみろ、といった視線を寄越したのを睨んでやめさせる。二人の意見を鵜呑みにする気はないが、可能性の一つとして頭の片隅に置いておくとしよう。
――だが。
「俺は悪くない……」
「ふふっ」
社内にいる時は上下関係もあって敬語で話してくる二人だが、態度は友人のままだからタチが悪い。二人がにやにやと不気味かつ不愉快な表情を千誠に向けてきたが、それだけは譲れなかった。
2024.2.21 一部加筆修正




